―――ドンドンドン!

藤森都(ふじもりみやこ)はアパートの自室で震えていた。

時刻は深夜。

本来なら都も布団の中で眠りについている時刻。

そんな時間に自室のドアを叩く音。

部屋の中で都は震えながら自らの体を抱きしめている。

「(どうして、こんなことに)」

都の実家はいわゆる田舎で、同世代の若者が少ない場所だった。

話し相手も少なく代わり映えのしない日常。

その日常から飛び出すように憧れの帝都へ大学受験をして見事、合格。

大学で彼氏もできて順風満帆な生活がスタートしていた筈だった。

切欠は一通の手紙。

「あなたのことがすきです」と平仮名で書かれた手紙がポストに入っていて、都は不気味に感じて捨てた。

翌日もポストに手紙が入っていた。

同じ内容の手紙、しかし、一行だった前回と異なり「あなたのことが好きです。あいしています」と二行になっており、破り捨てる。

三日目、おそるおそるポストを覗くと手紙は入っていなかった。

――ただの悪戯だったんだ。

安心した都が部屋のあけようと鍵を探しているとドアの隙間に押し込むように一通の手紙があった、

都はおそろしくなって手紙を手に警察へ相談する。

「うーん、これだけだと事件性があると判断はできませんね。近隣を巡回するようにしますので何かあれば、また連絡を」と言われてしまう。

四通目がきて都は彼氏や大学の友人に相談した。

彼氏は性質の悪い悪戯じゃないかと笑うだけ、友達に至っては「そういうことをされるようなことをしたのかもしれないよ?」と言われてしまう。

困った都がアパートへ戻るとポストに六通目の手紙。

ただし、六通目は今までと違い黒い便箋に入っていた。

おそるおそる封をきる都だったが中身を見なければよかったと後悔する。

―――キズツケタ、オマエヲユルサナイ。

赤い字で同じ言葉が紙を埋め尽くしていた。

あまりの恐ろしさにその場でうずくまり嘔吐してしまう。

六通目以降、手紙はこなくなったものの、都はどこにいても視線を感じるようになり、ゴミ箱を物色されることや無言電話が増えた。

そして、今日。

夜中にドアを叩く音。

精神的に追い詰められていた都は布団に身を隠して震えるしかない。

どうして、自分がこんな目に?

何をしたのだろうか?

怯えながら自分の非を探す都だが、答えなどでない。

ドアを叩く音がなくなるのを待つ。

どのくらいの時間が経過したのかわからない。

一時間?二時間?それとも?

終わりの見えない恐怖に気が狂いそうになる。

縮こまっていた都はふと、音がしなくなったことに気付く。

――帰った?

そう思って布団から顔を出した時だ。

「――ねぇ」

すぐ傍から聞こえる声。

感情の起伏のない声に都は呼吸を忘れそうになる。

必死に呼吸を整えようとしながら横をみた。

いたのは男だった。

作業着姿に帽子を深くかぶり、髭を生やした男。

年齢は都より一回り、二回り上だろうか?

