「実はね、私もさっき言ってきたの。全然聞いてなかったわ」
 彼女はそう言って困ったように笑った。
 集中治療室に入っていた高嶺先輩は、絵が完成した頃から持ち直し、一般病棟に戻れるまで回復しつつある。担当医も驚くほどの回復力で、完治は難しくとも余命宣告された冬も迎えられるかもしれないと、希望が見えたという。ご両親を通じて貰った伝言には、「絵を早く見たい」の一言だけが添えられていた。
 宮地さんと会った時は、ご両親の好意で治療室に入れてもらった後だったらしい。
「ずっと前向きな彼を支えてくれた人たちと共同制作した絵を、一目だけでも見たいんです」
「……一目なんて寂しいこと言わないで、見て行ってください」
 私は先導して、彼女と宮地さん夫婦を案内する。じっくり見ている来場客を追い抜いて行くと、宮地さんが何かに気付いたようで途端ににやついた笑みを浮かべた。それを奥さんに指摘されると感慨深そうに「学校側も粋なことするなぁ」と呟いたのが聞こえた。
 美術部の絵が置かれているのは、人の目に止まりやすい展示ホ―ルの真ん中だった。
 設置場所は毎年、芸術コースの教師陣によって決められているが、有終の美を飾るという場ということもあり、三年生が中央に置かれる暗黙の了解がある。さらに搬入の当日に場所が伝えられるから、一番良い位置を狙う生徒にとっては宝くじの抽選を待つ気分だ。

 文化祭前日の搬入時、芸術コースの生徒が賑わう中をカンバスとイーゼルを抱えてあたふたしていた私は、ようやく先生を捕まえて場所に連れて行ってもらって目を疑った。昨年は端へ追いやられていたのに、今年は三年生が優先的に置かれる中央だったのだから。
 開いた口が塞がらない私に先生は言う。
「信じられないって顔だね。でも打倒な配置だと思うよ。高嶺と香椎は三年生なんだから」
 そう言われてハッとした。私が話しかけた先生は先輩たちのクラス担任で、美術部の顧問だ。先生は寂しそうに視線を落とすが、すぐに顔を上げて微笑んでから他の生徒に呼ばれて行ってしまった。
 その時の様子を思い出しながら、私は言う。
「なんだかんだ言って、学校も美術部を認めてくれていたんですよね。そう仕向けたのは、先輩たちの自由に描く姿勢だったのかもしれません」

 香椎先輩は絵を描き終えた後、担当医と家族で相談したうえで海外に飛び立った。
 ここ数ヵ月は絵を完成することだけを考えた結果、目を酷使したために視力の低下が見受けられた。そこで、担当医が信頼する眼科医が海外で開業した診療所で、しばらく治療に専念することを提案されたのだ。自然豊かな場所に囲まれ、近くに芸術家のアトリエもあるそうで、先輩は即決だったと聞く。これからも絵を描いていきたいという想いが、今回の件でより強くなったらしい。
 文化祭を私一人にするのは申し訳ないと謝ってきたが、それよりも失明を逃れ、これからも絵を描き続けると決めた先輩を、私は誇りに思う。落ち着いたら、手紙と一緒に絵も送れと言われたのも、先輩らしい。

 ようやく展示ホールの中心に着くと、後ろから感嘆のため息が漏れたのが聞こえた。
 一枚のカンバスに描かれた美術室は、写真を撮ったのではと疑われるほどリアルな質感があった。
 詰め込まれた棚や手前に山積みになった額縁、端に立てかけられたイーゼルに飛んだ絵の具まで再現されており、開いた窓から風が入ってカーテンが大きく揺れる躍動感、そこから差し込む朝焼けの光。中央に照らされたカンバスには、ライラックの花束が描きかけの状態で残されている。
 作品タイトル――「原点」は、まさに第八美術室をカンバスで新たな世界を繰り広げていた。
 彼女たちが見入っている中、美術部の絵の周りには大人よりも子どもが多く集まっていることに気付いた。近くで見ていた子どもは、小声で父親に「絵の中に小人さんがいるよ!」と教えているが、父親は首を傾げるばかりで見つけられずにいる。
 その様子を不思議に思ったのか、彼女は絵に一歩近付いた。
「……ああ、そうか」
 目を丸くして驚いている。それに倣って宮地さんも近付いていろんな角度から見ると、顔をしかめて「これはやられた」と呟いた。
「生徒の姿を描き加えたと聞いていたが、まさか見る位置によって描かれているものが加えられているなんて」