僕の大学は、今いる場所から歩いても行ける距離にある。都心部にあるので利便性はいい。東京に憧れて田舎から上京したのだが、何か変わったのかというと――自分の本質はそんなに変わっていない。何か成し遂げられそうかといわれると――何も成し遂げられそうにもない。
都会は田舎に比べると他人に無関心で、気楽と言えば気楽だ。しかし、つながりという面では田舎の面倒な習慣も少し懐かしくなる。お節介がたまに懐かしくなるのだ。甘いものを食べたらしょっぱいものを食べたくなる心理に似ている。少し都会の無関心よりお節介が懐かしくなっていた今日この頃、ばあちゃんが来てくれたことには、感謝していた。何かの贈り物なのかもしれない。ばあちゃんの漬物が最近無性に愛おしいのだ。
日曜の昼間の原宿には無縁だったが……まさか実のばあちゃんと来るとは。傍目に見たらカップルだと思われるかもしれないが、祖母と孫なのだ。もしかしたら、若い時に遊ぶ暇がなかったばあちゃんが、やってみたかったことなのかもしれない。若くして結婚して、育児や家事や仕事に追われた生活を送っていたばあちゃんは、もし現代の若者だったとしたら――もっと楽しい毎日を送れていたのかもしれない。
いつもばあちゃんは、指にあかぎれやヒビが入って痛そうな印象があった。ガサガサしていた指は今は跡形もなく、みずみずしい肌をしていた。
「あれ~、ひびきくんじゃない?」
大学の同級生の葉月さんだ。教育学部で小学校の教員を目指している女性だ。
こんなところで会うとは。
「こちらは……?」
聞いていいものかな? という遠慮しながらも、関係を探る葉月さん。
「あたしは、妹でございます。いつもひびきがお世話になっております」
「あぁ、妹さんか。大人っぽい口調――というかしっかりした妹さんですね」
少しほっとした表情をうかべる。
「よかったら、あんたも一緒にどうかの?」
「え? いいんですか?」
「葉月さん、忙しいんだから誘うなんてだめだよ」
――とばあちゃんに注意を促すが……
「私、暇だからもしよければ、ご一緒します」
葉月さんから、思ってもみない返答だった。思いもよらぬ三人の休日が始まった。そんなに話したこともない同級生なのだが、何を話せばいいのか戸惑う。失恋の翌日にまさか女性二人と買い物とは、人生何が起こるかわからないものだ。
「私は葉月若菜です。妹さんのお名前は?」
「椿油と同じ名前の椿です」
椿油を使う若者は今日日少ないだろう……。老人クラブの自己紹介じゃないんだからと思っていると。
「椿油っておばあちゃんが髪の毛に塗っていました。艶が出るからいいとか言っていましたよ」
「そうだろ。濡髪美人と言って、昔から油を塗るのはお約束なんじゃよ」
「なんだか、椿ちゃんっておばあちゃんみたいですね」
鋭い。この人はこうみえて僕のばあちゃんだ。若く見えるが八十歳なんだ。でも、ここで説明しても誰も信じてはくれない。妹はいないが、妹と言ったほうが理解してもらえるだろう。
椿おばあちゃんは、おしゃれなのだが――センスはやはり年寄りくさい。
現代のおしゃれというものを理解していない。僕自身も人のこといえた義理ではないのだが……。なぜか茶色系統の色合いの洋服が多いように思う。そうだ、葉月さんならばきっと今時なファッションをコーディネートしてくれるに違いない。
そんなに話す仲でもないのに、偶然会っただけの葉月さんとは、急ではあるが、親近感を覚えた。
「ばあ……椿が新しい洋服を欲しいと言っているんだ。葉月さんコーディネートしてよ」
ばあちゃんと言おうとしたが、何て呼ぼうか一瞬戸惑った。椿ちゃん? 椿さん? 妹としては呼び捨てが一番妥当だと思った。ばあちゃんのしみもしわも知っている僕が急に呼び捨てというのも若干変な感じだったが 僕は兄に徹することが一番だという結論に達した。
僕は女性の洋服の店自体知らないので、葉月さんの後をついてく形になった。
「ここは良心的な値段でかわいい服がいっぱいあるんですよ」
店内は女性らしいインテリアで 男の僕が入ることは少々気が引けた。しかし、外で待っているのも少々不自然な感じがして、二人の後から店に入ってみた。東京に来てはじめての女性服の店だ。店内には若い女性しかいない。男一人で入ることは不可能な領域としか思えなかった。この店に入ると、余計ばあちゃんの着ている服は目立つ。老人クラブに着ていけば、違和感のない感じの服だ。
葉月さんが選んでくれた洋服はセンスが良く、雑誌に載っていそうなものを上手に選んでくれた。まるで店員さんのようだった。
上下二着ほど着回しできるように、春らしい色合いのパステルカラーのピンクと水色のトップスを二着。下は黒を基調としたストライプのロングスカートとひざ上のデニム生地のスカートを選んでくれた。たしかに下のスカートは黒やデニムは鉄板だ。どんな色を上に着ても似合うように計算されていた。
東京に来て2年目だが、女子と一緒にこのような店に入ったことは初めてだった。失恋の悲しさは、いつのまにか薄れている自分がいた。
「ほぉー。最近はこのような服が流行っているんかい。おぬし、服の選び方が上手じゃの」
このおばば言葉に葉月さんは違和感を感じているのだろう。
僕が「この言葉、田舎町の方言だから……」
何とかごまかす。僕の町でも若い人は使わない言葉だ。
目の前にいる人がどんなに美少女でも僕のばあちゃんだからな。
肉親ゆえかドキドキも何も感じない……。
これが知らない女の子で突然うちにきたのなら、恋か愛がはじまるのかもしれないが。でも、いくら美少女が突然現れたとしても、まず警察に連絡するだろう。不審者が来たって。それが僕の性格だ。
支払いを終えて、今買った服をそのまま着て帰ることにしたばあちゃんは、まさに今時の若者そのものであった。誰も八十歳なんて思う人はいない。大都会の東京の若者の街になじんでいるのだ。さすが美少女!!
