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揺れの酷い馬車に乗って三日。ファトマルはひと晩だけ野営をした。
御者は大きな月型の刀を携えており、右目に黒い眼帯をしている筋骨隆々の男だ。
褐色に焼けた肌は海の男の証拠だった。そんな人が、何故陸地に?
ファトマルが買い物に行っている間、その男がリンファスを見張っていた。
手足を縛られたリンファスが動けることはなかったが、男の腰に刺さっている大きな刀が余計にリンファスを竦みあがらせていた。
ファトマルが戻ってきた時、思わずほっとしてしまうくらいに恐ろしかった。
ファトマルは大きな黒い布とロープを抱えてきた。
布を身動きの取れないリンファスに被せ、その上からまたロープで縛る。とても娘に対しての行為ではなかった。
森の中で樹に縛り付けられたリンファスは恐れから口を閉ざしていた。ファトマルが上機嫌で男に問う。
「オンガ、花乙女ってのはそんなに高く売れるのか?」
オンガと呼ばれた男はニヤッと歯をむき出しにして笑うと、リンファスを値踏みするような目で見た。
「グスタンでは金持ちの鑑賞物さ。一人が何人花乙女を所有しているかで、富の具合を競うんだ。
こいつは俺も見たことねえ花の色だから、相場よりうんと高く売れる」
売る……。恐ろしい言葉を聞いて、リンファスはカタカタと震えた。
(は……、花乙女は保護される対象じゃないの……? グスタンって、何処のこと……?)
ファトマルと男の会話は続く。
「リンファス。お前にはこれから別の国で飼い主を探してやる。
俺は飼い主にお前を譲り渡すことで生活費を得る。お前が働けなくなったんだから、仕方ないよな?」
「ハ……、ハンナさんが渡したお金は沢山あったでしょう……?」
震えあがる声で問うと、ファトマルは怒鳴り声を上げた。
「あれっぱかの金で俺の一生が保証できるもんかよ!」
パン! とファトマルはリンファスの頬を叩(はた)いた。リンファスの体が反動で揺れる。
「……っ!」
「お前は俺の子供だ。親が子供をどう働かせようと、子供に選択肢はねーんだよ」
ぐびぐびと瓶ごと酒をあおるファトマルに絶望を感じた。
(わ……、私の生きていく『証』は……、もう、父さんじゃない……)
「……わた……、わたし……が、……花、を……着けることが、……出来、た、のは……、……父さんのおかげじゃ、ない……わ……」
「どんな花だって良いんだよ。お前を育て上げたのは誰だと思ってんだ」
「ちがうの……。……私に花を咲かせてくれる人が……、わ……私を忘れたら……、花は咲かなくなるの……」
想いがなければ花は咲かない。リンファスのことをイヴラたちが忘れてしまったら、この花たちはいずれ落ちてしまう。
リンファスが花を咲かせる為にはイヴラたちに覚えていてもらう必要があるのだ。
なんとかファトマルに諦めてもらおうとするリンファスに絶望の言葉を放ったのは、ファトマルではなくオンガという男だった。
「気にするな、嬢ちゃん。
お前の花は珍しいから高く売れる。そしてグスタンの金持ちはいくらでも花乙女を買い替える金を持ってる。
花乙女は俺たちが仕入れ続けるから、一人くらい花が着かなくなったって、気にしやしないさ。
花が着いてるうちはいい生活させてもらえるぜ。せいぜい楽しみな」
……花が着かなくなったら、花が食べられない。花乙女の食事に順応したリンファスは、今度こそ餓死してしまうかもしれない。
「さあて、港に出るぜ。夜明けとともに出港だからな。船に乗ったらパラダイスだぜ」
オンガがリンファスを軽々と持ち上げて馬車に詰め込む。ファトマルも乗って来て、馬車は野営地を後にした。