香椎悠人 様
拝啓、桜の花のたよりが聞かれる頃になりました。いかがお過ごしでしょうか。
先輩たちが学校からいなくなり、再出発した美術部に後輩がどんどん加入し、芸術コースも関係なく部員が増え、ようやく部活として認可が下りたのは、私が卒業して数年経った後のことでした。
今では、学校案内の資料やホームページの部活紹介欄に「美術部」と大々的に載っているほど有名になったようです。「美術部は存在しない」と否定されていた私の入学当初に比べたら、随分学校の環境は見間違えるほど変わりました。
つい最近、卒業してから数年ぶりに宮地さんの工房にお邪魔しました。今は自分の工房で作業する傍ら、学校の臨時講師として芸術コースの生徒に教えているそうです。美術部の顧問もしていると、自慢げに教えてくれました。
ちなみに相変わらず夫婦仲は良くて、昨年、男の子を出産した奥さんは育児に奮闘中。宮地さんも積極的に参加しているようですが、やはりすぐにぐずってしまうようで、毎日頭を抱えているらしいです。
それと、久々に高嶺先輩に会いました。
香椎先輩が治療中はスマホといった画面の類を見ないようにしていると聞いています。出国直後に送ったメッセージをどこまで見てくれているのか、こちらからはわからないので、もう一度お伝えしますね。
しばらく集中治療室にいた高嶺先輩は無事に回復し、手術を経て文化祭が終わった頃に、一般病棟へ移りました。それからはいろんなサポートがあって退院。今は通院をしながら大学生活を送っています。
先輩曰く「完成した絵を見てないのに寝れられるか。それに、俺もやりたいことがある」と意気込んでいました。
大学では主にデザインを勉強しているようで、ついこの間、デザイン会社への就職も決まったそうです。
さらに、副業でイラストを描いてSNSにアップしていたら、ある出版社から挿絵の依頼がきてすごく喜んでいました。(来月発売らしいですよ。今度お送りしますね。)
決して病気が治ったわけではありませんし、これからも治療も続きます。それでも描くことを諦めない執念が、今の先輩を突き動かしている。そんな気がしてなりません。
香椎先輩の目も、少しずつ回復に向かっていると聞いています。
この間、送ってくれたポストカードの絵を見て驚きました。生い茂った緑の木漏れ日に、自由に出歩く人々。活き活きとした表情さえ、絵に呑まれなくても伝わる温かさにほっこりしています。それでも先輩はきっと、高嶺先輩には敵わないと言って笑うのでしょう。
最近よく、文化祭前に仕上げた美術室の絵を思い出します。
リレーのバトンのように繋いだ絵は、先輩たちと一緒に作る最後の絵だと気負った私にはプレッシャーでしかなかったのを、先輩たちは気付いていたんですよね。だから作品タイトルを「原点」にしたのかなって、今になって思うんです。勝手な解釈かもしれませんが、それほどまでに先輩たちは私に過保護でした。
先輩は私に、「描き続ける理由を取り戻してくれた」と言っていましたが、それは私も同じです。
美術部は私に、もう一度自分の好きなことする理由を取り戻してくれました。
何もできない私が誰かのために動きたい、一緒に何かを作り上げたいと考えるようになったきっかけは、先輩たちのおかげです。
あの時の光景も、成し遂げた達成感も、ほんの少し感じた寂しさも全部ひっくるめて、今の私があります。
真っ黒な世界を照らす太陽になれなくても、一筋の細く差し込んだ灯りになれたなら、きっと今よりも違う景色が広がっているような気がします。
先輩が彩る世界をこれからもずっと見ていたい。
だから先輩は、これからも絵を描き続けてください。先輩の絵と出会って救われる人は必ずいます。
再会したその時は、あの頃のようにまた一緒に絵が描けることを楽しみにしています。
それでは、またどこかで。
敬具
浅野佐知
【 この世界は君で彩られていく 完 】