「少しのどが渇いたのお。お茶でも飲まぬか?」
「私、おいしいパンケーキのお店知っていますよ。行ってみますか?」
葉月さんは流行に敏感な人だ。常に情報をリサーチしているし、今のトレンドを把握することが上手だと思う。今時女子とでもいおうか。パンケーキは嫌いじゃない。むしろ好きだ。しかし、男一人で店には入りづらかった。これはチャンス到来だ。
しかし、別世界に住む学生だと葉月さんのことを思っていたから――こんな一日を過ごせるとは……別世界の人間になったように錯覚してしまう。ばあちゃんのおかげで僕の世界が広がった。失恋の悲しみも、ばあちゃんのおかげで、吹き飛んでくれそうだ。
今の時間帯は比較的空いていたらしくラッキーなことにすんなり入店できた。メニュー表を見ると、スイーツの類となるパンケーキがたくさんある。フルーツが乗っていたり、ホイップが乗っていたり……。写真にアップしたら映えること間違いないもののオンパレードだ。目移りするおいしさの楽園だった。スイーツ好きにはたまらない世界がここにある。
「もしかして、パンケーキ好きなの?」
僕の目がそう物語っていたのだろうか? 葉月さんが勘づいたらしい。
「結構、甘いものとか好きなんだよね。でも男一人っていうのも気が引けて――このような店は、はじめてなんだよね」
女子と話すことに慣れていないので、少し、しどろもどろしながら返事をした。
「じゃあ、今度またスイーツめぐりしない?」
葉月さんが思わぬ提案をしたので驚いてしまったが、断る理由もないので
「じゃあまた、よろしくおねがいします」と返答する。人生、一歩外に出たら意外と楽しいことが待っているかもしれない。今日1日部屋で泣いていたら、新たな楽しい出来事に出会うことはなかっただろう。ばあちゃんに感謝だな。
そのやり取りを見てにんまりする美少女(ばあちゃん)。身内が一緒だと正直、やりづらい。
「あたしも甘いものに目がないのだが。パンケーキという代物ははじめてだ」
「椿ちゃん、食べたことないの?」
「うむ。これはきっとうまいんじゃろうな」
席に着くとメニュー表を見て、じっくり選ぶ。
慣れた様子で葉月さんは即決していた。
バナナとチョコレートソースの人気の一品らしい。
ばあちゃんは「やっぱりあんこがのっているのがいいのぉ」といって
和風パンケーキを選んだ。
そして僕はいちごが沢山乗っているパンケーキを選んだ。
イチゴのスイーツに目がないのだ。
僕たち三人は、おいしいパンケーキに囲まれる幸せな時間を過ごしていた。
「歯が丈夫だと何でも噛めるのぉ。若いっていいのぉ」
何とも年寄りくさい発言に、受け狙いだと思った葉月さんはその発言を笑い飛ばした。
「腹もいっぱいになったし、大学を見学してみたいのお」
「いいですよ。案内しましょうか?」
葉月さんは貴重な日曜に、僕と妹(ばあちゃん)と一緒にこんなことしていて時間の無駄だと思わないのだろうか? 案内するという言葉に恐縮してしまった。
「カラオケに行きたいのお」
ばあちゃんが提案する。
カラオケに行っても、今流行の歌とか歌えないだろ。俺は心の中で突っ込んだが、ばあちゃんは老人クラブでもカラオケクラブに所属するほどのカラオケ好きだ。まぁ、いっか。
「椿ちゃんが行くなら、俺も行きたい!!」
藤沢、その台詞から想像するに、ばあちゃんを気に入ったのか?
