風に乗って女性の悲鳴が聞こえ、激しい足音が、徐々に大きくなる。良くないことが起き、どうやらそれは近付いて来ているらしい。
 落ち着いた世の中になりつつあるとはいえ、犯罪は多い。そのため街のあちこちには監視カメラが設置され、警備員が常時巡回している。それでも犯罪は減らない。彼らも必死だからだ。彼らだって生まれてきた以上、生きねばならない。

 こうなれば早く身を隠し、近くの警備員に来てもらうのが得策だ。
 けれどわたしは、そうしなかった。善いことをしようと思い立った。このどうしようもない厄日を、善い行いで締めよう、と。欲張ってしまった。

 すっくと立ちあがると、キジトラ猫は不思議そうにこちらを見上げ、近付いてくる足音の方に耳を向けた。

 わたしはバッグの柄を強く握り直す。そして腕を振りかぶって、足音の主が角を曲がり、この薄暗い路地裏に飛び込んで来た瞬間、相手の顔面に、バッグを叩きつけた。
 相手の男はその反動でのけ反り、仰向けに倒れ込んで、わたしのバッグは勢いよく飛んでいき、中身が飛び散った。

 すぐに女性と警備員が駆け付け、わたしは何度も何度もお礼を言われた。どうやらわたしがノックアウトした男は、ひったくり犯だったらしい。

 わたしはこの厄日の最後に、英雄になった。善い行いができて、最高の気分だった。
 ただし事情聴取のため警察署に行くことになったし、騒動に驚いたキジトラ猫はどこかへ逃げ去ってしまったのだけれど……。