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 香椎先輩が気付いたのは、高嶺先輩が指定した場所の写真と、カンバスに描かれた部分の角度が微妙にずれていたことだった。
 自分が見ている視点よりも、低い位置だったことに違和感を覚えたらしい。箱馬の高さは約十八センチ。私の身長一五五センチと合わせれば、香椎先輩の身長に近付く。その状態で高嶺先輩がいつも座っていた高さのある椅子に座り、片足を折り曲げる姿勢で見渡せば、カンバスに描かれた位置が一致するというのだ。私が撮ってきた写真と、スケッチブックに描かれたものでは高さが異なることに気付かなかった高嶺先輩も、下描きを進めて困惑したことだろう。
 そして正しい位置から見て、描き加えてほしいと言ったものがようやく浮き彫りになった。私はそれを聞いて、実に先輩らしいと納得してしまった。なんせ指定した場所に必要だったのは、備品でも花でもなかったのだから。
 描くものがわかれば、あとは描き込めばいいだけの簡単な話だ。
 香椎先輩は早速クロッキー帳を出して、自分も描きながら事細かに追加する絵のポイントを教えてくれた。震える手を抑えながらも線を引くのは、もはや気合で乗り切っているようなもので、無理をしているのが目に見えてわかった。短時間で香椎先輩からあたりのつけ方を描き方を学び、指定された場所に描き加えるそれの動きをどうつけるのか、どうやったら見たときに楽しいと思えるのか、考えつく限り出して話し合う。
 私がこう描きたいと言えば、香椎先輩は配置を気にしながらアドバイスをくれる。すんなりと却下されることもあるけど、それもすべてメインが美術室であるということを考慮したうえでのことだ。
 それらを踏まえて、カンバスにひたすら描き込んでいく。高嶺先輩が描いた線を消すことに最初は躊躇ったけど、緊張と焦りのせいで気にしていられない。
「最初から上手く描けたら苦労なんてしねぇ。そんなに気を張らなくていい」
「はい……」
 頭ではわかっているし、描き方も充分だとお墨付きをもらっている。隣には香椎先輩という心強いアドバイザーがいるのに、私の手は緊張で震えていた。
 アクリル絵の具を重ねていけば、下描きは消えてしまう。だから多少のずれが生じても問題はない。
 でもこの絵は、わざと下描きがわかるように色を乗せることになる。もちろん意図的に色を乗せるから、見えない場所は出てきてしまうが、高嶺先輩が描き加えようとしていたものは残さなければならなかった。以前描いたカスミソウの花束よりも難しい。
 ああだこうだと話しながら進めていき、気付いた頃にはもうすっかり日は落ちていて、見回りにきた先生に怒られてその日は帰宅した。
 途中、香椎先輩は病院の前で足を止めたけど、立ち寄ることはしなかった。震えた右手をぎゅっと握りしめるのが見えた。