俺は中学三年のときに病気のために視力を失った。正確に言うと、少しは見えるのだが、極端に視野が狭く、視力が極端に悪く、世界は暗い。視力が落ちるということは光が感じられないという青春を送ることとなった。俺が何をしたというのだろう? 人生不公平だ。俺から青春の光を奪うとは、何様のつもりだ。俺は、希望の光を失った。

 具体的に述べると、トイレットペーパーの芯を覗いた程度の視野だ。視界が狭いこと、この上ない。さらに、視力と言ったら0.01程度にもかかわらず、メガネもコンタクトも俺には無駄な代物だ。不便なことといえば、ファーストフードの店に行ったときに、当たり前のように店員にメニューを聞かれるのだが、壁の上の方にある価格表なんて見えるはずがない。事前にスマホでメニューと値段を調べておく、これが鉄則だ。そして、スマホは拡大できるので極力拡大して近づけて見る。それでなんとかしのぐ。ファーストフードの店ひとつでなんとも工夫が必要な生活となってしまった。

 そして、さらにわからないこととして、人の顔だ。遠くで手を振られても、誰なのかわからないし、近い距離でも顔がぼやける。相手は事情が知らなければ、無視されたと思うだろうし、こればかりはしょうがない。こちらに悪気はないのだが誤解されることも多々ある。

 結局その後、視覚支援学校へ進学を決めた。なぜならば設備と学習環境は普通の高校よりずっといいわけで、自分のためだ。そして、資格取得などの将来の職業に関係する資格も取ることができる。職業選択の幅も狭まった。希望はなくなったのか? 俺の中で元々、やりたい仕事というものも特に進学して勉強したいというものもなかった。サッカー部に所属していたので、もうサッカーができないということだけが心残りかもしれない。

 自転車に乗ることもできない。なぜならば、道の凹凸が見えないからだ。杖がなくても歩けるのだが、道の凹凸はある程度の視力がなければ認識ができない。だから、車の免許をとることもできないし、小学生がすいすいと乗っている自転車ですら、乗れないなんて、くやしい。でも、ここで泣いても何も変わらない。俺は資格支援学校に入学することに決めた。光を感じにくい俺でも春の日差しは温かく優しい光だということはわかる。

 俺の場合、音が重要だ。だから雪の日は音を吸収されてしまうのでとても怖い。目が見えているときは、見えない状態で生きていけるわけがないと思っていた。しかし、聴覚が目の代わりをしてくれるということに失って気づいた。人間はどこかが使えない分を何かでおぎなうという習性があるらしい。実に人間の体はよくできていると思う。人の外見で判断することもなくなり、見えないことはその人の本質を見ることができるという結果を生んだ。不幸せに思えることの中にも幸せは潜んでいるということを身をもって知った。そんなことを知りたかったわけでもないが、自暴自棄になって、取り乱したとしても何も起こらない。そんなことはわかっている。しかし、事実を受け止め、受け入れる作業は簡単なことではない。毎日の生活が180度変わってしまったからだ。不便が当たり前だからだ。辛い、辛いと毎日心の中は澱んでおり、雨雲が常に心の中を支配して涙の雨を降らせようとしていた。

「サッカーやっていたんだって?」

 担任が話しかけてきた。この学校は小学校からエスカレーター式で上がってくる生徒が多く、仲間に入りにくい雰囲気が出来上がっていた。そんな俺の様子を見て、担任となった20代の若手教師は折を見て話しかけて来る。この学校は今まで通学していた中学校の学級よりも人数が少なく、教師の目も届きやすいという利点があった。俺を心配した親がこの高校を一押ししており、進学の決め手となった大きな要因となった。実際、利点というより、話しかけるな、一人にしてくれという気持ちが大きかった。いろいろな支援学校を見て、ここの視覚支援学校に決めたのは俺というよりは親だ。そりゃそうだろう。視覚支援の設備が一番あり、理解があるのはここしかない。むしろ一択だろう。

 健常といわれている人たちと一緒に生活したいとも思えなかったので、俺も納得して入学した。もちろん、青春らしい楽しいこともない毎日がただ過ぎていく、そんな感じだ。まるで何も考えていない空に浮かぶ雲みたいに俺は自分の意志や希望を持っていないような気がした。以前の明るい視界を知っているからこその落胆とやるせなさが募る。

 担任が1枚の紙を持ってきた。

「ブラインドサッカーやってみないか?」

「視覚障害があってもできるサッカーですよね?」

 なんとなく聞いた事がある程度だ。ボールから音が鳴るので、聴覚を頼りにボールを蹴り進む。そんなこと、興味はなかった。かつてサッカーは好きだったが、ブラインドサッカーに魅力は感じていなかった。

「運動神経はいいし、かつて県の選抜にも選ばれた選手だったと聞いたよ。幼少期からサッカーを習っていたと親御さんも言っていたし。実は僕は、ブラインドサッカー部の顧問をやっているんだ」

「先生はサッカー経験者?」

「僕もサッカー経験者なんだけれど、ブラインドサッカーもやってみたらこれは難しい。でも僕は、はまったよ。すごく奥が深いスポーツだ」

「俺、もうそういった面倒なことはやりたくないんだ。ただでさえ、見えない生活は大変なのに、部活どころじゃないし」

「やってみたらいい。たまには思いっきり汗をかいてみよう。憂鬱なことを体を動かすことで忘れられたりする。俺の場合は仕事の嫌なことはスポーツで忘れるタイプだから」

 先生は年が若いせいか、同世代に近い感覚がある。話していると声のトーンでなんとなく相手の雰囲気がつかめるようになってきたような気がした。

 仕方なく始めた部活だった。最初は難しく感じたブラインドサッカー。音を頼りに蹴るということは自分には経験がないことだった。だから、今までのやり方は通用しない世界だった。部活を通して知り合いができて、知り合いが友達になって……。夏になるころには仲間と呼べる関係になっていた。一歩踏み出す勇気が俺を変えた。面倒だとか、妥協という気持ちはなくなっていた。

 今日もボールの音を追いかけて生きている。それが、生きる楽しさであり俺の青春だ。夏の音は俺を包む。

 何もせず過ごしているなんてもったいない。何歳になったとしても、障がいを抱えたとしても、病気になっても人生の選択肢は無限にある。夢中になれること、好きなことを見つけたらそれを楽しむことが人生じゃないか?

***
「いかがでしたか? 視力を失った生活の体験」
「そうだな、失ってもなんとかなるもんだな」
「じゃあ、あなたの視力と引き換えに何でもあなたのねがいをかなえますよ」
「じゃあ、彼女に半分俺の視力をわけてほしい。自慢じゃないが俺の視力はかなりいいからな。半分くらいあげてもなんとかなる。お互い弱視同士になるけれど、少しは見える生活ができるわけだろ」
「半分こですか。それはいい考えですね。お幸せに」

 隣には同じく体験を終えた俺の彼女がいる。彼女はほとんど目が見えない。だから、俺は彼女と光を分かち合う。視力をはんぶんこするんだ。

「近々当施設では聴力や寿命もはんぶんこできるようにできますので、ご検討くださいませ。幸せははんぶんこするものですからね」

 施設の博士は勝ち誇ったかのようにほくそ笑む。
 きっとはんぶんこの契約の先に博士に有利な何かがあるのだろう。
 あなたは、何ならば、はんぶんこできますか?