コンビニでおでんを買って、自動ドアの横に座り込んで、二人でひとつの器をつついている。店に入る人たちが迷惑そうな顔をして横を通りすぎていくが、俺たちは気がついていない振りで無視する。
 凍えた手をおでんの容器であっためながら、湯気と白い息の混じった空気を呑みこんだ。

「明日また進路指導だろ。俺、第一志望の学校考え直せって言われてから、ムカついて何もしてないんだよな」
 大根を飲み込んで、隣りであぐらをかいている翔太が悪態をついた。

「やばいだろ、それは」
「だってあの担任の言い草がさあー」
 隣りで盛大に、口から白い靄が吐き出される。鬱憤のたまった白い靄だ。

「あー、鬱陶しいよなあ」
 進路進路進路。毎日学校で連呼されること。

 部活は何のため? 面接で学校生活で楽しかったことを語るため。勉強は? 将来の夢? 現実を見なさい。そんなものになろうなんて一握りの人間だけ。お前の成績では無理。推薦のために出席率を考えて行動しなさい。多少の風邪では休んではだめ。

 大人は大人の考え方で、子どもの思考まで絡めとろうとする。

 どうせもう少ししたら、甘い考え方なんて捨てないといけないことくらい、知っている。文句を言いながらあくせく働く大人たちを見ながら、俺たちが暗澹な気持ちになっていないとでも思っているんだろうか。

 今の間くらい夢を見て遊んでいてもいいんじゃないか。思うけど、そんなこと言おうものなら「現実を見ろ! そんなこといってるやつが人生を脱落していくんだ!」人生脱落したかどうかなんて、本人の判断で、人から見てどうかなんて関係ないんじゃないかなと思うけど、もう口にしない。

 口にしない。口にしないから内に泥がたまっていく。

「あー、大人ってめんどくせー。大人なんかなりたくないよなー」
 ピーターパンか、と、少々センチメンタルというか、メルヘンチックな考えが浮かんだ。我ながら恥ずかしく馬鹿馬鹿しかったので、もちろん口にしない。

 大人になりたくないって、それは体が年老いていくのがいやなのか、思考が老いて固まるのが嫌なのか。少しずつ狡くなって、腐っていくのがいやなのか。
 分厚いメガネに、額と口元にしわの目立つ担任の顔が思い浮かぶ。すごい不愉快。

「人魚の肉でも、探してきたら」
 かわりに出してみたのも、結構メルヘンチックな言葉だった。

「なんだよそれ」
「マンガで読んだ」
「おいおい」
 まじめな話だったのに、と少し怒る。冗談でまぜっかえすなよ、と。

「半身が魚の怪物の肉を食べると、不老不死になるんだとさ」
「なんだよ、怪物って。人魚だろ?」
「怪物は怪物だろ」
 人間でないのは確か。
「なるほど」

 翔太は楽しげに、喉の奥で笑っていた。
 俺の冗談が楽しかったのか馬鹿馬鹿しかったのか。

「焼いて食うのかな、それ。煮るのか? それとも生?」
「さあ。魚だし、刺身でも食えるんじゃないか。人間の部分は知らないけど」
 うえ、と翔太が吐くようなしぐさをして見せた。俺はそれを見て笑う。翔太も笑う。

「とりあえずその怪物を捕まえて、肉を食ったら、俺たち、若く美しいままでずっと生きていられるんだな」
 胸に手を当てて芝居かかった口調で、翔太が言った。美しいってツラかよ、と俺がまぜっかえす。

 若いままで、ずっと永く永く自分だけが生きる。
 それはひどく、救いようがないことのように思える。

 今大人たちを見て泥を飲むような気持ちになっているそれが、年をとればどんどん増えて行くに違いない。見た目だけが若くても、無知ではいられないのに。どんどん汚れはたまっていくのに、外側は変わらないなんて。

