私は小さい頃から病弱だった。だから、学校にもあまり行けていなかったし、遊園地やレジャーなど楽しい経験はあまりない。体に負担をかけるアウトドアやスポーツは経験があまりない。なにもできないまま、私は命が終わってしまうのだろうか。もしかしたら、よくなってちゃんと大人になれるかもしれない。長く生きていけるのかもしれない。

 一抹の不安とわずかな希望に挟まれるととても不安な気持ちになる。ひとりぼっちはどうしようもなく寂しい気持ちになる。薬品のにおいのする病室、無機質な部屋のつくりも娯楽とは縁遠い。学校にあまり行けていないので友達はいない。何故、私は生まれてきたのだろうか? 窓の外の桜の木を見つめる。家族も仕事があり、ずっと一緒にいるわけではない。毎日会えるわけではない。私は、孤独だ。

 入院している窓から見える桜は花びらが散ってしまい、青々とした新緑に覆われていたのにいつのまにか紅葉していた。私は何もしていないのに、季節だけが変わっていく。木の葉がどんどん落ちていき、枝ばかりになる様子を見ているとさびしい気持ちになる。私も、冬の枯れ木みたいになって終わっていくのだろうか。マイナス思考になる。話し相手は看護師さん、医師くらいだろうか。そして家族。青春らしい思い出もないなんて、私の体は欠陥品だ。

 すると、声が聞こえた。幻聴だろうかと耳を疑う。

「元気出してよ。僕は天使だよ。君の好きな場所に連れて行ってあげるよ」

 そこにはきれいな顔の少年がいた。突然どこからか入ってきたようだ。
 先程まで気配はなかった。幻覚だろうか? 思わず自分の頬をつねる。とりあえずさびしかった私はその少年の声に答えてみる。

「まさか、そんなことできるわけないでしょ。ここは病院で入院中なんだから、あなた誰なの? 何者?」

 私の目は疑いに満ちていた。

「大丈夫、僕は天使。天使の力だったら幽体離脱でばれないように外にいけるよ。実体には負担はかからないから、病気でも息切れすることなく空を飛んで移動できるんだよ」
 信じられないけれど、天使という彼は、宙に浮いていた。普通の人間ではないらしい。そして、私以外の人間には見えないとのことだ。

 天使と名乗る彼は、ある日、突然現れて、私が望むねがいをかなえてくれた。無限に広がる空の世界は斬新だった。幽体離脱する時間は看護師が来ない時間帯で私が寝ている時間。長い入院でどの時間帯に見回りが来るかどうかは把握できていたし、肉体に負担がかからないから、苦しくはない。幽体離脱には天使が側にいなければいけないから、必然的にいつも彼と一緒だ。

 上を見ると粉を散らばめたような星が輝く広い世界。下を見ると、広がる金平糖みたいなピカピカの景色が私を包む。俗に言うイルミネーションとか夜景というものを私は病院の窓からしか見たことがなかった。思いのほか、空の上はちっとも怖くなかった。少年の手が私の手を握ってくれていたからかもしれない。

 遊園地、公園、夜だけれど特別な空間だ。ずっと行きたくても行けなかった場所にいけたことは大変ありがたい。同じ歳くらいの男の子と一緒に行くこと自体初めての体験だ。天使というだけあって、優しい顔立ちで笑顔がかわいい。私が言うのもなんだが、男子なのに美しさとかわいさを兼ね備える。今まで出会ったことがないくらい理想的な王子様だった。

 彼は、想像していた天使そのものだった。

「私のためにどうしてこんなに一生懸命やってくれるの? 病気でずっと出かけられなかったからかわいそうだと思って連れ出してくれたの?」
「女の子には基本優しくするのが僕の仕事だ。かわいい君には楽しい思いをしてもらいたい」
「天使ってどこから来るの?」
「空の上かな……僕の住処は君の心って住所に書きたいけど、だめかな? 君といると楽しいし、ずっと君の専属担当天使になりたいよ」

