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家の外に出ると、家の傍にある高い木の影の所為で、もう辺りは暗かった。ファトマルが取り残された家の中から零れる僅かな明かりだけで、ハンナは載って来た馬車にリンファスを促した。
馬車はこれまでリンファスが使ったことのある馬車とは全く違っていた。
言ってみれば、オファンズたちが使うような幌付きの馬車で、今はその幌は閉じられているが、天気が荒れた時には、その幌が役に立つのだろうと思わせた。
「ロレシオ、お待たせしました。説得は成功です。また一人、花乙女をインタルに迎えることが出来て、私は嬉しいわ」
ロレシオ、と呼んでハンナが話し掛けた木の影がゆらりと動き、馬車の御者台にひらりと飛び乗った。
(……っ!)
「どうにも、手の施しようのない父親だったらしいな」
「声が聞こえていましたか?」
「あんな酔っ払いの罵声、このおんぼろ小屋の壁の隙間から洩れるのは必然だろう」
ファトマルに対して辛辣な言葉を発した影だった人は、その身長からハンナと勿論リンファスを見下ろした。
夜の色のフードを被った顔の右横から、きらりと明かりに輝く絹の糸のような髪の毛が見える。
さあ、と流れた風に、細い髪の毛が揺らめいて、綺麗だ。茶色が常識であったリンファスにそう思わせるほど、その輝きは美しかった。
(……金色の髪の毛……? 初めて見るわ‥‥…)
ウエルトの村人はみんな茶色の髪色と瞳の色に農作業で焼けた肌だった。それ故、白い色の髪と白い肌、紫の瞳を持つリンファスは、奇異と見られ、悪魔の子と罵られ、蔑まれ、避けられてきた。
この人もまた、茶色ではないという事でリンファスのような扱いを受けたことがあるのだろうか。
問うてみたかったが、彼(声で男性と判別できた)はリンファスを拒絶する雰囲気を発しており、月夜に道に迷った子供が遥か彼方の明かりだけを信じて行動するように、先に馬車に乗り込んだハンナに倣って、フェートンにおずおずとよじ登った。
ぴしりと馬を打つ鞭の音が聞こえると、ガタン、と大きな車輪が石の転がる道を家から去って行く。リンファスにはもう帰る家は無いのだと、振り返った小さな明かりが丘の斜面に消えた時にそう悟った。