猫の身体はまだ慣れないけれど、ゆっくりと走り出してみると、頬を撫ぜる夜風が気持ち良かった。視界はかすんでいるけれど、暗い場所でもよく見える。初めて素足で踏むアスファルトは、思ったよりも硬くない。低い位置から見る景色は新鮮で、住み慣れた街が違って見える。
けれど、猫だ。猫になってしまった。わたしは人として生まれ、人として育ち、人として生きてきたというのに。今はもう、猫なのだ。
猫は好きだ。飼育は法律で禁止されているけれど、街で見かける度に構いたくなる。気分屋で、愛らしく、穏やかな気持ちになる。街で会う野良猫たちは、どの子も皆人懐っこい。
でも、猫になりたかったわけではない。どんなに苦しくとも、どんな理不尽に晒されようとも、わたしは人として生きていきたかった。
数日前の出来事が悔やまれる。どうしようもない厄日を善い行いで締めようと欲張ったばかりに、命の次に大事な人間証明書を失くし、罪人になり、猫になった。
あのとき、すぐに警備員を呼んでいれば。武器としてバッグを使わなければ。そもそも英雄になろうとせず、ただ黙ってじっとしていれば……。
人助けをしたことを後悔したくないのに、この数日間で味わった動揺や落胆や絶望のせいで、どっと疲労がやってきて、足を止めた。そうしたら身体中に蓄積された様々な感情が一気に溢れて、わんわん泣いた。人として在った感情を溜め込む器としては、この猫の身体は小さすぎた。けれど口から発せられるのは、猫の鳴き声だけだった。わたしはもう、猫なのだから。