 思わせぶりな態度でにこりと笑うと、じっと漆黒の瞳で私の顔をのぞきこむ。
 距離が近いので、私の心臓はおかしくそうだ。

「専属担当って……私だけの天使として一緒にいるってこと?」
「だって、君の体温は心地いい。はかなくて、今にも散りそうな君を支えたくなるんだ」
「こんな時間がずっと続くといいね」
「そうだね」
 天使は今日も私を連れ出してくれる。幽体離脱は肉体の疲れがないので、実体には影響が全くないようだ。

 ビルの屋上に二人で座る。
「デートみたいだね」
 私が言うと、天使は少し照れくさそうな顔をして片手を自分の頭の上に置きながら髪の毛を触っている。空を見上げながら天使は優しく微笑む。


 ある日の夜、彼はどこかに連れていこうとはしない。しばらくの沈黙が続く。

「今日はどうしたの? 元気ないね」
「実は……もっと楽しみたかったんだけれど……もう期限が来ちゃうんだ」
「期限?」
「もう今日から幽体離脱のデートはできないんだ」
「どういうこと?」
 彼は真剣な目をする。

「僕は本当は天使なんかじゃないんだ。君を輪廻転生させる存在さ」
「私、やっぱり死ぬんだ?」
「実は期限ぎりぎりまで君を生かしていたんだけれど、期限を過ぎるとペナルティーがあるから、僕はあの世に君を連れていかなければいけないんだ」
「死神なの?」
「……死神だよ。ゴメン、今まで黙っていて」

 死神だと名乗る少年は申し訳なさそうに深々と頭を下げる。イメージしていた死神とは違う。不気味さも恐怖もない。そこには優しさしかなかった。

「なんとなくわかっていたよ。こんな不思議な事、天使か死神くらいじゃなきゃできないでしょ?」
 私はあっさりと事実を受け入れていた。

「ペナルティーって何かあるの?」
「生まれ変わったら好きな人と一緒になれないんだ」

 好きな人がいたのか……なんだかがっかりする。このもやっとした気持ちはなんだろう。仕事だから毎日会いに来てくれたり外に連れ出してくれていたのだろう。

 彼は本当の身分を明かした。彼は腕時計を見つめた。
 嘘は彼なりの優しさだったのだろう。そろそろ時間が来た。

 彼は私をあの世に導く。
 彼の正体は死神だった。
でも、世界中の誰よりも優しい私にとっては天使同様の神様だ。
 彼は、今までできなかったことをたくさん実現させてくれた。
 魔法使いのように一瞬で移動も可能だし、空も飛べる。
 私は幽体離脱をして、彼と一緒にたくさんのデートのようなことをした。
 死ぬ前に一度くらい体験してみたかったデート。
 それをかなえてくれた彼は世界一優しい死神だ。

「あなたの住処は私の心の中だよ。ずっと忘れない。ありがとう。大好きだよ」

 星空の中で、私の体はまるで小さな星のように砂のように散ってしまう。
 つないでいた手がほどかれた。

「ありがとう。僕も君が好きだった。少し前に専属になったから見に来た事がある。闘病していた君を知っていたから、長く生きてほしいから、ぎりぎりまで会いに行くのを待ったんだ。でも、もう迎えに行けと上から命令されて。天使という嘘をついてごめん。気持ちを伝えたら、君専属をはずされてしまうから……好きだなんて言えなかった。死神失格だな」

 罪悪感を感じながら、彼は申し訳なさそうに悲しい顔をした。涙を浮かべている。死神なのに、情が深いんだね。

 私の視界に映るのはただ闇だけになった。もう何もない世界に来てしまったようだ。


 私は次の世界に行く準備をはじめる。
 そう、枯れ木が春に向かって芽を出す準備をするように。
 告白と死は終わりじゃない。はじまりだ。

 そこには死神だったはずの彼が待っていて――一緒に手をつないで次の世界に旅立つ。彼と私の間には赤い糸が見える。運命の赤い糸というのは、生まれる前に決まっているんだね。そして、大きくなった時にめぐりあえることが約束されているんだね。

 明るい世界に向かって私は彼と手をつないで歩き出す。
 新しい命として生命は輪廻するんだね。
 あと何年かたったらまた君に会えるね。
 
 だから、あなたも怖がらないで。もし、あなたの元に優しい天使が来たら、騙されたふりをしてあげて。きっと悪いようにはしないはずだから。