そんな自分を覆すきっかけとなったのは、消極的になるどころか、何事にも興味持つことを辞めてしまった時期だった。
当時の私はすでに志望校どころか、ある私立高校の推薦入試を受け、合格内定まで進んでいた。クラスの誰より早く決まったこともあって、残りの中学校生活をどう過ごそうか考えていたとき、早紀に誘われて渋々ついて行ったのが、この高校の文化祭だった。
早紀の目当ては校風やカリキュラムではなく、入学したら先輩になる在校生との交流だった。確かにコミュニケーションは大切だとは思うけど、何も文化祭じゃなくてもいいと思った。在校生だって思い出作りに楽しんでいるのに、わざわざ部外者が割り込む必要はないだろう。
しかし、実際に行ってみれば、来場者との関わりも大切であることもわかるような気がした。早紀は顔ばかりに目がいっていたけど、在校生は皆、親切に校内を教えてくれて、屋台のクレープではホイップを多めにしてくれることもあった。気さくな人が多く、居心地の良い雰囲気が、どこか羨ましく見えたのかもしれない。
この学校は普通科の中にコースが複数あって、進学を目指すコースの他に、芸術コースが設けられていた。すでに在籍中に数々のコンクールで最優秀賞をいくつも獲得する生徒が出てくるほど、毎年特待生で入ってくる生徒もいるくらいだと聞く。
そんな芸術コースの生徒が有終の美を飾る作品展示が文化祭なのだ。
会場となる校内の展示ホールでは、いくつもの作品が壁やパーテーションに飾られ、中央の台には彫刻や陶芸が並べられていた。すでにホールには多くの来場者が集まっており、どの作品もじっくり吟味しながら見て回っている人も見受けられた。かっちりとしたスーツを着ていた複数の来場者は、採点でもしていたのかもしれない。
さらっと見ていく早紀に置いて行かれながらも、私は作品を一つずつ目を向けていく。
絵や彫刻にすごく興味があるわけでもなければ、込められた意味を汲み取ることもできないが、自分ができないことをこなす誰かの才能にただ圧倒され、羨ましく思う。
その中でも孤立し、異様な雰囲気を漂わせていたのが、カンバスに描かれた『明日へ』と題された一枚の絵だった。誰もが見落としそうな、一歩引いた場所に置かれたカンバスはまるでのけ者扱いのようで、ひっそりと息をひそめているようにも見える。
それは一見、明るい未来を描いた世界だった。澄んだ青空を背景に、ブルーインパルスを彷彿とさせるスタイリッシュな機体が雲を突き抜ける瞬間を、白と灰色で描かれた風が力強く表現している。
地上では色とりどりの花束を抱えた少女が見上げていた。少女の姿は黒く塗りつぶされていて、どんな表情をしているかはわからない。風で揺れた長い髪が大きく羽ばたくための翼のようにも見える。
どことなく他の作品と比べて感じる違和感に惹かれて立ち止まる私の後ろを、何人もの人が通り過ぎた。
「なんて希望に満ち溢れた素敵な世界だろう。どの生徒さんも、表現が豊かで良いね」
一度立ち止って私の隣に並んだ来場者の一人が、鼻で嗤いながらよく見ようともせず通り過ぎていく。
「満ち溢れた世界……?」
誰かも知らない来場者の何気ない一言に、私は眉をひそめる。
本当にその絵は希望に満ち溢れているのだろうか。人の感性はそれぞれだから否定はしないけど、どうしても違和感が拭えない。もう一度、カンバスの細かいところまで目を皿にして探していく。気になったのはブルーインパルスの機体だ。テレビの特集で見かけた機体は真っ白なフォルムをしていた。風を纏わせているからとはいえ、こんなに煤で汚れていただろうか。
一歩前に出てふと、絵の中に鉛筆で何かが細かく描かれているのに気付く。
カンバスは布だ。使うとしたらアクリル絵の具で、下描きが残っていたとしてもここまで目立つものではないはず。
私はカンバスにさらに近付いて目を凝らした。
ブルーインパルスだと思っていた機体の側面には、国旗と機体の番号が書かれており、雲に紛れて縋るように無数の手が伸びていた。真っ黒に塗り潰された少女を覗き込めば、泣き叫ぶような表情と浮かべ、手を空へ真っ直ぐ手を伸ばす姿が残されている。
「これって……」
まさかと思い、少女が抱えている花にも目を向ける。
特徴からデイジー、コスモス、オリーブ、タンジーと推測してポケットに入れっぱなしにしていたスマホで手早く検索をかける。暇つぶしで読んでいた植物図鑑の記憶がこんなところで役立つとは思わなかったけど。描かれている花の特徴はどれも異なるが、検索欄に「花言葉」を追加すれば「平和」の花言葉があるものばかり。
そこでようやくタイトルの意味に気付いた。
誰でも近づくことができるイーゼルに飾られているのは、鉛筆の下描きこそがこの『明日へ』の本来の姿だと観ている誰かに気付いてもらいたいからだ。
機体に伸ばす手は、飛び立つそれを引き留めたい人々によるもの。
少女の顔が黒で塗りつぶされているのは、周りの煙で見えないから。
まとまりのない花ばかりをまとめたのは、「平和」の花言葉が入った花を少女が身の危険を顧みずに懸命にかき集めた、命と同等に大切なもの。
憶測にしかすぎないけど、今の私にはここまでしか分からない。ずっと拭えなかった違和感の正体を、他にどう説明しようというのだろう。
