私たちは、式の時間になるまで教室でクラスメイト達と歓談し、写真を撮り合い思い思いに過ごした。
案内係の2年生がきて、私たちは出席番号順に並ばされて体育館へと誘導される。
ドアの向こうから聞こえる司会進行の声と共に、行進が始まった。
在校生と保護者の拍手に歓迎されながら、リハーサル通り自分の椅子の前にたどり着き、号令により着席。
広い体育館、パイプ椅子の軋む音、多くの人の息遣いや衣のすれる音、咳払いなどが空気を振動させて響いた。
厳かな雰囲気の中、長かった高校最後の年が、とうとう終わろうとしている。
昔は、こんな堅苦しい式なんかやる意味無いのにと思っていたけれど、別れの儀式というのは、今の私には必要かもしれないと感じた。
亡くなった人との別れを惜しむお葬式はもちろん、人は昔からこうして何かの節目に儀式を行うことで自分の中の心に整理をつけてきたのだろう。
それが、大切な人との別れを乗り越えるための最善の方法だと、たどり着いた結果なのかもしれない。
私も、先人たちが辿ってきた道に習って別れを惜しみ、愛し、慈しみたい。そして、黙って旅立つことを心の中で謝りながら、みんなに感謝を告げよう。
早くも、鼻をすする音がそこはかとなく耳に届いて私の涙腺までも刺激していく。私はたまらずブレザーのポケットからハンカチを取り出した。そうすれば、視界の端、隣の隣に座る凌、前かがみになってこちらを見て笑ってきた。
もう泣いてる、とでも言いたいのだろう。私は眉を寄せて、口パクで「ばか」と返す。
凌は大げさに肩をすくめて向き直った。
本当に、何もかもが、最後なんだ。
凌とこんな風に戯れることも、仲の良い友人と語り合うことも、学校という決められた枠の中で生きることも、なにもかも。
式はもう終盤に差し掛かり、壇上では卒業生代表が答辞を読み上げている。
「ーーー 素晴らしい学校生活を一緒に過ごした同級生、先輩や後輩、関わってくれた全ての人への感謝の気持ちを忘れず、私たちは新しい世界へと旅立ちます」
答辞を聞きながら、そうかこれは大人になるための第一歩を踏み出す儀式でもあるのかもしれない、とふとそんなことを思った。
私たちは生まれてからこれまで、親や学校に守られながら生きてきた。それは、自分の力だけではどうにもできないことばかりの、とてもとても小さな世界。
その世界の殻を破って、私たちはこれから大人になる準備をするんだ。
自分の足で立って、飛び立てる世界を生きていく大人になるための、巣立ちへの準備。そして、今日はその一歩を踏み出す日。
『ーーーさらなる発展を祈念し、卒業生の答辞とさせていただきます』
式は滞りなく粛々と幕を閉じていく。式の最初の拍手とは比べ物にならない程大きな拍手に、感極まって涙しながら私たちは体育館を後にした。
最後のHRを終えて、そそくさと帰る人もいれば、喋ってる人、外で集まって写真を撮っている人、そのまま打ち上げに行く人など三者三様ににぎわっていた。
そんな中、私はK大にいる担任の恩師への手紙を受け取りに行った職員室で担任と話し込んでいて、話が終わったころには校舎内は静まり返っていた。どこかのクラスから話し声がかすかに耳に届く程度だった。
今日は特に用事もなかったため差支えはないけれど、卒業式で泣いたせいか鼻も詰まって少し頭がぼうっと重たい。
やっぱり最後くらい沙和子と帰れば良かったかも。
静かな校舎を一人歩く寂しさから、そんなことを思った。
着いた教室には、一人の人。てっきり誰も居ないと思ったのに、凌が私の前の席に座ってスマホをいじっていた。
「おせーよ」
視線をスマホに落としたままぶっきらぼうに言う凌に、「なんでいんのよ」と嬉しい気持ちを隠すかわいくない私。
「待っててやったんだよ。なに、最後に担任に愛の告白でもしてきた?」
「まぁ、そんなとこ」
「うわ、テキトー」
待っててなんて言ってないのに、待っててくれたんだ。
自分の席に座って、私は担任から預かった手紙を鞄にしまう。ガサゴソと物音だけが二人の間をつなぐ。
誰もいない、放課後の教室で二人きり。
私の前の席に座った凌が、スマホから顔をあげてこちらを向いた。
切れ長の瞳は、私を真っすぐ射抜いた。
「なぁ、かすみ」
まるで、3年前の幸せに溢れていたあの日に戻ったかのような錯覚に陥った。
『香澄が好きた』
『俺の彼女になって。お前のこと、誰かに取られんのいやだ』
あの日の君の声が聞こえる。
あの日の私の鼓動が聞こえる。
静かな教室、凌の顔がゆっくり近づく。
それはスローモーションのようにゆっくりと、つながる視線を辿るようにして。
閉じた視界、お互いの鼻先を頼りにたどり着いた先、柔らかな感触は、あの日と変わらないのに、あの日の二人はもういない。
離れていく冷たさに、もしもあの日に戻れたら…、
と、考えてやめた。
そんな物語の中だけの話にはなんの意味もない。
ゆっくりと広がる視界の先、真剣な顔をした凌がいて鼓動が早まる。
今の私に、あの日を凌と一緒に懐かしむ余裕はないから、『思い出すね』なんて口には出さない。
それに、凌はそんな昔のこと、きっと忘れてる。
「ーーー俺たち…」
「ん?」
「…いや、なんでもない」
その先を聞くのが怖くて聞き返せない私は、「変な凌」と短く呟く。
『俺たち』の後に続く言葉は、なに?
別れよう?
終わりにしよう?
それ以上、何か言われるのが怖くなって、私は立ち上がった。
「さ、帰ろうか。お腹空いたから、たこ焼きおごってね」
「おまえなぁ、俺にたかり過ぎだろ」
「え?女子にお金出させる気?」
「お前知らないのか?男がおごる時代はもう終わってるって」
「そっちこそ知らないの?時代は繰り返すって」
「繰り返すの早すぎだろ」
笑いながら、私たちは連れ立って3年間学んだ学び舎を後にする。
そして私たちは、またどちらからともなく手をつないだ。
手袋は、しなかった。
触れ合う肌と肌。
今度は直に凌の体温を感じることができた。
高校生活最後の日、手をつないでこの道をこうして歩くのも、最後だね。
凌とは、こんな形で終わりを迎えようとしているけど、楽しかった高校生活。
幸せな思い出も、涙で濡れた思い出も、全部私の大切な宝物。
ノスタルジーに浸りながら、凌の隣を歩く。
いつでも、君が隣にいた。
いつからか、気づいた時には君のことを異性として意識していた。
いつの間にか、見上げないと君の顔が見れなくなった。
キスをするときは、いつも君がかがんで、私が背伸びをしてちょうどいい。
そのうちに、私と一緒じゃない時間が増えて君の目に私が映ることが減ってきた。
君の世界は、いつも賑やかで笑顔で溢れていたね。
その話を聞くたびに、嬉しくもあり、寂しくもあった。
本当は、そこに私もいたかった。
自分が我慢すればいいと決めたのに、それも長続きしなくて君と離れることを決意した。
けれども、終わりの言葉を君に言えなくて、黙っていなくなるしかなかった。
急にあの日の君に戻ったみたいで戸惑ったけど、痛みを繰り返したくない私は全てを思い出にするよ。
そして、それをそっとポケットにしまって。
そうすれば、あの日を思い出して涙を流すこともないでしょ。
ありがとう、凌。
ばいばい。