言葉を失う、とはこのことかと痛感する。
 ふいに視界に入ったイーゼルの前に、渦中の人である香椎先輩の姿が見えた気がした。目を細めながらも真剣に、丁寧に鉛筆で線を引いている姿が、この先もずっとあるものだと思い込んでいたのは私だけだった。
 信じたくないと顔に出ていたのか、高嶺先輩はいう。
「嘘じゃないから、浅野に話したんだよ」
 高嶺先輩の声が小さく震えていたのを聞き逃さなかった。
「浅野が初めて第八美術室にきたときのこと、覚えてる?」
「……はい」
 何も知らされずにやってきた私に、香椎先輩が異常な距離感で顔を覗き込んできたことは今も鮮明に覚えている。頭を固定されて身動きが取れない中、頬が当たる寸前で止まってじっと見ていたことも、アクリル絵の具の匂いが鼻をかすめたことも、急に上がった心拍の音も忘れられない。
「眼鏡がない時は顔の輪郭くらいしかわからなくて、一つ一つのパーツが見えていない。だから関わることがある人とは、いつもあの距離で顔を確認しているんだ。目で見えない分は手のひらの感触で確かめていることもある」
 あの時、驚いてむせていた私を介抱しながら、高嶺先輩は「香椎は顔を覚えられない」と濁していた。でも実際は、あの距離でなければ香椎先輩は私を認識できなかったのだ。
 先日『欠けているから敏感なのかもしれない』と自嘲気味に言っていたのは、視力が欠けた分、他の感覚で補っていたということ。先輩にとって第六感は、視力をカバーするために必要なものだった。
 高嶺先輩はさらに続けた。
「急にこんな話してごめんな。もう浅野と会ってしばらく経つのに、アイツの通院とお前のバイトの日がいつも被ってたから、すっかり気が緩んでた」
「……どうして私に話してくれたんですか? 今のだって誤魔化せましたよね?」
 すぐに何でもないとはぐらかしてくれたなら、高嶺先輩は打ち明ける必要が無かったし、私だって聞き流していただろう。
「いずれは話していたよ。それが今日だったってだけの話さ」