この日リンファスはプルネルにあのリボンを頭に結んでもらった。
今までイヴラに会いに宿舎を出るときにはいつも一緒だったプルネルが居ないことの不安を解消してくれる気がしたのだ。
プルネルは穏やかな顔で楽しんで来てね、と言ってリンファスを送り出してくれた。

時間に余裕をもって楡の木を訪れると、果たしてロレシオは既に其処に居た。
通りのガス灯に背を向け、何時も通りフードマントを被って微動だにしないでその場に立っている。
どう声を掛けたものかと思っていると、ふとロレシオが懐から何かを取り出してそれを見た後、此方を見た。

「やあ、リンファス。少し早いね」

ロレシオはパチン、と手の中に持っていたものの蓋を閉じ、また懐に仕舞った。

「い、いえ、ロレシオさんをお待たせしてしまって……」

リンファスは常に待つ側だった。
家ではファトマルの帰りを待ち、市では客が来るのを待っていた。麦を収めに行くのだって、オファンズの家を訪れてもリンファスは彼が出てくるのを玄関で待っていた。だから人に待たれた経験がない
。恐縮して言うと、レディを待たせるのは紳士の振る舞いではないよ、とロレシオは笑った。

「まあ、敬語はなしにしようじゃないか、リンファス。堅苦しいことは抜きで、君と話したい」

ロレシオがそう言うので、リンファスは頷いた。

ロレシオはリンファスを導いて辻馬車を拾い、リンファスを馬車へと乗せた。
馬車のドアを開けるとタラップに足を掛けるときに手を差し出されておろおろする。
そんな丁寧な扱いをされたことがないリンファスは、舞踏会のダンスでもないのに男性の手を握っても良いものだろうかと戸惑って、動作が止まってしまった。

「リンファス。タラップが高いから、僕の手を取って」

「は、はい……」

リンファスの戸惑いを正確にくみ取ったロレシオは、やさしくもう少しリンファスの方に手を伸ばしてくれた。
その手に自分の手を乗せてみると、大きくてあたたかな手はリンファスのやせぎすな手を包んでしまえる程で、タラップに載って馬車に乗り込むときに手の方を見ると、リンファスが落ちないように見守っていてくれているそのロレシオの様子が、まるで紳士的で恥ずかしくなってしまう。

そんな言動で分かってしまう。ロレシオは良家の子息だ。リンファスとは釣り合わない。
リンファスは生まれも育ちも良くない、寂れた村の子なのだ。こんな釣り合わない待遇を受けて、もしそれに慣れてしまったら、ロレシオに飽きられてしまった時に、どうしたらいいのだろう。