都が何より恐れたのは男の目。

男の目はインクで塗りつぶしたみたいに真っ黒で何も映していない。

何を考えているのかわからない真っ黒な目。

そんな目でみられていると金縛りになったみたいに指一つ動かせない。

「なんで、僕を裏切ったの?」

「あぐ!」

男は都の頭を掴むとそのまま床に叩きつける。

思いっきり叩きつけられて鼻や頬が痛い。

「なんで裏切ったの?」

ぐりぐりと頭を押さえつけながら男は平坦な声で尋ねてくる。

「よくも、僕を裏切ったな?」

男の声に変化が起こる。

ふつふつと沸騰するような怒りが混ざってくる。

「女はいつもそうだ!僕を裏切り、傷つける!あぁ!イライラする!謝れ!あやまれあやまれあやまれあやまれあやまれあやまれあやまれよぉぉぉおおおおおおおおおお!」

都の頭を掴むと何度も床に叩きつける。

叩きつけられて頬が痛み、口の中を切ったのか、零れた唾液に血が混ざっていた。

「あぐ」

「あやまれ」

同じ言葉を繰り返す男に都は涙を零し、言葉を紡ごうとする。

謝ろうとした時だ。

「その必要はないですよ」

自分を襲っている男とは違う声。

泣いている都が声の方へ目を動かすと扉から一人の男の子が入ってきた。

「ぁ」

その男の子を都は知っていた。

四通目の手紙が来た時に相談した友人の一人が「役に立つかわからないけど」ということである事を教えてくれた。

曰く、彼らは困っている人を助けてくれる。

曰く、彼らが引き受けてくれれば、問題は解決する。

曰く、彼らはどんな奇怪な依頼でも本当に困っているのであれば、引き受けてくれる。

藁にもすがる思いで場所を聞いて向かった先で出会った一人の少年だ。

そういえば、彼の他に――。

「だれ?お前」

都の頭を押さえつけていた男が冷たい声で彼に問いかけていた。

「僕は、守り人だ」

自らを守り人と名乗った男の子。

男は一瞬、ぽかんとした表情を浮かべる。

「あと、そこ、危ないですよ?」

「はぁ?」

彼の言っていることの理解が追い付かず間抜けな声を漏らす男。

直後、背後にあった窓ガラスが音を立てて割れる。

悲鳴をあげてしまうが「大丈夫」と彼が手を握ってくれた。

スポーツをしている彼氏の手と違う、まだ小さな手。

けれど、不思議と安心感が都を包み込む。

「藤森さん」

動けない都に彼が呼びかける。

「え、あ?」

「終わりました。もう大丈夫ですよ」

彼に言われて都がおそるおそる顔を上げると。

「ったく、女の家に不法侵入して痛めつけるなんてクズのやることだな。最低だ、いねや、まじで」

散々、都を痛めつけていた男をガムテープでぐるぐる巻きにしている彼とは別の少年。

身長は150センチくらいだろう。初対面の時に間違えて中学生と言って怒らせた相手。

――そうだ、彼がもう一人の。

「その男は……」

「アンタが知る必要のない男だ」

「新城、藤森さんは依頼人なんだから説明しないと」

彼が咎めるも新城と呼ばれた少年は自分よりも二回りも大きい男を片手で担ぎ上げてしまう。

「依頼人ならこんなことのあった直後の説明じゃなくて、落ち着いたタイミングの方がいいだろ?そこは任せる。俺はこのゴミを処分してくるわ」

気絶しているのか反応のない男はそのまま新城という少年と共に消えた。

残されたのは彼と都の二人。

「えっと、窓ガラスはすいません。緊急事態だったので、弁償します」

「いえ!その、助けてくれてありがとうございます。弁償は大丈夫、です」

謝れて後ろを見ると割れたガラスの破片が室内に散らばっている。

命の危険があったというのに部屋のガラスを割った事を謝罪してくる姿に心の余裕が少し戻った都は首を振る。

「そんな……僕らは仕事をしただけですから、とにかく、傷の手当をしましょう。細かい話は落ち着いてから」

彼は背負っている鞄から消毒液や包帯を取り出して都の手当をする。

最初はされるままの都だが、やがて、自分は助かったという事実を痛感してぽろぽろと涙を零す。

彼は何も言わず手当をしてくれた。

その気遣いがとても嬉しかった。

腰が抜けて動けない都に代わって散らかっている部屋の片づけをした彼は「落ち着いたら連絡をお願いします」といって都の部屋を後にする。

しばらく呆然としていた都だったが、朝になった時に親へ久しぶりに電話をした。

突然の電話に驚きながらも親は「元気?」「無理はしていない?」と心配してくれる。

それがとても嬉しくて都は「大丈夫!」と元気よく答えた。













「それで?」

「真っ黒、まーったく、面倒なことをしてくれたよなぁ」

僕が依頼人のアパートの部屋を出ると壁にもたれている新城凍真(しんじょうとうま)

