「……ほら、早く行かないと終わるぞ。(みや)()さんから始めるって連絡きてただろ」
「ヤッバ! そうだった」
「みやじさん? って、これから何をするんですか?」
 先を急ぐ二人が顔を見合わせる。服が汚れる作業であること以外何も聞いていないのに、説明がないのは不公平だ。すると、二人が互いの顔を見合わせて眉をひそめた。互いに説明した気になっていたらしい。
 校舎の裏門をくぐったところで、ようやく高嶺先輩が教えてくれた。
「今から行くのは、学校近くにある工房。芸術コースも良く世話になっていて、資材や特殊な機材を使わせてもらっているんだ。宮地さんはウチの卒業生で、工房の持ち主。花井理事長の教え子さ。あとは行ってみたらわかるよ」
 先輩たちと話しているうちに、工房へ辿り着いた。学校は市街地よりも山寄りにあり、十五分ほど歩けば森林が広がっている。そこに佇む木造の平屋が目的の場所だという。一見普通の平屋だが、門や塀、玄関の引き戸に繊細な飾りが施されている。
 平屋の裏手からカンカンと何かを叩いている音が聞こえてくる中、先輩たちは止まることなく奥へと突き進む。
 次第に奥の開けた場所に出ると、そこには大きなかまどが鎮座しており、吹き抜けになった天井にまっすぐ伸びている。
 そのすぐ近くで木材を解体作業をしている強面な男性に、香椎先輩が駆け寄っていく。
「宮地さん、お疲れ様です。手伝います」
「……ん? 悠人か。珍しく遅かったな。勝手に始めてるぞ」
「なかなか学校から抜け出せなくてさ」
「わははっ! お前ら、ちゃんと卒業できんだろうなぁ?」
 顔を上げた男性――改め、宮地さんは茶化すように笑うと、香椎先輩に工具を渡した。先輩も慣れた手つきで一緒に何かの部品を外す作業に取り掛かった。何をしているのかわからないまま、横から新品のマスクが差し出された。
「はい。これから木屑や煙が出てくるからこれで覆って。佐知と俺はここで見学。何かあったら宮地さんの指示に従ってね」
「え? いいんですか?」
「香椎の絵の材料なんだから、アイツ主体で作らなきゃ意味がないだろー。ちなみに今解体しているもの、何かわかる?」
 少し離れた位置で作業する二人の手元を見る。どうやら木材に刺さった鉄を分けているらしい。取り外された鉄に妙なカーブがかかっているのを見て、つい先日まで設置されていた校庭のベンチを思い出した。
 先輩たちはここに来る前に素材を集めに行くのではなく、素材を作りに行くと言っていた。先日まで香椎先輩がカンバスに下描きしていた絵がベンチだったのは――。
「絵の具に混ぜる灰を作るんですか?」
「正解! でも俺たちが手を出せる作業は、かまどに火をくべて、ベンチが炭と灰になるのを見届けるまで。灰を粉末状にするのは宮地さんに頼んでいるんだ。特殊な方法だからどうやっているかは教えてもらえてないけど、香椎が頼んだ粒の大きさに必ずしてくれる、灰の職人(・・・・)だよ」
「灰の職人って?」
「木炭のデッサンはしたことはある? 宮地さんは木材を使った造形製作が本業なんだけど、デッサン用の木炭を依頼された時だけ作っているんだ。一本もらったことがあるんだけど、すごく良い書き心地でさ。だから灰の職人って、俺が勝手に呼んでる」
「なるほど……じゃあ、あの文化祭の時も?」
「あの時はさすがに火葬場で喪主の息子さんから預かった遺灰を、宮地さんに調整してもらった。ベンチみたいにここで火葬するわけにはいかないからな」
 私たちが話しているうちに、解体作業は黙々と進んでいく。埃と木屑が舞う中、香椎先輩だけはマスクをしていない。高嶺先輩に聞いたら「眼鏡が曇る方が怖い」と言って突き返されてしまうらしい。
「多分、ちゃんと見ていたいんじゃないかな。これから灰になるベンチを、どの絵の具に混ぜようかとか、完成する絵の想像とか。今のアイツには、勉強や進路よりも絵の方が大事なんだよ」
 そう教えてくれた高嶺先輩は、少し泣きそうな顔をしていた。
 香椎先輩はあと二年もしないうちに失明してしまう。卒業後も絵を描いていくのか以前に、今見える景色、感じるものすべてを記憶に焼き付けたい想いが強いのかもしれない。
 じっと作業を見ていると、顔を上げた香椎先輩と目が合う。
「佐知、これを移動させるから手伝ってくれ。かまどには宮地さんに入れてもらう。傍に置くだけでいい」
「オイオイ、女子に力仕事をやらせる気か?」
「部活の公欠なんだから、何かやらせねぇと。宮地さんだって学校に報告するときに話しやすいだろ?」
 香椎先輩の指示で、高嶺先輩も加わって解体された五基分のベンチの木材を少しずつ移動させていく。ひっかき傷やサビで変色しているのは、何年ものの間にいろんな人が使ってきた証だ。
 いくら先輩たちが解体して、かまどに入るほど小さくなっているとはいえ、ずっしりと重みがあった。表面が乾いているから素で触れたらひっかき傷になりそうだ。自分の身長の半分ほどの木材を持ち上げるのでも大変で、震える腕を堪えてかまどの近くに持っていけば、宮地さんが片手で軽々と取り上げてくれた。
「助かるよ、ありがとう。無理すんなよ」
「あ、ありがとうございます、えっと……」
「ああ、初めましてだな。ひと段落したらちゃんと挨拶させてくれ」
 宮地さんは木材を丁寧にごうごうと燃え盛るかまどの中へ入れていく。これがすべて炭と灰になるまで燃やすのだそうだ。その後、余分なものを省いて粒子を揃える作業が待ち構えており、これが二週間ほどかかるのだという。入りきらない分は残しておいて、時間がある時にデッサン用の木炭にするらしい。