誘拐騒動から少しして、屋敷には平穏な日常が戻っていたが、この日は朝から屋敷が騒がしかった。
今日は、久遠の部下たちが番の儀の祝いにやってくることになっているのだ。
自分も何か手伝おうと申し出た文子だったが、久遠だけでなく律と安寧の全員から一刀両断されてしまった。
「文子さまのお仕事は、お腹の子を守ることですよ!」
「あ、は、はい…ごめんなさい」
「宴の準備は皆に任せればよい」
「文子さま!おめかしする!」
「ご主人も、そろそろ着替える!」
文子の隣に座ろうとした久遠を安寧の二人は部屋の外へと追いやった。
安寧は、久遠の言った通り以前にも増して甲斐甲斐しく文子の世話を焼いてくれている。文子が無事に帰った日、久遠をたしなめた二人は人型になって文子にしがみついて泣いて謝った。
文子は、心配をかけたことを謝り、二人の無事を心から喜んだ。
箪笥から薄桜色の着物を持ってくると、二人は手際よく文子に着付けていくお世話してもらうことがすっかり板についてしまった文子は、二人がやりやすいように腕をあげたり下げたりと、自分に出来ることをする。
「文子さま、お腹苦しくないか?」
「えぇ、大丈夫」
締め具合を確認しながら安が帯を結んでくれる。髪も化粧も全て安寧の二人が仕上げてくれた。その一連の作業はプロそのものなのに、かわいい子どもの姿の二人がやっているものだからまるで真剣なおままごと、といった所だ。
「できあがり!」
「文子さま、綺麗!」
「ありがとう、二人とも。でも、ちょっと最近太ったような気がするわ…」
姿見に映った自分の姿を見てそう呟いた文子は頬に手をやる。以前よりも健康的ではあるが、顔にも肉がついた気がしていた。
「そなたはもっと太ったほうがよいぞ」
「ひゃぁっ!?」
いつの間にか部屋に入ってきていた久遠が、文子に腕を回す。
「く、久遠さま…脅かさないでください」
久遠はたまに音もなく現れるから心臓に悪い。
「ご主人!着物崩れる!」
「離れる!」
すかさず文句を言う安寧。
最近のこの二人に会うたびに、文子から離れろとしか言われず、久遠はまるで恋敵にでもなった気分だった。
「断わる。文子は私の番だ、お前たちの指図は受けない」
こうしてぶすっと不貞腐れる久遠が、文子は好きだった。
「時間になったら呼んでくれ」
そう言って久遠、は依然としてぎゃーぎゃーと楯突く安寧を部屋から追い出すと、文子の耳元で囁く。
「やっとそなたと二人きりになれた」
抱きしめられ首元に久遠の唇がそっと触れた。鼻をすり寄せるそれは、まるで猫のような仕草だ。
「そなたはいつもよい香りがするな。まるで媚薬のように私を誘う」
「そ、そのような、ことは…、っ…え?」
チクリ、と甘美な痛みが首筋に走ったと思えば、ペロリと柔らかな舌の感触に文子は身をよじる。振り向けば、いたずらっぽい顔の久遠が見つめていた。
「い、いま…」
「どうした?」
「いえ…なんでもありません」
(今の痛みは、何だったのかしら…)
経験に乏しい文子は、聞くことすら恥ずかしいような気がして口をつぐんだ。
「良いか、今日は私の隣にずっといるのだぞ」
「承知しております」
宴が決まってから毎日のように言われてきたそのセリフに文子は笑って返す。それから程なくして来客を知らせる律の声で、二人は玄関へと向かった。
全部で10数人ほどの久遠の客人たちはきちんと隊服を纏った人の姿で現れて文子は内心ほっとする。
見慣れない妖の姿で来られたら、とドキドキしていた。
「久遠さまの番となりました、文子です。皆さま、今日はわざわざお越しくださりありがとうございます」
「うっわぁー!世利副隊長に話には聞いていたけれど、本当にお美しい方ですねぇ」
「隊長!こんな綺麗な方を番にもらって、俺たちに見せたくないだなんて見損ないましたよ!」
「そうですよ!そこまで心が狭いとは、我らが隊長ながら残念すぎます!」
「ふん、何とでも言え」
「あ、あの、立ち話もなんですから、中へご案内しますね」