手入れがされていない黒髪で隠されていない片方の目は死んだ魚の様に濁っている。

「これ以上、酷くならなくてよかったよ」

「一歩間違えたら命の危機だから……呪いなんてド素人が使っていいものじゃねぇんだよ」

僕と新城は祓い屋を営んでいる。

悪霊やら悪魔とか、とにかく人に害をなすこの世ならぬ存在、怪異をなんとかする仕事。

何も知らな人が効いたらふざけているとか、バカにしてくるだろう。

だけど、僕は知っている。

この世には科学では説明できない存在や出来事があるという事を。

それらの事態に巻き込まれた人達の手助け、事態の悪化を防ぐために新城のような祓う力を持った人達がいる。

「今回は間に合ったから本当に良かった」

今回の依頼人はストーカー被害に悩まされており、事態の解決を望んでいた。

本来なら僕らが引き受ける仕事じゃなかったんだけど、新城が話を聞いて引き受けることを決定した。

「緊急だったから途中にしていたけど、今回の件って」

「呪詛だ……俺が解呪したから依頼人が狙われる心配はもうない」

彼女を狙っていたストーカー。

実のところ、あれは人ではない。

呪詛によって作られた怪異であり、呪いの対象を痛めつけ、最悪、死に至らしめる危険性のあるものだった。

そして、その呪詛を放っていたのが。

「藤森さんの彼氏が呪詛なんて」

今回の事件、藤森さんを呪っていたのはなんと、彼女の彼氏だった男だ。

彼は大学をスポーツ推薦で入って周りから色々と期待されていた。そんな彼がどこかで呪いの話を知って藤森さんを呪っていたのだ。

「大方、彼女を独り占めにしたいとか、そういうくだらない理由で手を出したんだろう。代償は高くついたけどな」

彼氏が行っていた呪いを新城が解呪した事で藤森さんが狙われる心配はない。

けれど。

「解呪したって、問題なかったの?」

「いいや、あの女に呪いを掛けている彼氏さんにその反動が行っている筈だ。いうだろ?人を呪わば穴二つ。呪いなんていうのは簡単にやっていいものじゃない。弾かれたり解除されれば、行った人間に帰る」

「その人はどうなったのかな?」

「さー、どうなっているだろうな?手練れならなんとかできるだろうけど、何も知らない一般ピーポーなら不幸な目にあっていることだろうぜ?どーでもいいけど」

心配する僕と比べて新城は冷たい。

彼は呪い等で人を苦しめる人に対して当たりがキツイ。

「人を呪っても良い事なんてないんだよ。そんなことをする暇があるなら自分の幸せを第一に行動すればいい。それが出来なかった結果なんだ。本人にとっては良い薬、いや、罰になっただろう」

立ち止まった新城は振り返る。

「これで、依頼は達成したってことでいいのか?爺さんよ」

僕も振り返るとそこには好々爺を思わせる一人の老人がいる。

但し、彼は人じゃない。

既に寿命を終えて霊体としてこの場にいる。

「あぁ、ありがとう」

満足そうに微笑む老人は今回の依頼人が小さい頃に死んだ祖父。

幼い孫の事が心配で、心配で死後は守護霊として彼女の傍に居続けていた。

依頼人の彼女の異変を察知したお爺さんが誘導する形で僕達のところへやってきたというのが本当のところだが、依頼人は霊感とか、そういうものはないので気付いていない。

「アンタの導きがあったから俺達は間に合った。そのお礼というわけじゃないけど、依頼料は少し差し引いておくよ」

悪霊に依頼人が襲われているという事をお爺さんが伝えに来なかったら僕達は間に合わなかったかもしれない。

プロであることを意識している新城はそれ故に、今回の後手に回った事の謝罪としてお爺さんに伝えていた。

「すまないねぇ」

「だから、アンタも早めに孫離れすることだな」

「そうしようとは思っているんだけどねぇ。できれば、孫の花嫁姿をみてからで」

「いつになる事やら」

呆れながら歩き出す新城の後を僕は追いかける。

「いいの?成仏させてあげなくて?」

「孫を思う気持ちが強すぎて、無理に成仏させたら魂が傷ついて最悪、悪霊になっちまう。まぁ、悪さをするわけじゃないし、孫を守ることを第一としているから本当に満足するまで祓わない方がいい」

背を伸ばす新城。

「それに、疲れた。さっさと寝たい」

「早朝だね。てか、今日学校だよ!?」

「知らない。俺は寝る」

今回は呪い関係だけど、場合によっては妖怪やら色々な問題が舞い込んでくる。

これが僕と、新城の日常だ。