二人の間に気まずい空気が流れる。彼は無意識に私の手を引こうとしたのだ。まるで彼女にそうするように。真奈さんと間違えたんだなと気づく。それに応じようとした自分が急に恥ずかしくなって、耳の先まで熱くなった。

「……そういえば私と話して大丈夫なの? 真奈さんから怒られるんじゃ」

 安藤くんが私に話しかけて来てから気になっていたことを聞いた。
 彼は私の問いに、ああ、とどう言おうか考えあぐねている様子だった。額をポリポリと掻き、空を仰ぐ。答えにくいことを聞いてしまったという罪悪感が生まれ、「言いたくないならいいよ」と伝えようとした。しかし彼はすぐに口を開き、「それが」と事の顛末を話し出した。

「真奈とは昨日別れてん」

「えっ」

 真奈さんにぞっこんだった彼の様子を思い出した私にとって、まさに青天の霹靂。確か二人はまだ付き合い始めたばかりだったと記
憶している。何かあったんだろうか。

「……変なこと聞いてごめん」

「いやええよ。別れたのは僕が原因やし」

「そうなんだ。真奈さんの方から別れを?」

「ちゃうねん。僕が別れようって言ってん」

「……」

 まさか。安藤くんがあの可愛らしい彼女を自ら振るなんて。きっとのっぴきらない事情があったに違いない。
 青天の霹靂に寝耳に水で思わず私は口をつぐんでしまう。彼らのラブストーリーの終わりが気になって仕方なかったのだが、さすがに昨日の今日であまり踏み込むこともできない。見れば彼は真剣な眼差しで真奈さんと別れたことを思い出しているようで、彼にとって彼女との別れが傷になっていることが明白だった。

 私がしばらく無言で彼の表情が変わらないのをじっと見つめていると、彼は「どうしたん?」と私に聞いた。

「いや、その……きっと事情があったんだろうなって思うと、何を言えばいいか分かんなくて」

 しどろもどろに答えると、安藤くんは「ははっ」と場面に似合わず頬を持ち上げた。

「気遣ってくれてるんやね。ありがとう。真奈のことはめっちゃ好きやってんけど、どうしても付き合い続けることができひんって思って」

「そっか……そういうこともあるよね。付き合ってみないと分かんないことだってたくさんある」

「そや。僕は恋愛初心者すぎてそういうこと知らんかった。世の中のカップルたちは皆例外なく幸せやって思うてた。でもちゃう
んやな。幸せなカップルもおれば、今まさに別れの危機に瀕してるカップルだっておる。二人にしか分からん事情っていうのはごまんとある。『リア充爆発しろ』とかもう言えへんわ」

 最後は笑い混じりに鼻の下を掻く安藤くん。彼の言うことは、恋人が欲しいと願って止まない私にとって目から鱗だった。
 世のカップルたちが全員幸せなわけじゃない。確かにそうだ。親友のつばきだって不動の彼氏だと思っていた神谷くんとの関係で悩んでいる。それなのに私はただただ自分の肩を預けられる恋人が欲しくて、いなくなった妹の代わりになってくれるような存在を探して。エゴまみれの自分に、たとえ恋人ができたって本当に幸せになれるのかと言えば分からないのだ。

「私、安藤くんのこと誤解してたかも」

「え、そうなん?」

「うん。なんかもっと恋に飢えたイカ京だと思ってた」

「なんやその悪口。ひどいなあ」

「ふふ、ごめんごめん。でも今はすごいなって思ってる」

「ほんまに? 悪意とかないよな?」

「ないって。私も安藤くんみたいにちゃんと地に足つけて恋愛しようって思った」

「地に足か。僕の場合、泥沼に足を取られて溺れそうやわ」

「なーに、その例え。変なの」

 私たちはお互いの顔を見合わせて笑った。安藤くんって見た目はガリ勉だけれど、話していくうちに取り留めもないことを面白おかしく話してくれるから楽しい人だ。傷心話で実感するのも申し訳ないが、見直したということで許してもらおう。

「僕のしょうもない話は置いておいて、早いとこ学の家に行こう」

「そうだったね。でも突然押しかけて大丈夫?」

「大丈夫大丈夫。カモミールティーでも出して迎えてくれるって」