ロレシオは懐中時計の蓋を開け閉めしながらため息を吐いた。
王家の社交の一環とは言え、今はサラティアナに会いたい気分ではなかった。
礼服の胸を触る。三日前にリンファスが贈ったハンカチーフを持っていないのかと尋ねたので、身に着けていた方が良いかと思って、今日は持って来た。
やはり贈ってもらった特別感から、持っているとリンファスと繋がっているような気がして心が強くなる。
「君の所為でリンファスを傷付けることになった」
「貴方のコンプレックスを受け止められるのは、私だけよ。だって最初の花が咲いたときに落ちなかったんですもの」
確かに幼いあの時、既にロレシオは忌子として隔離されていた。そこへ現れたサラティアナはロレシオの瞳を見ても驚かず、そしてロレシオの友情の花を着けてくれた。
子供の頃には気付けなかったが、花が着いて、ロレシオが落としてしまうまで、サラティアナはロレシオの友情を受け止め続けていたのだ。
裏切ったわけではなかった。
「カタリアナさまとウオルフさまのようになりたかったのよ。愛され愛し合う花乙女とイヴラの象徴ですもの、憧れるなというのが無理だわ」
そして、サラティアナの言葉も嘘ではなかった。ロレシオがサラティアナの気持ちを見抜けなかったのだ。
でももう遅い。ロレシオは自分の父親と母親を知らなかった、……いや、愛情というものさえ知らなかったリンファスを愛してしまったのだ。
「サラティアナ、何度言われても答えは同じだ。君を愛することはない。君のお父上が画策することも実を結ばない」
「リンファスが現れずに、こうやって私たちの間に和解の場があったら、貴方は私を愛してくれた筈なのに!」
「時は戻らないよ、サラティアナ」
カチリと開けた懐中時計を見る。秒針は一方向にしか動かずに時を刻んでいた。ロレシオの刻(とき)はリンファスに向かってだけ、進むのだ。
「さあ、もういいかい、サラティアナ。僕はもう帰りたいんだ」
「酷いわ。レディを置き去りにするの?」
自分の要求が叶えられないことはないと信じているサラティアナに折れた。
サラティアナの強みはこういうところだ。そういう自信が表情に出て、沢山のイヴラを惹き付けて大輪の花を咲かせている。
裏切られたと思っていても叔父の屋敷で顔を合わせれば話し掛けられはしていたし、ロレシオも寂しい幼少時代を過ごした所為で、決定的に人を憎めるようには出来ていなかった。
「サラティアナ。馬車を回してもらってくるから、此処で待っていてくれ」
サラティアナにそう言って取って返そうとしたその時、通りに散らばる蒼い花を見つけた。
「リンファス……! 此処に来ていたのか……!」
「ロレシオ、もうあの子のことは忘れて! あの子は貴方の隣に相応しくないわ。貴方の立場を何も分かってないあの子は貴方の足を引っ張るだけよ。それを分かってもらう為に、あの子に来てもらったのよ」
ロレシオはサラティアナに向き合った。
「なんてことをしたんだ、サラティアナ。リンファスに誤解されるようなことを……。
それに、君はそう思うかもしれないけれど、知らないことはこれから覚えていけば良いだけだろう。リンファスは学ぶ機会に恵まれなかっただけで、学びさえすればきっと知識は追いつく。彼女の生き方がそうだからだ」
常に『役割』を求めていたリンファスのことを思い、ロレシオはそう言った。