ひとしきり泣いた宮地さんが落ち着いたところで、カンバスを慎重に専用のバッグに詰め込む。早速家に帰ったら飾るのだそうだ。
「本当に世話になったな」
「こちらこそ。在学中に灰を使った絵を描く機会は早々ないからさ。……ところで、相談があるんだけど、もういくつか灰の調整をお願いできないっすかね」
「ん? 物によるが……いったい何するんだ?」
 高嶺先輩が文化祭での出展について話すと、宮地さんは大いに喜んでくれた。特に昨年は理事長先生の遺言による特例だったから、今回が正式な美術部の出展となる。正真正銘、最初で最後だ。
「なるほどな。もちろん協力するさ。学校側には俺からも言っておくよ。今年はいいところに置いてくれってな」
「別に端でもいい。……見てくれる奴は、必ずいるから」
 コイツみたいに、と香椎先輩が私を見る。確かに端に置かれたカンバスの前で号泣したのは私くらいだろう。これ以上の大物がいたら教えてほしいものだ。
 話がまとまったところで、第八美術室にある壊れたイーゼルと使われなくなった絵筆を選定し、今日のうちに宮地さんの工房へ持っていくことになった。先輩たちが手分けしてイーゼルを持ち、私は袋いっぱいに入った絵筆を持って学校を出た。十五分ほどの道のりなのに、荷物を抱えていると時間が長く感じる。その間にも宮地さんは高嶺先輩と文化祭までの日程について話している。部長であり交渉役とはいえ、着いてからすればいいのに。
 すると、隣を歩いていた香椎先輩がこっそりと私に訊いてくる。
「お前、高嶺が美術室のスケッチをしているのいつから知ってた?」
「え? 確か……まだ見学してすぐの頃だったと思います」
「ふーん……」
「そんなに茶化されたのが気に食わなかったんです?」
「それもあるけど、正直アイツが描くとは思ってなかったからさ」
 呟くように言った香椎先輩の表情はどこか寂しげに見えた。聞いてしまってもいいのだろうか、そんな不安がよぎったけど、私は黙ったまま道なりを歩いた。
 やがて新しく一軒家を建築している最中を通りがかる。コンクリートブロックが積み重なって出来た塀の中には、すでに立派な家が建っている。今はシートを剥がし、足場を解体している最中のようだ。手際よく上の足場から一本ずつ外して、投げて下ろしていくのが見えた。
 歩いている最中に落ちてきたら嫌だな、と思っていると、解体していた作業員が私たちに気付いて、紐で括って下ろすように指示を出す。最初からそうするべきだっただろうに、呆れていると、後ろから宮地さんと叫ぶ金切り声が聞こえた。
 振り返ると、怪訝そうな顔のおばあさんがずかずかとやってくるのが見えた。つい先日聞いたばかりの姑さんだ。
「きえさん、こんにちは」
「アンタ、そんなゴミを持って森に捨てに行くんじゃないだろうね!」
「いえ、これは……」
「生徒まで使うなんて最低な男だね。大体今の若い子は――」
 姑さんがねちねちと小言を繰り返すが、なんせすぐ横は一軒家を建築中。外壁ができたからと言って、今も何かを叩く音が聞こえてくることもあって上手く聞き取れない。これには宮地さんも困った顔をした。ただでさえ話を聞いてもらえないのに、聞き取れないと訴えてもこちらのせいにされてしまう。
「あのね、ここだと話せないから家に戻りましょう!」
「なんだい! 寄ってくるんじゃないよ!」
 宮地さんが一歩前に出ると、警戒した姑さんが後ろに下がった途端、足元に散らばっていた工具に躓いて蹲った。作業員が片付け忘れたのだろうか、高嶺先輩が駆け寄ろうとしたその瞬間、上の方で足場を解体していた作業員がよろけた拍子に手から離れ、鋼管や踏板がまとめて落下してきた。
 あろうことか、下で受け取っていた作業員の近くにいた私たちに向かって。
 大きな音をたてて地面に叩きつけられると同時に、香椎先輩に覆いかぶさわれる形で地面に倒れ込んだ。一通り音が止んで、そっと見渡した惨状に思わず目を疑った。
 地面にはコンクリートと当たって曲がった足場の部品と、先輩たちが持っていたイーゼルが散乱している。宮地さんはカンバスを抱えながら逃れたようで、真っ青な顔をしている。
「……高嶺?」
 顔を上げた香椎先輩はかすれた声で呟く。
 その視線の先には、姑さんを庇って足場の下敷きになり、頭から血を流している高嶺先輩の姿があった。