拝啓、桜の花のたよりが聞かれる頃になりました。いかがお過ごしでしょうか。
先輩たちが学校からいなくなり、再出発した美術部に後輩がどんどん加入し、芸術コースも関係なく部員が増え、ようやく部活として認可が下りたのは、私が卒業して数年経った後のことでした。
今では、学校案内の資料やホームページの部活紹介欄に「美術部」と大々的に載っているほど有名になったようです。「美術部は存在しない」と否定されていた私の入学当初に比べたら、随分学校の環境は見間違えるほど変わりました。
つい最近、卒業してから数年ぶりに宮地さんの工房にお邪魔しました。今は自分の工房で作業する傍ら、学校の臨時講師として芸術コースの生徒に教えているそうです。美術部の顧問もしていると、自慢げに教えてくれました。
ちなみに相変わらず夫婦仲は良くて、昨年、男の子を出産した奥さんは育児に奮闘中。宮地さんも積極的に参加しているようですが、やはりすぐにぐずってしまうようで、毎日頭を抱えているらしいです。
それと、久々に高嶺先輩に会いました。
香椎先輩が治療中はスマホといった画面の類を見ないようにしていると聞いています。出国直後に送ったメッセージをどこまで見てくれているのか、こちらからはわからないので、もう一度お伝えしますね。
しばらく集中治療室にいた高嶺先輩は無事に回復し、手術を経て文化祭が終わった頃に、一般病棟へ移りました。それからはいろんなサポートがあって退院。今は通院をしながら大学生活を送っています。
先輩曰く「完成した絵を見てないのに寝れられるか。それに、俺もやりたいことがある」と意気込んでいました。
大学では主にデザインを勉強しているようで、ついこの間、デザイン会社への就職も決まったそうです。
さらに、副業でイラストを描いてSNSにアップしていたら、ある出版社から挿絵の依頼がきてすごく喜んでいました。(来月発売らしいですよ。今度お送りしますね。)
決して病気が治ったわけではありませんし、これからも治療も続きます。それでも描くことを諦めない執念が、今の先輩を突き動かしている。そんな気がしてなりません。
香椎先輩の目も、少しずつ回復に向かっていると聞いています。
この間、送ってくれたポストカードの絵を見て驚きました。生い茂った緑の木漏れ日に、自由に出歩く人々。活き活きとした表情さえ、絵に呑まれなくても伝わる温かさにほっこりしています。それでも先輩はきっと、高嶺先輩には敵わないと言って笑うのでしょう。
最近よく、文化祭前に仕上げた美術室の絵を思い出します。
リレーのバトンのように繋いだ絵は、先輩たちと一緒に作る最後の絵だと気負った私にはプレッシャーでしかなかったのを、先輩たちは気付いていたんですよね。だから作品タイトルを「原点」にしたのかなって、今になって思うんです。勝手な解釈かもしれませんが、それほどまでに先輩たちは私に過保護でした。
先輩は私に、「描き続ける理由を取り戻してくれた」と言っていましたが、それは私も同じです。
美術部は私に、もう一度自分の好きなことする理由を取り戻してくれました。
何もできない私が誰かのために動きたい、一緒に何かを作り上げたいと考えるようになったきっかけは、先輩たちのおかげです。
あの時の光景も、成し遂げた達成感も、ほんの少し感じた寂しさも全部ひっくるめて、今の私があります。
真っ黒な世界を照らす太陽になれなくても、一筋の細く差し込んだ灯りになれたなら、きっと今よりも違う景色が広がっているような気がします。
先輩が彩る世界をこれからもずっと見ていたい。
だから先輩は、これからも絵を描き続けてください。先輩の絵と出会って救われる人は必ずいます。
再会したその時は、あの頃のようにまた一緒に絵が描けることを楽しみにしています。
それでは、またどこかで。
敬具
浅野佐知
【 この世界は君で彩られていく 完 】