「私も今日暇なので、行ってもいいかな?」葉月さんが聞くと
「もちろんじゃ」ばあちゃんがポーズをとる。
葉月さん、暇なのかな? もしかしてばあちゃんと同じ藤沢狙いか?
俺は恋の三角関係に対して少し心配になったが、ばあちゃんは八十歳だ。分別をわきまえた大人だと言い聞かせ自分自身、納得することにした。
「カラオケボックス、立派じゃの。いつも公民館で歌っておったから」
「公民館?」
藤沢と葉月が反応したが。
「うちは田舎で、近くの公民館借りて友達と歌ったりすることもあるんだよね」
本当は、さすがに高校生は公民館をかりてカラオケなどしないのだが。
「そーなんだ」二人とも幸い都会育ちらしく、納得してくれた。
「ばーちゃん、演歌歌うなよ。高校生で演歌歌う人いないぞ」
小声で耳打ちする。ばあちゃんは以前は耳が遠い時があったが今は無敵の十八歳だ。小さな声もばっちり聞こえているようだ。
「なにを歌えばいいのじゃ?」
「紅白に出ているような演歌歌手なら、受け狙いでいけるかもしれないし……。僕が見ていたアニメの歌、覚えているか? あれでもいいかもよ」
「君が代、いれてくれんか?」
俺は、ばあちゃんの提案に少々戸惑ったが、それはそれでみんなが知っているメジャーな曲だから、ありだろうと思った。
「椿ちゃんって面白いね」
藤沢はばあちゃんの奇行を前向きに受け取ってくれたようだ。
面白い人というポジションは、いまのばあちゃんには都合がいい。
君が代が流れて、そのあとは他の人が入れた流行の曲が入る。
「蛍の光入っているけど……椿ちゃんかな?」
藤沢がマイクを渡す。
ばあちゃん、蛍の光もメジャーだがな……。
あまり、カラオケで歌う人はいないと思うぞ。
カラオケではフリータイム料金だったので、ここで夕食を頼むことにした。
ある程度歌うと、のどが疲れるものだ。少し食事をして休憩をはさむことにした。
藤沢は、ばあちゃんのことが気に入ったらしく、ばあちゃんの隣を陣取って、色々話しかけている。実年齢を知ったら、百年の恋も冷めるだろうということを知っている僕は、静かに傍観することにした。悪いな、藤沢。これもばあちゃん孝行だと思ってくれ。
必然的に僕と葉月さんが二人残される。仕方なく、横に座っている葉月さんと世間話を作り出す。元々おしゃべりが苦手な僕は、世間話などを容易にできるほうでもない。しかも同世代の異性というのは、正直ハードルが高い。
葉月さんは話題作りが得意な様子で僕に色々質問をしてきた。
意外だったのは葉月さんが少年漫画好きだということだ。僕は今でも毎週買っている週刊誌を彼女も読んでいた。ファッション雑誌の類しか読まないと思っていたので、意外性があった。
「キャンパスライフっていうのをエンジョイしたいのぉ」
「じゃあ、明日からなんちゃって女子大生になっちゃいますか?」
藤沢が提案した。
藤沢はばあちゃんのことが気に入ったらしい。美少女に惚れるということ自体は理解できる。ばあちゃんは未亡人となって今は独身だし、成人しているし、孫として文句は言えないな。
「藤沢くん。明日からよろしゅうお願いします」
深々と頭を下げる。十八歳の若い女子にしてはやはり動作に違和感しかないが。とりあえず傍目から見た若者四人は、解散することになった。
「藤沢君、良い男じゃのぉ。顔だけではなく性格もいい男じゃないか」
「じいさんの若い時の写真だ。似ているだろ?」
「あ、藤沢にそっくりだ」
「運命かのぉ。余命いくばくもない老人にきっと夢を与えてくれたに違いねえ」
「余命って本当に三日なのか?」
「そうだ」
「まさか冗談だろ」
「神のお告げだ。間違いねえ」
「残された二日を楽しく過ごすべな。おまえさんもくよくよせず、新しい恋を見つけるんだぞ」
たしかに八十歳という年齢を考えると、いつ死んでもおかしくないのだが。
目の前にいるのは十八歳の若い健康な女性だ。
「もしかして、病気なのか?」
「血圧とか老眼とか足腰が痛いとか耳が遠いとか――色々体に故障はでていたけんども、今は若いからなんともないよ。でも三日後に八十歳の体に戻った時には死ぬって言われているからのぉ」
「じゃあこのままでいられないの? 永遠の十八歳とか」
「いんや、人には寿命があるからのぉ。姿を偽っても寿命は限りがある」
「八十五歳くらいまでは生きられるんじゃないのか?」
