「今日、夕方花火でもやらない?」
 葉月さんが提案した。
「この時期に花火売ってないでしょ」
 藤沢がつっこむ。
「実は去年の花火が家にのこっていたから持ってきたよ!」
「いいのぉ」
 ばあちゃんの口調は結構目立つのだが、誰も気に留めていないようだ。慣れたのかもしれない。

 一緒に講義を聞いて、食堂で昼飯を食べて、サークルを見学して、一日はあっという間だ。ばあちゃんの話がほんとうならば、あと一日しかない……のかもしれない。

 藤沢とのおしゃべりは、ばあちゃんにとって死んだじいちゃんと一緒にいるみたいで楽しいのだろう。終始笑顔だ。でも、死ぬことがわかっているのにこんなに笑顔でいられるものなのだろうか? ある程度歳を取ると悟りの窮地に落ち着くものなのか? 若干二十歳の僕には、わからない。

 その夜、寝る前にばあちゃんと色々話をした。どうでもいい話だった。
 ばあちゃんは、最期におやすみではなく、ありがとうと言った。
 僕はあと丸一日こんな時間が続くと思っていた。

 朝になって僕の隣に、ばあちゃんはいなかった。散歩に行ったのかと思ったのだが、ばあちゃんは携帯を持っていない。連絡のしようがなかった。きっとコンビニにでも行ったのだろうと思っていたのだが――。田舎のばあちゃんのうちにも電話をしたのだが、僕の母親が出た。遊びに来ていたのか?

 母親から思いもよらない一言が発せられた。

「ばあちゃん、死んだよ……」
 ばあちゃんは東京にいるはずだ。何かの間違いだと言い聞かせた。
「若い女性ではなく、八十歳のばあちゃんなのか?」
 変な質問だと思われたかもしれない。

「当たり前だ。今朝、突然倒れたみたいで。そのまま天国に行ってしまった……」
 涙を流しながら、かあさんは電話をしているようだった。

「だって、ばあちゃんは東京に来ていたはずだ」

「何言っているんだ? 昨日も、ばあちゃんに会ったけど元気にしていたぞ」

「ばあちゃん、田舎にいたのか?」

「そりゃそうだ。最近歩くのもしんどくなっていたからな。おまえに会いたいって言っていたけれど、かなわなかったな……」

 いや……僕は、ばあちゃんに会っていたのだから。だから、ばあちゃんの願いはかなっていた。

 幸せの形は人それぞれかもしれない。
 寝たきりになっても少しでも長く生きてほしいと思う家族もいるだろう。
 胃に穴をあけて胃ろうをして長生きする人もいる。しかし、そこまでして生きたくないと死を選ぶ人もいる。
 自分だったら、どちらを選ぶか?

 僕はあと一か月の寿命だったら老体を選ぶのか?
 若い姿で三日間を選ぶのか?
 それが老体で一年の寿命だったら――老体で一年を選ぶのか?
 老体で寝たきりだったら?
 考えたらきりがないくらい選択肢があった。

 一つ言えることは―――
 ばあちゃんは、ばあちゃんらしい最期を迎えられたのだと思う。もしかしたら、ダメな俺を励ましに来てくれたのかもしれない。
 自分らしい最期ってなんだろうな?