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 さて、早紀と話すと決めたのはいいものの、夏休み中であることをすっかり失念していた。
 メッセージや電話で解決するのはお門違いというか、彼女とは直接会って話さなければいけないと思う手前、学校に来ない約一ヵ月近い夏休み中に呼び出すのは抵抗があった。もちろん、呼び出せるほどの理由ではあるものの、優柔不断な私には通話ボタンを押す勇気はない。
 うだうだ悩んでいて三日が過ぎたある日、高嶺先輩から美術室の写真を追加で撮ってきてほしいと頼まれた。全体を映しただけの写真だけでは、細部まで描き込めないという。
 指定された場所を赤ペンで印をつけられたプリントを渡されて美術室に向かう途中、ちょうどハンドボール部の部員がぞろぞろと校舎に入っていくのが見えた。一人ひとりの荷物が多く、部員同士の会話から、今日から二泊三日の合宿が始まることを知る。先程まで練習していて、これから宿泊所へ移動するらしい。
 その中には早紀の姿もあった。校則ギリギリだったメイクは、日に焼けて小麦色に色づいた肌にあったナチュラルメイクになっており、ポニーテールにした茶髪は色が抜けて金髪になりつつある。部員と楽しそうに話す彼女は、教室にいるときとまったく違う。私の知らない早紀がそこにいた。
 高校で部活するのを楽しみにしていたのだから、当たり前かと納得する反面、あんなに一緒にいたのに知らない人みたいで、ほんの少しだけ寂しさがあった。
 すると、偶然顔を上げた早紀と目があった。気まずいのに目が逸らせなくて、どうしようかと焦っていると、彼女は部員の子に一声かけてから、真っ直ぐこちらに向かってくる。
「なんでここにいるの? 夏休み中なのに、部活あるわけ?」
 私の前までくると、腕を組んだ仁王立ちで怪しむように聞いてくる。
「う、うん。ちょっと、美術室に用事があって……」
「そう……」
「…………」
 ――気まずい。
 それっきりお互い黙ってしまって、視線さえも逸らしてしまう。なんとも不穏な空気が流れた。
 私は困惑していた。まさか早紀から話しかけてくるなんて思ってなかったし、「そう……」と告げられてをどう答えを返せと?
「ごめん」
「……え?」
 しばらく沈黙が続く中、先に口を開いたのは早紀だった。彼女の口から零れた言葉に、私は顔を上げて早紀を見た
「あの時は言い過ぎたと思ったから、謝ってるだけ」
 決して視線は合わせてくれなかったが、組んだ腕が小さく震えていた。
 中学の頃、全校生徒の前で発表する機会があって、緊張で手が震えているのを懸命に抑えつけているのを見たことがある。
 怖くない、怖くない。大丈夫、大丈夫。――そう呟いていたあの頃の姿が重なってみえた。
 傷つけた言葉の棘を抜くことは出来ない。深く深く根付いていくそれを、どう足掻いても取り除くことは難しい。それは早紀だって同じだ。思っていることを口にすることが、どれほど重いことか。
「私も、ごめん。自分のことでいっぱいで、早紀のこと考えられなかった」
「……考えたくもなくなるよ」
「え?」
「中学……ううん、もっと前からこうだった。感情の起伏が激しくて、自分の思い通りにならないと気に食わなくて、誰かに便乗してポジションを乗っ取ったり、嫌味を言うつもりなくても口が先走った。これで一緒にいた友達を全員傷つけて、見下すことで満足していたの。――でも佐知は違った。私が何を言っても一緒にいてくれた。そんな佐知に私は甘えていたんだよ。この子なら何したっていい、私がいないと何もできない子だって勝手に決めつけた。なにもかも上手くいかないときのはけ口にしてた! 描いた絵が入賞したときも、自分で入りたい部活を探していたことも、私から離れていくのも、全部全部……私にないものを全部持ってる佐知が羨ましくて」
「……羨ましくて、八つ当たりしてたの?」
「私がいないと『何もできないちぃちゃん』だって思い込んでいたんだもの。最低でしょ、私」
 涙を浮かべた早紀は八つ当たりのように吐き捨てる。出てくる言葉はどれも後悔ばかりだった。
 私はどこか、早紀が無自覚のままでいてほしいと願っていたのかもしれない。彼女の本心を目の当たりにして、それが自分のエゴだと気付いた途端に呆れて言葉もなかった。
「だからもう、佐知は私に関わらないで。今までのことを許してもらえるとは到底思ってないし、教室でも話さないから。来年のクラス替えまで悪いけど――」
「それは、いくらなんでも勝手すぎない?」