「それは無理だ。死ぬとお告げがあったのだ。一か月の余命を八十歳のまま過ごすか三日だけ十八歳になって死ぬか、二つに一つを選べと言われてな。どうせなら楽しんで死ぬという選択をしたんじゃ」
「なんで? 若くなれるのは、ばあちゃんだけ? 死神なんているのか?」
「結構いるんじゃて。二日だけとか一日だけとか若い肉体で過ごしたいと願う高齢者。でもそのことは一人にしか話してはいけないらしいんじゃ。」
「もし、二人以上に話したら?」
「その時は即死じゃて」
「結構怖い条件だな」
「どうせ元々老体でも一か月。十八歳の肉体ならば三日間の寿命。ならば若返って楽しんだほうがいいじゃろ?」
僕にはどちらともいえなかった。大好きなばあちゃんには、なるべく長く生きてほしかったけれど、八十歳の体で東京に来ることは大変だっただろうし、ばあちゃんは僕に会えないまま死んでしまっただろう。
朝になると、やはりばあちゃんは朝から元気で、見た目は十八歳のままだった。
大学に一限目から行く気満々で
「女子大生にみえるかの?」
などと言っている。
まぁ見た目ならば、大学生に見えなくもないが、相変わらず年寄りくさい話し方をする。こればかりは癖になっていて治らないようだ。
大学に行くと、昨日のメンバーが手を振ってくれる。
ばあちゃんは昨日着ていないほうの新しい洋服を着て登校した。はりパステルカラーの色合いは春の季節に合っていたし、美少女という点で、どんな色合いも着こなせるのだ。
最強だな、僕のばあちゃんは。
「今日、夕方花火でもやらない?」
葉月さんが提案した。
「この時期に花火売ってないでしょ」
藤沢がつっこむ。
「実は去年の花火が家にのこっていたから持ってきたよ!」
「いいのぉ」
ばあちゃんの口調は結構目立つのだが、誰も気に留めていないようだ。慣れたのかもしれない。
一緒に講義を聞いて、食堂で昼飯を食べて、サークルを見学して、一日はあっという間だ。ばあちゃんの話がほんとうならば、あと一日しかない……のかもしれない。
藤沢とのおしゃべりは、ばあちゃんにとって死んだじいちゃんと一緒にいるみたいで楽しいのだろう。終始笑顔だ。でも、死ぬことがわかっているのにこんなに笑顔でいられるものなのだろうか? ある程度歳を取ると悟りの窮地に落ち着くものなのか? 若干二十歳の僕には、わからない。
その夜、寝る前にばあちゃんと色々話をした。どうでもいい話だった。
ばあちゃんは、最期におやすみではなく、ありがとうと言った。
僕はあと丸一日こんな時間が続くと思っていた。
朝になって僕の隣に、ばあちゃんはいなかった。散歩に行ったのかと思ったのだが、ばあちゃんは携帯を持っていない。連絡のしようがなかった。きっとコンビニにでも行ったのだろうと思っていたのだが――。田舎のばあちゃんのうちにも電話をしたのだが、僕の母親が出た。遊びに来ていたのか?
母親から思いもよらない一言が発せられた。
「ばあちゃん、死んだよ……」
ばあちゃんは東京にいるはずだ。何かの間違いだと言い聞かせた。
「若い女性ではなく、八十歳のばあちゃんなのか?」
変な質問だと思われたかもしれない。
「当たり前だ。今朝、突然倒れたみたいで。そのまま天国に行ってしまった……」
涙を流しながら、かあさんは電話をしているようだった。
「だって、ばあちゃんは東京に来ていたはずだ」
「何言っているんだ? 昨日も、ばあちゃんに会ったけど元気にしていたぞ」
「ばあちゃん、田舎にいたのか?」
「そりゃそうだ。最近歩くのもしんどくなっていたからな。おまえに会いたいって言っていたけれど、かなわなかったな……」
いや……僕は、ばあちゃんに会っていたのだから。だから、ばあちゃんの願いはかなっていた。
幸せの形は人それぞれかもしれない。
寝たきりになっても少しでも長く生きてほしいと思う家族もいるだろう。
胃に穴をあけて胃ろうをして長生きする人もいる。しかし、そこまでして生きたくないと死を選ぶ人もいる。
自分だったら、どちらを選ぶか?
僕はあと一か月の寿命だったら老体を選ぶのか?
若い姿で三日間を選ぶのか?
それが老体で一年の寿命だったら――老体で一年を選ぶのか?
老体で寝たきりだったら?
考えたらきりがないくらい選択肢があった。
一つ言えることは―――
ばあちゃんは、ばあちゃんらしい最期を迎えられたのだと思う。もしかしたら、ダメな俺を励ましに来てくれたのかもしれない。
自分らしい最期ってなんだろうな?