高校生活最後の年、暦は2月へと入った。
 共通テストが終わり、安堵する人、焦る人、それぞれの不安とは関係なく一日一日と時間は容赦なく過ぎていく。
 痛みすら感じる寒さに手をこすり合わせて、息をはぁっと吐いた。一瞬だけでもあたたかさを感じて、体の強張りがほんの少し解れていく。

「寒いね」

 通学路、隣を歩く親友の千野沙和子(ちのさわこ)が言った。年が明けてからは授業がなく、自由登校の毎日が続いているが、今日は数少ない登校日だった。こうして彼女と通学路を歩くのも残り少ないのだと思うと、やっぱり寂しい。

「ホント、寒い。こんな日に限って手袋忘れるとか、バカだわ」

 正確には忘れたんじゃない。家を出てマンションのエントランスで気づいたけど、まぁ大丈夫かと思ってそのまま来たのだ。
 取りに戻らなかったのは、理由がある。
 凌と鉢合わせするのを避けたかったから。

「今日も、寄らなかったんだね」

 どこに、なんて聞くまでもないほど答えの明確な質問に、みぞおちのあたりがすーっと冷たくなる。
 私は、受験シーズンに入る前まで毎日、隣に凌を迎えに寄って一緒に登校していた。
 朝の苦手な凌は、私が寄らないと遅刻ばかりするから。
 小学校の集団登校から始まり、かれこれ12年目となる「お迎え」もついに終わりを迎えたのだった。

「…もう、良いんだ」

 そう、もう良い。何度も何度も、繰り返し自問して出した私の答えに、「そっか」と短いつぶやきだけが返ってきた。沙和子には、心配かけっぱなしで申し訳なかったけれど、私にとっては心の拠り所となってくれている大切な友人だ。

「最後までご迷惑おかけするかと思いますが、ごめん」
「ホントだよ…世話のかかる親友だこと」

 くしゃっと目じりに皺を寄せて笑った沙和子に、振り絞るように「ありがとう」と言う。上手く笑えたかどうかはわからないけど、きっと沙和子ならわかってくれるはず。


 学校につくと、久しぶりの顔ぶれにみんな笑顔を見せ、各々に声を掛け合っていた。私も沙和子も、つい先日大学試験を終えて今は合否を待つ身だ。みんなの合否は人づてに聞いたりもしたけれど、やはり話題には出しにくい雰囲気が漂っていた。

「おはよー」
「おー、凌じゃん、久しぶりー。相変わらず遅刻寸前」
「うっせー、間に合えばいーんだよ、間に合えば」

 HRが始まる少し前にようやく姿を見せた凌は、皆からからかわれながら自分の席へとたどり着く。だるそうに椅子に座ると、大きなあくびをしてから斜め後ろの席に座る私を見た。
「はよ」
「おはよー」

 切れ長の瞳は何か言いたげだけれど、気づかない振りをして、「よく間に合ったじゃん」と精一杯の皮肉を込めて返してあげる。

「俺はやればできる子なんだよ」

 そんなこと、知ってるよ。
 どれだけずっと一緒にいたと思ってるの。
 いつも隣で見てきたんだから。

「合格発表、もうすぐだね」
「俺絶対受かってる自信ある」
「すごい自信。どっから来るのか謎すぎだけどね」
「相変わらず、仲良し夫婦だねぇ」

 私と凌の間に体を滑り込ませてきたのは、クラスメイトの樹(いつき)くん。中学からの共通の友人でもある。線の細い彼は、柔和な顔で私と凌を交互に見た。少なくとも長い付き合いの彼の目には『仲良し夫婦』に見えているようで、ほんの少しほっとする。

「大学も一緒だし、羨ましいな~」
「受かれば、の話だけどな」
「樹くんも大学で彼女出来るといいね」
「俺は夢のキャンパスライフを謳歌するって心に決めてるから!榎本、大学でかわいい子と友達になって俺に合コンセッティングしてくれよ!な!」

 間近に迫る真剣な顔に気圧されながら、私は愛想笑いを返しておいた。

「あ、そだ凌、今日学校終わったらいつものメンツでファミレスからのカラオケコースだけど、お前も行くだろ?」

 いつものメンツとは、部活仲間数人と2年の時に仲良くなったグループのこと。そこに私は入っていない。

「んー…どうしよっかな…」

 ちらり、こちらを見る凌。それに気づかない振りをする私。そして、凌の視線に気づいた樹くんが、再び私に向き直る。

「榎本~、今日旦那借りるけど、良いだろ?」
「おい、樹」
「あ、うん、楽しんできなよ。皆で遊べるのもあと少しだろうし」
「さすが榎本、理解ある~!奥さんのお許しも出たし、行こうぜ」

 不服そうな凌の顔に、私は首をかしげて見せる。
 私の上からな物言いに文句でも言いたいのかもしれないけど、それはHRの開始を告げるチャイムに阻まれてしまう。
 しぶしぶ前に向き直った凌の視線から逃れられて、内心ため息をついた。