この絵は――。
当時の私はすでに志望校どころか、ある私立高校の推薦入試を受け、合格内定まで進んでいた。クラスの誰より早く決まったこともあって、残りの中学校生活をどう過ごそうか考えていたとき、早紀に誘われて渋々ついて行ったのが、この高校の文化祭だった。
早紀の目当ては校風やカリキュラムではなく、入学したら先輩になる在校生との交流だった。確かにコミュニケーションは大切だとは思うけど、何も文化祭じゃなくてもいいと思った。在校生だって思い出作りに楽しんでいるのに、わざわざ部外者が割り込む必要はないだろう。
しかし、実際に行ってみれば、来場者との関わりも大切であることもわかるような気がした。早紀は顔ばかりに目がいっていたけど、在校生は皆、親切に校内を教えてくれて、屋台のクレープではホイップを多めにしてくれることもあった。気さくな人が多く、居心地の良い雰囲気が、どこか羨ましく見えたのかもしれない。
この学校は普通科の中にコースが複数あって、進学を目指すコースの他に、芸術コースが設けられていた。すでに在籍中に数々のコンクールで最優秀賞をいくつも獲得する生徒が出てくるほど、毎年特待生で入ってくる生徒もいるくらいだと聞く。
そんな芸術コースの生徒が有終の美を飾る作品展示が文化祭なのだ。
会場となる校内の展示ホールでは、いくつもの作品が壁やパーテーションに飾られ、中央の台には彫刻や陶芸が並べられていた。すでにホールには多くの来場者が集まっており、どの作品もじっくり吟味しながら見て回っている人も見受けられた。かっちりとしたスーツを着ていた複数の来場者は、採点でもしていたのかもしれない。
さらっと見ていく早紀に置いて行かれながらも、私は作品を一つずつ目を向けていく。
絵や彫刻にすごく興味があるわけでもなければ、込められた意味を汲み取ることもできないが、自分ができないことをこなす誰かの才能にただ圧倒され、羨ましく思う。
その中でも孤立し、異様な雰囲気を漂わせていたのが、カンバスに描かれた『明日へ』と題された一枚の絵だった。誰もが見落としそうな、一歩引いた場所に置かれたカンバスはまるでのけ者扱いのようで、ひっそりと息をひそめているようにも見える。
それは一見、明るい未来を描いた世界だった。澄んだ青空を背景に、ブルーインパルスを彷彿とさせるスタイリッシュな機体が雲を突き抜ける瞬間を、白と灰色で描かれた風が力強く表現している。
地上では色とりどりの花束を抱えた少女が見上げていた。少女の姿は黒く塗りつぶされていて、どんな表情をしているかはわからない。風で揺れた長い髪が大きく羽ばたくための翼のようにも見える。
どことなく他の作品と比べて感じる違和感に惹かれて立ち止まる私の後ろを、何人もの人が通り過ぎた。
「なんて希望に満ち溢れた素敵な世界だろう。どの生徒さんも、表現が豊かで良いね」
一度立ち止って私の隣に並んだ来場者の一人が、鼻で嗤いながらよく見ようともせず通り過ぎていく。
「満ち溢れた世界……?」
誰かも知らない来場者の何気ない一言に、私は眉をひそめる。
本当にその絵は希望に満ち溢れているのだろうか。人の感性はそれぞれだから否定はしないけど、どうしても違和感が拭えない。もう一度、カンバスの細かいところまで目を皿にして探していく。気になったのはブルーインパルスの機体だ。テレビの特集で見かけた機体は真っ白なフォルムをしていた。風を纏わせているからとはいえ、こんなに煤で汚れていただろうか。
一歩前に出てふと、絵の中に鉛筆で何かが細かく描かれているのに気付く。
カンバスは布だ。使うとしたらアクリル絵の具で、下描きが残っていたとしてもここまで目立つものではないはず。
私はカンバスにさらに近付いて目を凝らした。
ブルーインパルスだと思っていた機体の側面には、国旗と機体の番号が書かれており、雲に紛れて縋るように無数の手が伸びていた。真っ黒に塗り潰された少女を覗き込めば、泣き叫ぶような表情と浮かべ、手を空へ真っ直ぐ手を伸ばす姿が残されている。
「これって……」
まさかと思い、少女が抱えている花にも目を向ける。
特徴からデイジー、コスモス、オリーブ、タンジーと推測してポケットに入れっぱなしにしていたスマホで手早く検索をかける。暇つぶしで読んでいた植物図鑑の記憶がこんなところで役立つとは思わなかったけど。描かれている花の特徴はどれも異なるが、検索欄に「花言葉」を追加すれば「平和」の花言葉があるものばかり。
そこでようやくタイトルの意味に気付いた。
誰でも近づくことができるイーゼルに飾られているのは、鉛筆の下描きこそがこの『明日へ』の本来の姿だと観ている誰かに気付いてもらいたいからだ。
機体に伸ばす手は、飛び立つそれを引き留めたい人々によるもの。
少女の顔が黒で塗りつぶされているのは、周りの煙で見えないから。
まとまりのない花ばかりをまとめたのは、「平和」の花言葉が入った花を少女が身の危険を顧みずに懸命にかき集めた、命と同等に大切なもの。
憶測にしかすぎないけど、今の私にはここまでしか分からない。ずっと拭えなかった違和感の正体を、他にどう説明しようというのだろう。
この絵は――。