「リンファスを都に召し上げる!?」

粗末なテーブルセットの椅子から立ち上がって、ファトマルが叫んだ。
立ち上がった拍子に膝の裏ではねのけた椅子が床に転がる。ハンナは落ち着いた様子で微笑みを崩さず、言葉を続けた。

「そうです。地主のオファンズさんから連絡を頂いてウエルトまで来ましたが、リンファスは正真正銘、アスナイヌトの子、花乙女です。
花乙女は国で丁重に保護することになっています。
花乙女がその身に花を咲かせ、アスナイヌトにその花を捧げることでこの世界が平和に成り立っていることは、ファトマルさんもご存じでしょう?」

「そんな話、聞いたことない。どこぞの迷信か」

ファトマルが一蹴すると、ハンナは目つきを厳しいものに変えて言葉を続けた。

「ファトマルさん、あなたの信仰心の無さはこの際おいておきます。
それを踏まえても、あなたが娘であるリンファスに、十分な食事も与えず労働に駆り立てていることは、リンファスを見れば一目でわかります。
私は花乙女を保護する立場の者として、リンファスを正式に都に召し上げます。
ああ、お留守の間にリンファスの部屋も見せてもらいました。荷物は特に作る必要もなさそうでしたから、このまま彼女を都に連れて帰ります。
これは、通告と命令です」

そう言うと、ハンナは持っていた鞄から命令書を取り出し、ファトマルに見せた。
其処には『このアディア国に居る白い肌、白い髪、紫の瞳の少女を王都・インタルの花乙女の宿舎に集め、保護すること』とあった。
それを見て呆然とするファトマルと、おろおろと父とハンナを交互に見るリンファスに、ハンナは同時に視線を送り、そしてリンファスに向かって微笑んだ。

「リンファス。そういう訳で、今後あなたは、国が全面的に支援して保護します。花乙女たちが暮らす宿舎があるのよ。そこへ行きましょう」

にっこりと微笑むハンナに何も言えないリンファスのことを、ハンナが背を押して玄関ドアの方へ向こうとすると、ファトマルがハンナの腕をぐっと握って引く。

「リンファスが居なくなったら、この家の働き手がいなくなっちまう! そんなことは困るのさ! 
お偉いさんが何を決めたかしらねーが、我が家にだってルールはあるんだ! 
まずはそこを通してもらわねーと……」

ファトマルが言い終わるか言い終わらないかの瞬間に、ハンナは持っていた大きな革鞄からバサバサッと紙幣の束をファトマルの目の前にいくつも落とした。
床に山となった紙幣の束を見て、ファトマルはますます呆然とした。

「手切れ金なら、これで十分でしょう。あなたはリンファスに良くない影響を与えてきた。これからリンファスは、幸せになる為に歩み始めるのです」

ハンナが厳しい声でそう言うと、ファトマルは一瞬たじろいだが、直ぐに強気の姿勢を取り戻した。

「リ……リンファスを売り渡すのは構わねーが、こいつはどう言ってんだ。
悪魔の子だと村の皆から厄介者扱いされてた自分を恩義で育ててやった俺のことをよお。
まさか不幸だったって言う気じゃないだろうな!? ああ!? リンファスよお!!」

ファトマルの罵声がリンファスに飛ぶ。
リンファスはハンナとファトマルの言葉を考えていた。

確かにリンファスはファトマルの役に立ったことなんてなかった。市での稼ぎは良くないし、何しろこの見た目だ。家に置いてくれているファトマルに冷ややかな視線が向けられているのを、リンファスはどうすることも出来なかった。

それを考えれば、リンファスがファトマルに恩を感じても、恨むことがあるはずがない。現にリンファスは、ファトマルに対して常に申し訳ない気持ちと、その恩に報いられない自分の不甲斐なさを痛感していた。

その思いがリンファスを突き動かした。

(わ……、私がハンナさんと一緒に行けば、この多額の『手切れ金』は、父さんのものになるんだわ……)

売買契約としては、これ以上ない好条件だった。自分という、何の役にも立たない存在を、こんな大金で買ってくれると言うのだ。これを逃す手はなかった。
何より、ファトマルの今までの庇護に報いるために。リンファスは震える手を握りしめて、口を開いた。

「と……、父さんには、凄く、感謝してます……。だから、私、ハンナさんと一緒に行きます……! 父さんの恩に、報いるために……!」

思えばファトマルに対して意見を言ったのは、これが初めてだった。