私を刺した彼女はずっと牢に入っていましたが、子供が無事に産まれたことで、極刑は免れました。
あの人も他の誰かの子供なのだと思うと、少しホッとするような、あの人が生きているのは怖いような。
今、彼女は辺境の親戚の家に軟禁されるように暮らしていると聞きます。
「こらこら、ウェントス、風をそんなに起こしちゃいけません」
アエテルさんがウェントスを優しく叱りつけています。
ウェントスはぐずるとすぐ羽根を動かして風を巻き起こします。
産まれてきた孫に、お父様もすっかり心を許してしまいました。
今ではウェントスはすっかり我が家の天使です。いえ、精霊と人間のハーフですけどね。
アエテルさんがしばらくウェントスをあやしていると、ウェントスはすやすやと彼のために作られた小さなゆりかごで眠りにつきました。
そしてアエテルさんはカリカリ魔道書に文字を綴っている私を後ろから抱き締めました。
「あらあら、甘えん坊ですね、アエテルさん」
「何の研究をしているんだい、我が伴侶」
「精霊受胎の研究です」
「ちょっと待って、まだやってるのか、それ」
アエテルさんの声が真剣みを帯びます。
「あれは禁術だぞ。我が人間嫌いではない精霊だったからよかったものの、人間嫌いの精霊相手に仕掛けたら、死に至る可能性もあるのだ。封印しなさい。そうしなさい」
「でも、興味があるのだもの……」
「未来の子供達のためにも、封印しなさい」
「むう……」
私は口をとがらせ、拗ねます。
「……それにほら、我がここにいるのだから、第二子は通常の方法でもうければよかろう?」
「え? そういうのもありなんですか」
「うん」
アエテルさんは頷きました。
ちょっと顔が赤らんでいます。
「そ、そうなのですね」
私たちは夫婦らしいことを、せいぜい結婚式での誓いのキスくらいしてこなかったので、その事実に少し照れてしまいます。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙。
ですが、アエテルさんは真っ直ぐな目で私を見つめました。
「何はともあれ、禁術は禁術のままにしてくれ……その、それに、あれだ、他の精霊が君の子供の親になるなんて、我は耐えられん……」
「あ、はい……」
精霊を妊娠するプロセスはいまいち、私には実感が湧いていないのですが、どうも明確に何かを感じるようです。
「……分かりました。ことの顛末を詳細に書き記し、禁術としましょう。でも、他の精霊魔術の研究は続けさせてくださいな?」
「ああ、もちろんだとも」
アエテルさんは満足したように微笑みました。
「……それから、アエテルさん、私のことコレットと呼んで欲しいです」
「えっ!?」
「そんなに驚くことですか……?」
アエテルさんは基本的に私のことを『我が伴侶』と呼びます。
それは正しいのですが、名前を呼んでもらえないのは少し寂しいものがあります。
「…………そ、それは、つまり、死後も我と添い遂げてくれるということか!?」
「えっ?」
「あ、いや、我ら精霊の世界では、血族ではない成人した者の名前をフルネームで呼ぶということはその魂を死後も縛るということになるのだ……。この結婚はお前にとって事故のようなものだし、そこまでは望んでいないのではないかと思ってな……」
「そう、なのですか」
死後のことなど考えたこともありませんでした。
私、まだ21歳ですから。
「……いいですよ、縛りましょう。アエテルニタス」
「!」
アエテルさんは驚きました。
「わ、我の長すぎる名前を覚えていたのか!?」
「はい」
私はアエテルさんの目を真っ直ぐ見つめて微笑みました。
「愛しいあなたの名前ですもの」
「……コレット」
「はい、あなた」
「コレット!!」
アエテルさんは私をギュッと抱き締められました。
そのまま頬に手が添えられます。
結婚式以来のキスを私たちは何度も交わしました。
さて、それから数ヶ月後。
我が家中に魔術の研究部屋から爆発音が鳴り響きました。
「コレットー!?」
アエテルさんが血相を変えて夫婦の私室から研究部屋に飛び込んできます。
ちなみに最近のアエテルさんには私室にいるときに限って発光と全裸を許可しています。
そちらの方が楽らしいので。
「だ、大丈夫か!?」
