「いいえ。奥様がいてくださったからこそ、私はこんなにもありがたい生活をさせていただいているんです。お話を聞けるのは嬉しいです。それに、この家もきっと、懐かしんでいると思います」

 いなくなってしまった人を懐かしむのは、その人が生きていた証を確認する行為だと思う。
 確かに同じ時にいたのだと。思い起こして、言葉にして。
 時と共に曖昧になりつつある輪郭を、少しでも明瞭にしたくて。

「……こうして懐かしむことが出来るのも、茉優様のおかげにございます」

「え?」

「茉優様がこうしてお住みくださると決め、この家に再び息吹を吹き込んでくださったからこそ、あの時に触れることが出来るのです。あやかしといえど、臆病なものでございますね。寂れていく姿に、あの時を重ねたくはなかったのですよ。温かな記憶を、寂しいものに変えてしまいたくはないものですから」

「タキさん……」

「私のような想いをしている者は、他にも多いはずです。そして勿論のこと、これは茉優様だったからこそ、私どもも懐かしめるのでございますよ。"人間の女性"だからというだけではございません」

「私だったから……ですか?」

「茉優様。茉優様はどうにも、ご自分に自信が持てないご様子。謙虚なのは美徳でございますが、タキとしましては、もっとご自分を正当に評価頂きたく存じます。茉優様の優しさを、可憐さを、そして何より他者を慈しめる柔らかさを。茉優様がご自身のものとして愛せるよう、このタキ、せいいっぱい尽力する所存にございます」

 ですから、と。タキさんは目を見張る私をしっかりと見据える。
 引き締まった頬。けれどもその瞳は、慈しむそれで。

「たくさん甘えてくださいませ、茉優様。たとえ坊ちゃまのお気持ちをお受け取りになれずとも、良いのです。頼って頂くことは迷惑などではなく嬉しいことなのだと、どうか覚えていてくださいませ」

***

 タキさんと二人で昼食を頂いたあと、私は再び離れの畳拭きを、タキさんは本邸の仕事に戻っていった。
 なんとなく寂しさを感じてしまうのは、この邸宅がひとりで使うにはあまりに広いからだろう。
 そう思いたい。

 だって、遅かれ早かれ私はこの家を出ていくことになる。
 誰かといる心地よさを覚えてしまったら、後々苦しむのは、自分だ。