「うぎゃああ!!」

ザシュッ、と何かを切り裂く音がすると、男が大きな叫び声をあげてリンファスを地面に落とした。
うっ、と鈍い呻きを上げると共に何が起きたのかを見極めようと目を開くと、地面に落ちたリンファスの視界に、黒いマントの裾が見えた。その脇には、闇に光る、(やいば)の切っ先。

「花乙女に護衛が付いていることは、知っているだろう」

低く、温度を感じさせない淡々とした声を発し、リンファスを庇った声が容赦なく男に切りかかる。人さらいは悲鳴を上げて許しを請うた。

「き……、切らないでくれ! 金に困ってたんだ!」

「お前の事情など、僕が知ったことではない」

冷ややかな声が夜の闇に落ちる。このままでは男が切られてしまうと悟り、リンファスは自分を庇った黒いマントの裾に縋りついた。

「き……、切らないであげてください……! わ……、わたし、は、無事……、です、し……!」

リンファスがしがみついたことで、ふ、と剣の動きが止まる。さあっと風があたりを通り抜け、その力でマントのフードが持ち上がった。

宿の玄関に灯された灯りに照らされた顔に、フードが深い陰影を刻み、その、ちょうど境目に見えた、きらりと灯りを反射するような左側の瞳が、闇夜でしなやかに跳躍する美しい狼の瞳のようだと思った。

思わず息を飲み込んで顔を見つめると、ロレシオはリンファスの視線に気づいて深くマントを被り直した。

「……ロレシオさん……、や、闇夜に跳ねる、勇ましい狼、みたい、です……。しなやかで、……目が、きれいで……」

軽快な身のこなしも、瞳の輝きも。

そういうリンファスの気持ちを込めて言葉をようように継ぐと、ロレシオは僅かに息をのんだ後、フードをさらに深く被り直した。
顔を隠されると、凍り付いた冷ややかな声しか届かない。それが恐ろしくて、言外に顔を見せてくれと言ったつもりだった。

しかしロレシオは、リンファスの要求を上手に理解したのか、それともリンファスの言いかたが悪くて理解しにくかったのか、より深く、フードを被り直しただけだった。

そのやり取りの間に、人さらいは悲鳴を上げて逃げていった。後に残されたリンファスは、ますますその場にへたり込んだ。その頭上から、冷たい声が降ってくる。

「何故一人で外に出た。花乙女の重要性は、ハンナが教えただろう。それに、奴らを捕縛する機会を邪魔して」

確かにハンナはファトマルに、『国が保護する』と言っていた。でもそれがどんな意味かなんて、考えなかった。考えなかった、リンファスの落ち度だ。

「す……、すみません……」

リンファスが謝罪すると、剣の切っ先がカチンという音をさせて鞘に収まる。

「まあいい。今後は同じことをしないことだ。君は花乙女として生きていくことを決めたのだろう?」

あまりそういう決意の許、ウエルトを出たわけでもなかったリンファスは、ことの大きさに改めて動揺した。
そんな、人の言動までもを左右する決意をしたつもりはなかったのだ。

「……、…………」

地面に這いつくばったまま黙りこくったリンファスをどう思ったのか、リンファスの視線の先でつま先が向こうを向く。

「ロ……、ロ、……レシ、オ……、さん……、何処へ……」

「見張りだ。君がインタルに着くまでの間、これ以上僕を煩わせないでくれ」

言外に邪魔なのだと言われ、リンファスは俯いた。






――――私は何処へ行っても、役に立たない。