凛とした空気が満ちる冬の朝。シュウシュウとストーブの上で音と立てるヤカン。珠美佳(すみか)は久しぶりに帰省した実家の台所で、外気温との差で少し曇った窓の外を眺めながら緑茶を飲んでいた。
「なんか、不思議な気がするよね。お母さん」
そう言われて、エプロン姿の70代の女性は「なにが不思議なの」と振り向かずに答えた。
「だって、煙草くさくない朝なんて、子供の頃はあり得なかったじゃん」
庭いじりが趣味の父は、窓の下で真冬だというのに何か花壇を弄っている。
「そうね、お父さんが煙草をやめてから吸う人がいないからね」
「でしょ、毎朝お母さんがお父さんを起こすのに、コーヒーを部屋に持って行って、煙草に火を付けて渡してとかやってたし。お祖母ちゃんは、ヘビースモーカーだったから。毎朝掃き掃除しながら、一服するとか言って煙草吸ってて。目が覚めると、煙草の臭いとご飯の炊ける匂いがするのが日常だったから」
「そうね、そう言われると不思議ね。珠美佳、手空いてるなら仏さんにご飯とお茶あげてきて」
「はいはい、行きますよ。線香は後でいいのよね、お経あげる時にお母さんがあげるんでしょう。鈴を鳴らして手を合わせてくるだけだよね」
「まあ、そうなんだけど。折角久しぶりに家に居るのだから、お線香もあげてらっしゃいな」
「はいはい」と言いながら、立ち上がり仏壇の供え物のお盆を持つ娘に、萬智子は振り向いて微笑む。
「私は、こんな静かな朝に慣れないけれどね。アンタ達が大人になってからは、孫達が毎朝来てたし。あの子達もう来ないしね」
「そうね、穏やかな老後って感じで羨ましいけれどね。その内、曾孫が顔を出すようになるわよ」
「まだまだよ、高校生だし」
「いや、18歳でしょ。早ければ、あと2年くらいで曾孫って有り得るよ」
などと、軽口を叩きながら珠美佳は台所を出た。
 玄関前の廊下を通り、つきあたりの部屋。そこが、元々祖母が暮らしていた部屋だ。今は、仏間としてしか使われていない。足元から底冷えする実家は、マンション暮らしの珠美佳には寒くてたまらない。
「日本家屋は、寒いのよね。というか、そろそろ換気終わりで良いんじゃ無いの」
仏壇に、ご飯と味噌汁、そしてお茶の乗った盆を乗せてから裏庭に続く掃き出し窓を閉める。毎朝、祖母はこの掃き出し窓を全開にして、対角線にある玄関も開け放ち箒で掃き掃除をしていたのだ。
「何か、伝統が引き継がれているって感じよね。そういえば、お祖母ちゃんのこの癖って、スペイン風邪の時に子供達が罹患しないように換気をしたのが元だって話してたなあ。スペイン風邪の時なんて、まだあの人産まれてなかった筈なのに」
窓をガラガラっと閉めて、仏壇の前にすわりお線香をあげてから鈴をチーンと鳴らす。
「お祖母ちゃん、お祖父ちゃん。遊びに来てるよ」
手を合わせて、小さく呟くと仏壇の左奥にある写真立てに手を伸ばす。写真の前には、動かなくなった金の懐中時計。
「これ、まだそのままなんだ」
彼女は懐中時計を愛おしそうに手に取る、在りし日の祖母の姿を思い出していた。