翌日も王都へと一路西へと馬車を走らせていた。
御者台に座って手綱を持っているロレシオは一言も発さず、寡黙に御者の役割をこなしている。

ロレシオは昨夜のことをハンナに言っていないようだった。言う必要もないと思われているのかもしれない。自然、馬車での会話はハンナとリンファス二人だけのものになった。

馬車の上で話をしている間にも、周りの景色はどんどん変わっていく。
王都の気配が感じられるようになる頃、空に妙に遠近感の狂った枝が伸びていることに気が付いた。

初めは空に浮かんでいる雲の端が黒っぽいのかと思ったらそうではない。その黒っぽい筋は繋がっており、先は雲の上へ、始点はなにやら地面から垂直に立つものから生えていた。

リンファスが疑問に思ってハンナに問うと、

「あれが世界樹よ」

と微笑みながら答えてくれた。
リンファスは世界樹というものを初めて見た。世界『樹』というくらいなんだから、樹なんだろう。何処に生えているのかと問うと、今リンファスが居るこの大陸・アダルシャーンの真ん中だという。

「世界樹はこの世界の真ん中にそびえているの。根は大地を、枝葉は空を支えているわ。リンファスが見ている枝の先は空の上へ伸びていて、雲を吊り上げて支えているの。あの世界樹に、アスナイヌトが宿っているのよ」

ハンナの言葉をぼんやりと聞く。

「アスナイヌトが健やかであることは世界樹が健康に保たれることに繋がるの。つまり世界が揺れずに、私たちが安心して暮らせるためにも、花乙女は大切なのよ」

国が花乙女を保護する理由が、少し分かって来た。
しかしそんな大役を自分が担っているとはとても思えない。リンファスは視線を俯け、膝で握った手を見た。
その様子を察したハンナがそっとその手に手を被せる。

「心配しないで、リンファス。貴女はきっと役目を果たせるわ。その時にこそ、貴女は幸せになるのよ。誰の為でもない、貴女自身の為に」

(幸せ……)

リンファス自身の幸せ、というものを、今まで考えたことがなかった。
リンファスの幸せはファトマルが満足に博打を打てることであり、魚のスープが食べられることであり、浴びるほど酒が飲めることであった。

リンファス自身の幸せ、というものが分からない。

リンファスは、ハンナの言葉にやっぱり俯くしかなかった。