「――時は来た」
深夜、鐘の音が鳴る。人々の掲げる篝火が燃えている。
それは、たった数日前革命軍の手に落ちた公都アルイーダの広場に響いた言葉だった。高らかでありながらどこか静謐さを孕む声に、その場にいる者は皆、恍惚と聞き惚れる。
「この国は、世界は、間違っている。……諸君、今まで生きてきて、何度この国を、腐り切った王侯貴族を恨んだ? ――今こそ、自らの心に問う時だ」
サンアルイーダ中央広場、その噴水の前。
黒髪に瑠璃の瞳を持つ男が両手を大きく広げて立っている。
人々の手にする灯に照らされた、どこまでも深い青の底。深い湖の水底のようでありながら、その瞳の中で燃えているのは、煮え滾るような憎悪だ。
「国民間の格差は広がり続けている。国中の富を一握りの貴族が独占し、貧困で多くの人々が死ぬ。
権力と金の奴隷となった者が惨めったらしく生にしがみつき、罪のない――ただ、ただ生きていきたいと望んでいただけの無垢な子どもたちが息絶えてゆく」
広場の民が目を瞑り、遠い記憶に思いを馳せる。
貴族の通りを阻んだからと、馬車に轢き潰された子どもがいた。
自らの子を飢えで失い、さらに自身も食い詰めて富豪の金を盗み、生きたまま火魔法に焼かれた女がいた。
腸の中に溜まったガスで腹だけが異常に膨らんだ、骨と皮だけの男がいた――典型的な蛾死体。貧民街ではそこかしこに転がっている、貧困の証左。
――馬車の中から、あるいは馬の上からこちらを見下ろす、奢侈に囚われた貴族の目。
同じ人間ではなく、家畜を蔑むかのような、その視線。
「間違っているならば、誰かが変えなければならない」
だからこそ、諸君らはこの場に集まっている。
この国の全てを否定し、変えたいと心から願っているからこそ。
夜の風が、男の髪を揺らす。再び露になった青い瞳に、薄い唇に、その場の人々の目は釘付けになる。彼のたった一言、たった一つの仕草でさえも、見逃さぬように――。
「燃やせ」
「燃やせ」
「燃やし尽くせ」
「この間違った国を、隅々まで燃やして灰にしろ」
「全てが灰燼に帰した後で、他ならぬ我々が理想の国を築くのだ」
ぶわり。
彼の声に呼応するかのように、風が一層強く吹く。
演説の言の葉一つ一つが呪いのようだった。自分が熱に浮かされていることを自覚しながら、この男と大志のためならば死んでもいいと、そう思わせられるかのような。
「怒りを燃やせ。憎悪を滾らせろ。剣を取れ。火を掲げよ」
時は来た、と。
もう一度、男はそう言った。
「――聖戦だ。
腐り切ったこの国に、革命の灯火を!」
――アルフィリア暦三〇五年七月、夜更ける時刻。
一人の若き男の言葉により、アルフィリア王国史上最大にして最悪の革命戦争の火蓋が切って落とされた。
たった十日で公都アルイーダ、王都アルフィリア含め主要都市五都の八割を陥落させた革命軍の長の名は、クロード・リヴィエール。
世界最悪の革命家。
数にして十万の死者を出した、史上類を見ぬ戦争犯罪人である。