夏が過ぎた。
日中の暑さはまだ引く気配はないが、朝晩が冷え込み、ようやく秋の到来を肌で感じるようになった頃、学校では年に一度の文化祭が幕を開けた。
クラスでの出し物がお化け屋敷に決まってから、脅かす側の練習台になったり、段ボールで作った壁に特殊なライトを当てることで見えるお化けを描いたりと、忙しい日々が続いていた。それも文化祭当日に長蛇の列ができるほどの賑わいを見せているのだから。頑張ってよかったと思う。
「佐知、そろそろ休憩行ってきなよ」
廊下に設置した受付で待機していると、ドアから半分体を出した早紀が言う。白ワンピースにぼさぼさの長髪、顔を半分隠したその姿で急に現れると心臓に悪い。
「まだ大丈夫だよ。早紀は休憩行かないの?」
「お化け役が戻ってきたらね。メイクも落とさないと行けないし……さすがにこの恰好で出歩いたら宣伝にしかならないじゃない」
「いいじゃん。宣伝」
「嫌よ。だったらこの恰好で受付やるから」
ほら、とやや強めに私の背中を押した。これでも気を遣ってくれているらしい。
腕時計をみれば、そろそろ約束の時間が近付いていた。この場は早紀の言う通りに任せて、私は教室を離れた。
展示ホールでは、芸術コースの生徒の作品がずらりと並んでおり、来場者でひと際賑わっていた。
昨年のようにかっちりとしたスーツをまとった団体が、作品を一つずつ吟味しながら回っている。文化祭というより美術館のような、しんと静まった空間が作り出されている。それもそうだろう、どれも有終の美を飾るにふさわしい作品ばかりだ。
展示ホールの入口で、見慣れた人の姿が見えた。珍しくラフな恰好の宮地さん夫婦だ。奥さんと一緒にいる女性は娘さんだろうか。私と同じか、少し上に見える。色白の肌に映えた紺色の二ッとワンピースがとても良く似合う人だった。
「よう、佐知。大丈夫だったか?」
「はい、お待たせしてすみませんでした」
「大盛況だったな。さっき近くまで行ったんだが、ドッキリ系は苦手でな」
宮地さんは苦笑いを浮かべながら言う。苦手な人が無理やり入るものではないから、事前に来なくていいと言ったのに。
すると、先程まで奥さんと話していた女性がこちらにやってきた。
「この間話していた、佐知に会わせたい人だ。千暁がずっと入院してて、悠人が来る前に仲が良かった友達がいるって話は聞いているか? 実は彼女がその友達なんだ。年は……佐知と一個違いか」
「……ええっ!?」
別の病院に転院した友人がいるのは香椎先輩から聞いていたが、まさか女の子だったなんて。入れ違いだったとも言っていたし、もしかしたら先輩も知らなかったのかもしれない。
「でもどうして宮地さんが?」
「この間、病院で千暁の両親と話しているところに会ったんだ。訊いたら随分仲が良かったみたいだし、ちょうど文化祭で絵が展示される話をしたらぜひ来たいって言ってくれてな」
ふいに目が合うと、彼女は意を決した表情で言う。
「おこがましいかと思いますが、千暁くんが描いた絵が、どうしても見たくて」
「長らく……疎遠だと聞いていました」
「ええ。転院した先でも治る見込みがなくて、海外の医療に賭けることにしたんです。その準備でバタバタしていて、彼に行き先を伝えることなく出国してしまったんです。伝える方法はいくらでもあったのに、まずは治療を優先だと言われて何もできなくて。……すごく、後悔したんです。彼は私に、お守りだって絵を描いて渡してくれたのに」
カードケースから取り出したのは、名刺サイズの紙に描かれたライラックだった。日焼けしていたり皺が寄っているのは、ずっと彼女が大切に持ち続けていたからだ。
「治療は上手くいって、大分落ち着いてきたから、何年かぶりに帰国しました。お世話になった担当医の先生に挨拶をしに来たら、千暁くんのご両親と会って……」
「高嶺先輩とは会われましたか?」
私がそう問うと、彼女は黙ったまま小さく頷いた。
「何年も会っていないのに、彼はあの時から何も変わっていない。絵が好きで、好奇心旺盛で……。自分のことも、もっと考えてほしいと思ったわ」
「……それ、本人に言ってあげてください。私じゃ何度言っても聞いてくれないんです」