さて、翌日の夜に早速真奈と会う予定のあった僕は昨日学から言われたことを頭の中で反芻し、真奈に正面きって伝えようと意気込んでいた。
「真奈、相談があるんやけど」
「ん、どうしたの?」
二人で流行りの恋愛映画を見た帰りだった。映画は不治の病にかかり自暴自棄になった女の子が大切な人と出会い、生きる希望を取り戻していくという王道のお涙頂戴ストーリーだった。真奈はこういったロマンスが好きらしく多くの観客と同様、終始鼻をすすっていた。
そんな心温まる映画を見終わり、二人で夜の鴨川を散歩しているときに僕は切り出したのだ。
「この間の、『他の女の子と仲良くしないでほしい』っていうお願いなんやけど」
「うん」
「ちょっと大変やなって……。いや、もちろん僕は真奈のことしか見えてへんよ? でも、業務連絡とかまで制限されるとやりにくいというか」
あくまで彼女の気持ちを尊重しつつ自分の要求を主張するのにはかなり苦労した。「下から、下から」を意識して超低姿勢で臨んだお願いだったのだが。
真奈は突然、ピタリと歩みを止めた。手をつないでいたので、僕の方が一歩前へ進んだところで彼女がついてきていないのが分かった。
「どうしたん?」
「……やだ」
「え?」
俯いて自分の足元を見つめながらそう呟く彼女。
「嫌って、僕が他の女の子と仲良くすること?」
今度は黙ったままこっくりと頷く。
「待ってや。そんな、仲良くするってことはないで? 真奈だって、ただ友達として男と話さないかん時もあるやろ?」
「ない。女子大だもん」
「そ、そうか……」
うーん。
そこまで反論されてしまうと何も言い返せない。論理的に考えれば絶対に僕の方が正論なのだけれど。これは理屈ではなく感情の問題なのだ。これ以上僕が意見を突き通せば、彼女の機嫌を損ねかねない。
「分かった、分かった。ごめんやで。やっぱ真奈の言う通り連絡とかせーへんから許してや」
両手を挙げて「参りました」のポーズをとる。すると真奈は急に顔を上げてぱっと花が咲いたように笑う。彼女が笑ってくれて良かったと思う。もうこの件で彼女の言い分を否定するのはやめよう。
それから僕たちはまた手をつないで鴨川を歩き始めた。昼間は日差しを反射してキラキラと煌めく鴨川が、夜は真っ暗で底無しのように見える。
ああ、やっぱり僕は彼女には逆らえんのや。
脳内の学が「これだから恭太は」と呆れ顔で頭を抱えている。いやあ、仕方ないやん。だって、僕にとっては真奈を失うことが一番怖いんやから。堪忍せえ。脳内学を必死に追い払う。けれど、彼を追い払う手にだんだんと力が入らなくなっていることに気づいた。
本当に、本当に僕は真奈とこのままやっていけるんだろうか——。
初めて頭によぎった不安がもくもくと雲の形になり仙人のような学を乗せて飛び始める。『そうだよ恭太くん。君はいずれ、彼女のことを疎ましく感じるようになるさ』
『そんなことあらへんわっ。せっかくできた彼女なのに、大切にせえへん意味が分からん』
『頭で思ってることと、心で感じることは別なのさ。まあ、そのうち君も理解できるって』
『なぬ〜』
脳内の学は僕の妄想の産物に過ぎないのに、実際の学が本当に言いそうなことばかり告げてくる。
『ええから見とけ。僕は絶対に真奈を手離さへん』
『そうかい。まあせいぜい頑張りたまえ』
もわわわん、と雲と一緒に霧散した脳内学。気がつけば僕は肩でぜえぜえと息をしていた。
「恭太くん大丈夫? 顔色悪いみたいだけど」
「大丈夫……ごめんやで」
「なんで? なんだか、今日は謝ってばかりね」
「そうかな? ご、ごめん」
「ほらまた」
真奈が「何か辛いの?」と僕の頭をぽんぽんと撫でる。ああ、なんて温かい手だ。僕はこんなに優しい真奈の想いを踏みにじろうとしていたのか——。
「ありがとう。もう大丈夫や」
「よかった〜」
大丈夫、大丈夫。
何度も自分に言い聞かせる。これだけ彼女のことが好きなのだから、僕は大丈夫。
けれど、この時点で僕は気づいていなかった。そもそも、自分に言い聞かせなければならないくらい、心が「大丈夫」を保てていないということに。
彼女の想いが、ちょっとずつ心に重くのしかかっているということに。