賑やかに宴が始まった。使用人たちが行ったり来たりを繰り返し、料理や酒を運んでくる中、文子は久遠の隣で部下たちに囲まれて質問攻めを受けていた。
「文子さまは、隊長のどこに惹かれたんです?」
「隊長の考えてることわかります?俺ちっともわからなくて…」
「出会いはなんだったんですか?」
「えっと…あの…」
矢継ぎ早に投げかけられる質問に文子は戸惑う。一体、どこまで話すべきなのか、考えあぐねていると部下たちがそろそろと下がっていく。
「久遠さま、怒りを鎮めてください」
それまで無言を決め込んでいた世利が苦笑いを浮かべた。
「お前たち、どうやら私にしごかれたいようだな…」
「ひいぃっ!め、めめ滅相もございません!」
「すみません!調子乗りました!」
「おい、誰か面白いことやれよ!」
文子は、久遠と部下たちのやり取りを微笑ましく眺めていた。普段見ることの出来ない久遠の一面が知れて嬉しかった。
「騒がしくてすまないな」
「いいえ、とっても楽しいです。みなさん気さくな方ばかりですね」
それになにより、久遠が部下たちから慕われていることも文子にとって喜ばしいことだった。
「どこへ行く」
熱燗を手に立ち上がる文子に久遠が声をかける。
「みなさんにお酒をお注ぎしとうございます」
「その必要はない」
「私がしたいのです。ちょっと回ってきますね」
久遠の手が伸びて来る前に文子は席を離れた。部下たちは顔を真っ赤にして文子から酒を注いでもらって大喜びだった。
そして、一周回って最後、世利の隣に文子が座りお猪口に酒を注ぐ。銀髪の青年は、「いただきます」と酒をあっという間に飲み干した。
「世利さま、先日は私事でご迷惑をおかけしました。お礼が遅くなってしまいましたが、助けに来ていただき感謝しております」
「ご無事で何よりでございます」
「副隊長さまとお聞きしました。久遠さまが休暇を取っていた間、指揮を執られていたのでしょう?私からもお礼申し上げます。また色々とお話聞かせてください」
「私で良ければ、いつでも。…あの、文子さま」
躊躇いがちに、世利が言う。その顔は、ほんの少し赤みを帯びていた。
「その、お、お首元に、赤い跡がついております」
「え?どこです?虫にでも刺されたのでしょうか…」
手でさすってみても、虫刺されの腫れは見当たらず、文子は首を傾げた。
「…それはおそらく、久遠さまが…」
(ま、まさか…、あの時の…?)
「ちょ、ちょっと失礼しますね…っ」
と慌てて席を外した文子は、自室の姿見でそれを確認した後、おしろいをはたいてから戻ってくる。恥ずかしさを必死に押さえて、文子は宴の最後までなんとか笑顔でやり切った。
「どうしたのだ、そんなに怒って」
客人たちを門の所で見送り、家に入るなり久遠が言った。
「酷いです、久遠さま。みなさんに見られたではありませんか…」
ぷんすかする文子を、久遠はくつくつと笑った。
「今ごろ気づいたのだな。だから私の隣にいるように言ったではないか」
まるで、出歩いた文子が悪いと言わんばかりの久遠に、さすがの文子も堪忍袋の緒が切れる。
「反省なさるまで、私は自室で寝させてもらいます」
「それは、参ったな…。すまぬ文子、機嫌を直してくれ」
(そんな甘い声で言ってもダメなんだから)
「文子」
「知りません」
すたすたと自室に帰ろうとする文子を久遠の腕が抱きとめる。乱暴に振り向かせると、有無を言わせずに唇を奪った。
「んん…、久遠、さま…」
「そなたは私のものだと、みなに見せつけたかったのだ…」
「はぁ…んっ」
(見せつけなくても、私はあなたのものなのに)
夜の情事の際に交わすような、濃厚な口づけに、文子はあっという間に骨抜きにされてしまう。
「自分がこんなにも欲深いとは、知らなかった。許してくれ、文子」
「わ、わかりました、から…」
「ーーー今すぐそなたが欲しい」
「っ…」
甘美な響きを伴った誘いを、拒むことなど出来るはずもなく、文子はそのまま久遠の胸に崩れ落ちるようにして身をゆだねた。
「妖騎士と交わす番の契り ~ケガした猫を助けたら溺愛されました~」
ー 完 ー