 腐乱した思考が、瑞々しい体に宿る残酷さ。

「人魚はともかく、俺、卒業するまでには、出て行くぜ」
 あっさりと言った翔太の言葉を、はじめて聴いた気もしたし、今まで何度も聞いたような気もした。ほのめかすように言っていたような気もするし、態度であらわしていた気もする。

 冗談なのか、本気なのか。普通ならただの逃げの言葉だけど、翔太はきっと違う。
 それこそ、明日の進路指導までにはいなくなっててもおかしくないかもしれない。

「どうして?」
 聞きながら、少しも驚いていなかった。

「くだらねーよ。こんなとこにいたら、大人になっちまうから。つまらないだろ」
 ――くだらない大人になってしまう。

「どこに行くんだよ」
「もっと都会に」
 翔太の言葉は、あまりにも漠然としている。都会なら、くだらないことなんてない大人がいるものだろうか。

 結局、どこだって、同じ。

 第一、出て行っても、どこに生活していく金がある。どこに生活していくための家がある。仕事がある。誰が、家出した高校生を雇ってくれる。
 そんなことを考える俺は、可愛げないだけなのだろうか。もう、たくさん汚れがこびりついてしまったのだろうか。

 翔太なら、やっていくかもしれない、と思った。

 問題が立ちふさがっても、この救いようのない、前向きな思考で乗り越えるだろうと。そして少し鬱陶しいなと、思う。うらやましくて鬱陶しくて、もどかしくて重い。

「なあ、そのときは、一緒に行くだろ?」

 そうやって誘うのは、離れたくないから? 一人で荷を背負うのがいやだから?
 一人で、立っていたくないのか。立っていることが、できないのか。
 大人になりたくないのは、背負うものの大きさが、怖いから?
 たくさんの疑問を投げかけながらも、俺は表では笑う。

「そうだな」
 いつも一緒だろ、俺たち。
 そう言って、笑う。

 俺たちは幼いころから、とりあえず、ずっと一緒に育ってきた。家が近所で、当然小学校も同じ、中学も同じ、途中で喧嘩して口を利かないようなこともあったりしたけど、結局高校も同じ。

 だけど、多分、俺は。


 醒めた気持ちがあるのは、これがもう手遅れだという証明なのだろうか。俺はもう、醜いのだろうか。

 多分、俺は行かない。
 ついていかないのは、おいていかれたくないからだ。

 もう、違うものになってしまったことを、悟りたくないからだ。これ以上走れないことを、悟られたくないからだ。先にあきらめておく。やれないんじゃなくて、やらないんだよ、と。

 そうして、もうとっくにおいていかれたのだと、悟る。

 いつまでたっても翔太のように突っ走っていけるやつは突っ走っていって、人から見てどうだろうと楽しんでやっていくんだろう。さっき自分で思ったように、誰が落伍したかなんて、人が決めることでもない。
 多分俺みたいなやつは、ある意味落伍していて、ある意味、うまくやっていくんだろうと思う。

 どっちがいいかなんて今はまだわからないけど。

 喧嘩なんてレベルのものじゃなく、俺たちの道はもうすぐ完全に別れてしまうのだろうという予感で、また妙な気分になる。重い。

「とりあえず明日までには、適当に決めておけよ、第一志望」
 息の色と同じで軽い言葉だ。すぐにかすんで消える。

「とりあえずな」
 言葉と同じいい加減さで応えて、翔太がまたおでんの器をつつく。こんにゃくを取り出して、歯をむきだして熱そうに噛み付いた。

 冬の夜はそうやっていい加減にふけていく。そろそろ、帰りが遅いことに気づいた親から携帯に電話がかかってきてもおかしくない。鬱陶しい現実。

 今が何時だとか時間だけの話じゃなくて、いつまでこうしていられるのだろう、と考える。だけど、また暗い腐った考えで、脳みその中が、テレビで見たことあるような黒ずんだ色になっていくような気がして、やめる。憂鬱になるだけだし、やめとく。

 翔太がいつか、いなくなるまではやめておくことにした。


 俺一人になってから腐ってみても、もう別にどうでもいいだろうから。