煙がひどく充満し、お互いの姿が見えません。
「失敗しました……また、禁術が……」
「何をしてるんだ……」
アエテルさんはがっくりと肩を落とします。
「君一人の体ではないんだぞ!」
はい。返す言葉もありません。
私のお腹には第二子が宿っています。ウェントスの弟か妹ですね。
「でも、このくらいならいけるかなって……」
「君ってやつは……で、今回の禁術は……何を……」
煙が私室に流れ込み、アエテルさんが私の姿を捉えます。
彼は呆然と私の姿を見ました。
「アエテルさん?」
彼は黙って私の手を引き、私室の姿見の前に連れて行きました。
鏡の中に見える私の姿は……発光し、ドレスの背を羽根が突き破っていました。
「あらまあ」
「精霊召喚の失敗……融合……」
アエテルさんはがっくりと膝をつきました。
「……しかも、その精霊の魔力は……あいつの……」
「あいつ?」
「アエテルニタスおにいちゃあああああんん!」
ものすごい声が魔術の研究部屋からしました。
女の子の声です。
「で、デアイグニス……」
研究部屋の奥から女の子が泣きながら、現れました。
尖った耳、緑の髪に、金の目。
布を緩やかに巻き付けただけの服装。
どうやら精霊のようです。
「お兄ちゃん! 会いたかった……会いたかったのに……!」
デアなんとかちゃんは私を睨みつけました。
「この泥棒猫! 私の光と羽根を返してよ!」
「あ、これ、あなた様のでしたか……」
「そうよ!!」
デアちゃんは泣きながら、地団駄を踏みました。
「お兄ちゃんに会うために、人間の召喚に応じてやろうとしたらこの仕打ち……許せない!」
デアちゃんは手の平に炎を灯しました。
「燃やしてやるー!」
「やめなさい! デアイグニス!!」
アエテルさんがデアちゃんを叱りつけます。
デアちゃんが炎を投げつけようとしましたが、私が光と羽根を奪ってしまったせいでしょうか、その炎は明らかに元気がなく、途中で立ち消えてしまいました。
「ぎゃーん!」
あまりの騒ぎにスヤスヤ寝ていたウェントスが泣き出します。
ウェントスはすくすく成長して、普通の人間の赤ん坊とかわりないくらいの大きさにまで成長しています。
光る日と光らない日も出てきました。成長の証だそうです。
「何、その……その子、精霊でも人間でもない、何その子」
「我が子だ」
アエテルさんはウェントスをあやしながら、胸を張って答えました。
「……は?」
デアちゃんは呆然と口を開きました。
「この泥棒猫ー!」
「にぎやかですねえ、まあ、ゆっくりしていってください、デアちゃん」
「ゆっくりも何も光と羽根を返してもらえないと帰れないわよ!」
今日も我が家はとてもにぎやかです。
……その後、必死にデアちゃんと研究部屋の書物を読みあさり、アエテルさんには一旦精霊界に戻ってもらい、情報収集をお願いしました。
そうして、なんとか第二子が生まれる前にデアちゃんに光と羽根を返せました。
いやあ、このまま戻らなかったらどうしようかと思いました。
「……次はないから! でも、ウェントスとお腹の赤ちゃんは健やかにね!」
デアちゃんは自分の甥か姪かに祝福の言葉を投げかけると、精霊界に帰って行きました。
私が光と羽根を奪ってしまったせいで失った魔力を回復するには、しばらく精霊界に戻らないといけないそうです。
悪いことをしました。
「……コレット、もう禁術は禁止だ。頼む。やめてくれ」
「…………はい」
「沈黙が長い、コレット。我の目を見てもう一度はいと言ってみろ」
「……第二子が産まれるまでは、はい」
前半を早口かつ小声で言ったのですが、アエテルさんの尖った耳は聞き逃してはくれませんでした。
「コレット!」
「むう……」
拗ねてみせましたが、今回ばかりは通用せず、アエテルさんの手によって、魔術の研究部屋の入り口には板が打ち付けられました。
慣れない釘打ちにアエテルさんの手は腫れ上がりました。
「……大体、精霊の研究をしたかったら我がいるじゃないか……」
今度はアエテルさんがちょっと拗ねてしまいました。
「可愛らしいですね、私のアエテルニタスは」
「……もう、そういう言葉ではごまかされないからな、コレット」
「はい、ごめんなさい」
さすがに素直に謝りました。
