その時、一番笑顔で送り出してくれたのは善次郎だった。分かっているからこそ、彼は笑顔で送り出してくれている。
 その笑顔と優しい姿を目に焼き付かせる様にして。彼の姿が見えなくなるまで、私はずっと手を振っていた。
 ありがとう、善次郎。私、貴方と幼馴染みで良かったわ。
・・・
 まだ着かないのかしらと思っていると、ようやく駕籠の速度が落ち、ゆっくりと止まった。そして簾がくるくると上がり「着きましてございまする」と声がかかる。
 やっと私の夫となる、伊達小十郎政道様のお住まいに着いたのね。かなり長い時間を駕籠で過ごしたわ。
 つまり・・もう私の村には戻れない所に来たって言う事よね。
 苦々しい思いを奥に仕舞うと同時に襟を正して、服装と髪の乱れをしゃんと直す。そして差し伸べられた手を掴み、ストンと新たな地を踏みしめると。
 私は唖然としてしまった。
 私を出迎えたのは、あまりにも大きな屋敷の門前。牙城とも見違える程の、立派なお屋敷だった。
 私の暮らす村だったら、この屋敷に敵う家はないわ。一番偉い百姓様でも、こんな大きさではないもの。百姓様の家も、随分立派で、はぁとため息が出る程感嘆したものだけれど。これは感嘆すると言うよりも、圧倒する様な大きさであんぐりとしてしまうわ。
 ぽけぇとしていると「あの」と、おずおずと声をかけられる。私はその声にハッとし、我に帰ると、案内役を仰せつかった女房の方が戸惑った表情で「如何致しましたでしょうか」と丁寧に尋ねてくれた。私よりも年上の方で、菩薩の様な柔らかな丸顔が印象的な小柄な女性だ。
 私の様な田舎の村娘にも敬語を使ってくれるなんて、と驚く気持ちを抑えながら「いえ、何も!何もありませぬ!」と慌てて答える。
 すると女房の人は、私の答えにクスリと笑みを零してから「それは良うございました」と言い、「参りましょうか」と先をにこやかに促した。私はその言葉にぎこちなく頷いてから、地面に突き刺さっていた足を動かし始める。ギチギチと強張った歩みで、まだ見ぬ旦那様のお屋敷の中にと入って行った。
 この先を進めば、名誉と栄誉を手にでき、この上ない幸せを味わうと言われているけれど。
 本当に、本当にそうなのかしら。