「上手いも下手も関係ない。自分が考えていることを表現する術ならば、躊躇わず選べばいい。言葉で綴るのも、造形して意味を込めるのも誰だってできる。俺の場合はそれが、描くことだった。ただそれだけの話」

 時々、先輩がそう話していたことを思い出す。絵の具に灰を混ぜる手法を応用したその絵を、周囲は否定し、拒絶した。学校という環境で後ろ指をさされても、先輩は正しいと思った自分の行動に胸を張って堂々としていた。

 端に追いやられた物置同然の美術室でひたすらカンバスと向き合う日々は、時に苦痛に思うこともあったはずなのに、先輩はいつも楽しそうで、羨ましかった。

 迷うことなく絵筆を走らせる姿は鮮麗ながらも無邪気で、火をくべて灰になるのを見届ける姿は、洗練された納棺師のように真剣な眼差しを向けていた。

 一枚の絵に呑まれるたびに、世界は好きなもので彩られていくことを知った。描いた張本人である作者が見据える世界、意志、願いが形となり人々を魅了していく。それは気付けば涙するほど、時に儚くて美しい。

 だから時折に見せる辛そうな横顔に、気付かされることだってある。

 先輩だって人間だ。

 「誰にも知られなくてもいい」と強がった、悲しいくらい優しい人だ。

 この世界で息をしている限り傷一つもつかない、きれいなままで人生を終えられるほど完璧な人間はいない。人間はどこか欠けている未完成だからこそ、何かを成し遂げた時に喜びや悲しみを感じ取ることができるのだと、先輩は教えてくれた。

 それを何度も痛感するたびに、私は人間として生まれてきてよかったと心の底から思う。

 未完成な人間は生きることを諦めない限り、ずっと、ずっと学んでいけるのだから。