婚約破棄から始まった私の日々は、今日もにぎやかで、穏やかで、幸せです。
あの人も他の誰かの子供なのだと思うと、少しホッとするような、あの人が生きているのは怖いような。
今、彼女は辺境の親戚の家に軟禁されるように暮らしていると聞きます。
「こらこら、ウェントス、風をそんなに起こしちゃいけません」
アエテルさんがウェントスを優しく叱りつけています。
ウェントスはぐずるとすぐ羽根を動かして風を巻き起こします。
産まれてきた孫に、お父様もすっかり心を許してしまいました。
今ではウェントスはすっかり我が家の天使です。いえ、精霊と人間のハーフですけどね。
アエテルさんがしばらくウェントスをあやしていると、ウェントスはすやすやと彼のために作られた小さなゆりかごで眠りにつきました。
そしてアエテルさんはカリカリ魔道書に文字を綴っている私を後ろから抱き締めました。
「あらあら、甘えん坊ですね、アエテルさん」
「何の研究をしているんだい、我が伴侶」
「精霊受胎の研究です」
「ちょっと待って、まだやってるのか、それ」
アエテルさんの声が真剣みを帯びます。
「あれは禁術だぞ。我が人間嫌いではない精霊だったからよかったものの、人間嫌いの精霊相手に仕掛けたら、死に至る可能性もあるのだ。封印しなさい。そうしなさい」
「でも、興味があるのだもの……」
「未来の子供達のためにも、封印しなさい」
「むう……」
私は口をとがらせ、拗ねます。
「……それにほら、我がここにいるのだから、第二子は通常の方法でもうければよかろう?」
「え? そういうのもありなんですか」
「うん」
アエテルさんは頷きました。
ちょっと顔が赤らんでいます。
「そ、そうなのですね」
私たちは夫婦らしいことを、せいぜい結婚式での誓いのキスくらいしてこなかったので、その事実に少し照れてしまいます。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙。
ですが、アエテルさんは真っ直ぐな目で私を見つめました。
「何はともあれ、禁術は禁術のままにしてくれ……その、それに、あれだ、他の精霊が君の子供の親になるなんて、我は耐えられん……」
「あ、はい……」
精霊を妊娠するプロセスはいまいち、私には実感が湧いていないのですが、どうも明確に何かを感じるようです。
「……分かりました。ことの顛末を詳細に書き記し、禁術としましょう。でも、他の精霊魔術の研究は続けさせてくださいな?」
「ああ、もちろんだとも」
アエテルさんは満足したように微笑みました。
「……それから、アエテルさん、私のことコレットと呼んで欲しいです」
「えっ!?」
「そんなに驚くことですか……?」
アエテルさんは基本的に私のことを『我が伴侶』と呼びます。
それは正しいのですが、名前を呼んでもらえないのは少し寂しいものがあります。
「…………そ、それは、つまり、死後も我と添い遂げてくれるということか!?」
「えっ?」
「あ、いや、我ら精霊の世界では、血族ではない成人した者の名前をフルネームで呼ぶということはその魂を死後も縛るということになるのだ……。この結婚はお前にとって事故のようなものだし、そこまでは望んでいないのではないかと思ってな……」
「そう、なのですか」
死後のことなど考えたこともありませんでした。
私、まだ21歳ですから。
「……いいですよ、縛りましょう。アエテルニタス」
「!」
アエテルさんは驚きました。
「わ、我の長すぎる名前を覚えていたのか!?」
「はい」
私はアエテルさんの目を真っ直ぐ見つめて微笑みました。
「愛しいあなたの名前ですもの」
「……コレット」
「はい、あなた」
「コレット!!」
アエテルさんは私をギュッと抱き締められました。
そのまま頬に手が添えられます。
結婚式以来のキスを私たちは何度も交わしました。
さて、それから数ヶ月後。
我が家中に魔術の研究部屋から爆発音が鳴り響きました。
「コレットー!?」
アエテルさんが血相を変えて夫婦の私室から研究部屋に飛び込んできます。
ちなみに最近のアエテルさんには私室にいるときに限って発光と全裸を許可しています。
そちらの方が楽らしいので。
「だ、大丈夫か!?」
煙がひどく充満し、お互いの姿が見えません。
