病院のロビーで待っているように言われて片隅にあるベンチに座っていると、高嶺先輩の病室に顔を出してきた香椎先輩が、自販機に売っていた缶のミルクティーとカフェラテを持ってやってきた。
 何も言わずに隣に座ると、私にミルクティーのほうを差し出す。
「……そのカフェラテ、無糖ですけどいいんですか」
「いいよ。お前、ミルクティーが好きだろ」
 半ば強引に私に押し付けると、先輩はカフェラテの封を開けてぐいっと飲む。小さく「苦ぇ」と呟いたのが聞こえた。
「高嶺から話は聞いた。自分だけで解決しようとするのは昔からずっと変わってねぇな」
 懐かしむように香椎先輩は遠くを見て言う。その横顔は切なくて、今にも泣きそうに見える。
「香椎先輩は、高嶺先輩とどれくらい一緒にいるんですか?」
 お互いの病気や身長、理解しすぎている性格も、高校に入学して二、三年で通じるものではない。特に絵を描くときのアイコンタクトには目を疑った。理解するまでに相当な時間がかったはずだ。
「小学二年生……だったか。俺がまだ目の異変に気付いていなかった頃。学校の帰り道に突然、視界が揺れてふらついた拍子に土手を転げまわったことがある。かすり傷と足首の捻挫、河との境目にあったコンクリートの縁に反動で足を叩きつけて骨折。今思えば散々だったな」
「……それ、本当に土手で転んだんですよね?」
「河に飛びこまなかっただけマシだろ。あまりにも派手だったから、通行人が呼んだ救急車で搬送されて、しばらく入院することになった。……高嶺とは、その時に会ったんだ」

   ***

 ――「君、暇なら一緒に絵を描かない? 歩けないし運動もできないなら、横になっていてもできることをしようよ。退屈しのぎにはもってこいだよ」
 その時の香椎悠人は、突然現れた少年にそう言って誘われたのだという。いきなりなんだと怪しい目で見ていたが、彼の持っていたスケッチブックに描かれた風景画が気になって、話をするようになった。
 病室が一緒だったわけでもないのに、どうして自分の前に現れたのかと尋ねると、少年は少し考えてから笑って答えた。
「検査の時にこの病室の前を通るんだ。その時の君が、寂しそうだったから声をかけようと思って。絵は一人でも描けるけど、誰かと一緒の方が楽しいじゃん?」
 実際は香椎が入ってくる数ヵ月前まで、彼と一緒に遊んでいた友人がその病室にいた。治療のために別の病院に転院したらしい。
 それが少年――高嶺千暁との出会いだった。
 高嶺は幼い頃から心臓が悪く、小学校にろくに通えず入退院を繰り返していた。一人でいることは苦ではなかったが、やはり友人は欲しかった。そうして入院していた同年代の子と仲良くなるも、別の病院に移ってからは連絡を取っていない。そんな時に入ってきたのが香椎だった。足を骨折して歩けないのは目に見えて分かったから、一緒に絵を描いて仲良くなろうと考えたのだ。
 二人は食事と検査の時以外、一緒に絵を描くことにハマっていった。
 高嶺は基本的に何でも描けた。小さな花や小物はもちろんだが、なにより風景画は写真の中に飛び込んだ錯覚に陥った。
 香椎にはそれがどうしても羨ましかった。鉛筆一つで描いたそれに魅了される、これがどれだけ素晴らしいことか! その日をきっかけに、高嶺がいないときでも絵を描くことを続けた。できれば高嶺のように風景画を描きたかったが、香椎は風景画よりも単体で描くものが得意だった。渾身の出来を見せると、高嶺はあっと驚き、花が生きているのかと錯覚したそうだ。高嶺はそれを「絵に呑まれた」と言った。
「香椎は絵を続けた方がいいよ。俺、もっと香椎の絵が見たい!」
 二人はお互いを尊敬し、時に尊重し、時に妬んだ。そうやって支え合ってきた二人は、退院後も連絡を取り続け、中学、高校は同じ学校へ進学した。