そんなわたしの視界に静かに映り込んだのは、数日前に会ったあのキジトラ猫だった。

 キジトラ猫は、泣いているわたしを見て小首を傾げ、大きな瞳でじっと見たあと、目の前までやってくる。そしてにゃあにゃあと、語りかけるように鳴いた。その鳴き声の意味を、猫のわたしは理解できた。

「仕方ない、仕方ないよ。あんなもの、一生失くすなというほうが難しい」

 驚いて、泣くことを忘れたわたしに、彼が続ける。

「みんなそうさ。犬も鳥も馬も牛も、みんなきみと同じなんだ。大丈夫、すぐに慣れるよ、きっとね」

 この口ぶりから、彼も人間証明書を失くした元人間であることが分かった。

「馬鹿げた世の中だ。でも、仕方ない。こうなってしまった以上、精一杯生きていくしかないのだから」

 そう言って彼はそっとわたしに寄り添い、わたしもそれを受け入れ、ただ頷いた。騒がしかった心が、ようやく少し落ち着いた気がした。



(了)