「失敗しました……また、禁術が……」
「何をしてるんだ……」
アエテルさんはがっくりと肩を落とします。
「君一人の体ではないんだぞ!」
はい。返す言葉もありません。
私のお腹には第二子が宿っています。ウェントスの弟か妹ですね。
「でも、このくらいならいけるかなって……」
「君ってやつは……で、今回の禁術は……何を……」
煙が私室に流れ込み、アエテルさんが私の姿を捉えます。
彼は呆然と私の姿を見ました。
「アエテルさん?」
彼は黙って私の手を引き、私室の姿見の前に連れて行きました。
鏡の中に見える私の姿は……発光し、ドレスの背を羽根が突き破っていました。
「あらまあ」
「精霊召喚の失敗……融合……」
アエテルさんはがっくりと膝をつきました。
「……しかも、その精霊の魔力は……あいつの……」
「あいつ?」
「アエテルニタスおにいちゃあああああんん!」
ものすごい声が魔術の研究部屋からしました。
女の子の声です。
「で、デアイグニス……」
研究部屋の奥から女の子が泣きながら、現れました。
尖った耳、緑の髪に、金の目。
布を緩やかに巻き付けただけの服装。
どうやら精霊のようです。
「お兄ちゃん! 会いたかった……会いたかったのに……!」
デアなんとかちゃんは私を睨みつけました。
「この泥棒猫! 私の光と羽根を返してよ!」
「あ、これ、あなた様のでしたか……」
「そうよ!!」
デアちゃんは泣きながら、地団駄を踏みました。
「お兄ちゃんに会うために、人間の召喚に応じてやろうとしたらこの仕打ち……許せない!」
デアちゃんは手の平に炎を灯しました。
「燃やしてやるー!」
「やめなさい! デアイグニス!!」
アエテルさんがデアちゃんを叱りつけます。
デアちゃんが炎を投げつけようとしましたが、私が光と羽根を奪ってしまったせいでしょうか、その炎は明らかに元気がなく、途中で立ち消えてしまいました。
「ぎゃーん!」
あまりの騒ぎにスヤスヤ寝ていたウェントスが泣き出します。
ウェントスはすくすく成長して、普通の人間の赤ん坊とかわりないくらいの大きさにまで成長しています。
光る日と光らない日も出てきました。成長の証だそうです。
「何、その……その子、精霊でも人間でもない、何その子」
「我が子だ」
アエテルさんはウェントスをあやしながら、胸を張って答えました。
「……は?」
デアちゃんは呆然と口を開きました。
「この泥棒猫ー!」
「にぎやかですねえ、まあ、ゆっくりしていってください、デアちゃん」
「ゆっくりも何も光と羽根を返してもらえないと帰れないわよ!」
今日も我が家はとてもにぎやかです。
……その後、必死にデアちゃんと研究部屋の書物を読みあさり、アエテルさんには一旦精霊界に戻ってもらい、情報収集をお願いしました。
そうして、なんとか第二子が生まれる前にデアちゃんに光と羽根を返せました。
いやあ、このまま戻らなかったらどうしようかと思いました。
「……次はないから! でも、ウェントスとお腹の赤ちゃんは健やかにね!」
デアちゃんは自分の甥か姪かに祝福の言葉を投げかけると、精霊界に帰って行きました。
私が光と羽根を奪ってしまったせいで失った魔力を回復するには、しばらく精霊界に戻らないといけないそうです。
悪いことをしました。
「……コレット、もう禁術は禁止だ。頼む。やめてくれ」
「…………はい」
「沈黙が長い、コレット。我の目を見てもう一度はいと言ってみろ」
「……第二子が産まれるまでは、はい」
前半を早口かつ小声で言ったのですが、アエテルさんの尖った耳は聞き逃してはくれませんでした。
「コレット!」
「むう……」
拗ねてみせましたが、今回ばかりは通用せず、アエテルさんの手によって、魔術の研究部屋の入り口には板が打ち付けられました。
慣れない釘打ちにアエテルさんの手は腫れ上がりました。
「……大体、精霊の研究をしたかったら我がいるじゃないか……」
今度はアエテルさんがちょっと拗ねてしまいました。
「可愛らしいですね、私のアエテルニタスは」
「……もう、そういう言葉ではごまかされないからな、コレット」
「はい、ごめんなさい」
さすがに素直に謝りました。
婚約破棄から始まった私の日々は、今日もにぎやかで、穏やかで、幸せです。