雨の音は、まるで、心の音を聴くようだ。

シトシトと聞こえる声に、小さく心を震わせながら、仄かな優しさに想いを馳せ、やがて雷を伴いながらやってくる試練に、強く心を揺さぶられたり、降り注ぐ雨に心ごと満たされたり。

雨は、誰かと誰かの心を見えない糸で繋いで、見えない絆を手繰(たぐ)り寄せていく。

心の糸と心の糸が、雨音とほんの一瞬重なり合って、奇跡はおこる。

「では行って参ります」

返事をすることのない和室の箪笥の上に、飾られた笑顔の母の写真に向かって、真野梅香(まのうめか)は声をかけた。

「もう降ってきたのね……」

ーーーー今年の梅雨入りは早いらしい。

ポツリポツリと降り出した曇天を眺めると、梅香は、お気に入りの鮮やかなの梅の花が、描かれた、紅い和傘を雨空に広げた。唐草紋様の小紋に身を包み、雨草履の独特の音を鳴らしながら仕事場へと向かう。

駅えと続く、大通りから覗くと、見える細い路地に、梅香の店はある。
   
『ツナグ傘屋』  

木製の小さな看板だけが、ちょこんと置いてあるだけの、仕事場兼店舗。この場所は、和傘の技術と共に、母から引き継いだ、梅香の大切な宝物だ。

死んだ母は、和傘職人だった。一つ一つを細部まで丁寧に手作りにこだわり、和傘のデザインも一から創作する。母のこだわりは、着る物や食べ物にまで及んだ。母は洋服を着ない。着物をこの上なく愛し、食するのは、もっぱら和食だった。

『梅香、日本人は和の心を忘れていけないの』

この言葉が、母の口ぐせだった。

だから、母の創った和傘のデザインは、全て和柄だ。

四季折々の花や植物は勿論、幾何学模様、水玉模様、扇や創造上の動物、龍や鳳凰など多岐にわたる和柄模様について、母は独学で研究し、染物工房で修行した後独立したそうだ。母はとにかく和傘に全てを捧げていた。

和傘の枠に使用する竹の質にもこだわり、良い竹があると聞けば、どんなに遠くの場所でも仕入れに行くような、根っからの職人肌の母が梅香の誇りだった。

ふと中庭を見れば、梅の樹に青々と瑞々しい葉が生い茂り、ころんとした黄緑色の果実が、たわわに実っている。

この梅の樹も、母は、大好きだった、私の名前につけるくらいに。

キィと古びた木製の扉が、心地よい音と共に開くと、今日、1番始めの、お客様が来られた。

「いらっしゃいませ、ようこそ、ツナグ傘屋へ」 

梅香は、木製の丸椅子から立ち上がると、軽くお辞儀をした。

お客様は、グレーのワンピースに、黒い雨用パンプスを履かれた、50代ほどの所々白髪の混じる黒髪の女性だった。

入り口の扉を前で、少し濡れた肩をハンカチで拭っている。

「急に降り出しましたね」

梅香が、話しかけると、女性は、微笑みかえした。

「今年は、梅雨入りが早いですね……傘を持っていない時に、限って、降られてしまって」

「大丈夫ですか?」

梅香は、女性の濡れた肩を見ながら、手元のタオルを引き寄せた。

「お気遣いなく。私、元々この、雨の降るこの時期が好きなので」

「私もです。雨の日に和傘を使うと、素敵なご縁を引き寄せるそうですよ」

梅香がにこりと微笑み、そう言葉を返すと、店内の色とりどりの美しいデザインの和傘に食い入るように魅入っていた女性は、梅香を興味深そうに見た。

「ご縁を引き寄せるのですか?」

「えぇ。亡くなった母がそう言っておりました。雨は、空からの贈り物で、和傘を持つ人に不思議なご縁を、引き寄せるらしいです」

梅香の笑顔に自然と、女性も目尻に皺を寄せて笑う。

「ご縁を呼び寄せてくださるなんて……ぜひ頂きたいです。でも、綺麗な和傘ばかりで悩んでしまいますね」

「ありがとうございます」

女性は、店内をぐるりと見渡すと、右奥に吊り下げてある和傘を指差した。

「あの傘、見せて頂けますか?」

女性が、指さしたのは、淡いピンク色の紫陽花の和傘だった。

「どうぞ」

梅香から、和傘を受け取ると、女性は、姿見を見ながら、そっと和傘を開けた。淡く色づいた紫陽花の花が、天井をさっと彩る。

「ピンクの紫陽花の花言葉は、『強い愛情』です」

女性は、少しだけ目を見開くと、にこりと笑った。

「素敵な花言葉ですね。これ頂きます」

「有難う御座います。良いご縁が引き寄せられることを願っております」

梅香は、丁寧にお辞儀をして、お会計を終えた女性を見送った。

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