*
K大学の合格発表の日。
私は、K大の公式サイトの合格者発表のページを、震える指でタップした。合格者の受験番号がならぶ中から自分の番号があるのを確認した。本当に自分の番号だろうか、と何度もなぞるようにして確認してしまった。
椅子の背に倒れるようにもたれかかり、大きく息を吐く。そして、目をつむり天を見上げた。
「受かった…」
この瞬間、私の人生の選択により、新たな道が拓けた。
どこからともなくこみ上げてくるのは、喜びか、悲しみか、それとも恐怖か。
名前の付けられない感情に埋め尽くされていく。
それと同時に、まぶたの裏に浮かぶのは、凌の顔。
数日前にしてくれたおまじないが、効いたね。
ありがとう、凌。
ごめんね。
さよなら。
そう、さよなら。
私の新しい道の先に、凌はいない。
私は、一人で行くから。
閉じていた目を開けると、白い天井が視界に広がる。まるで、これから私が描いていく白地図のように思えた。まっさらな白い紙に描く私のこれからは、どんなものだろうか。
新しい土地、新しい人、そして新しい大学。
全てが変わる、これからの私の人生。
今はまだ不安も悲しみも大きいけれど、きっとかけがえのない経験になるだろう。
逸る胸を鎮まらせて、私はスマホの連絡帳を開いて発信ボタンをタップする。
まだ、やらなくてはいけないことがあった。
「あ、優子叔母さん?久しぶり~!元気してた?」
『香澄久しぶりねぇ、元気よ、なぁに?あんたが連絡してくるなんてめっずらしい』
優子叔母さんは高知県に住んでいる母の妹。
遠いのでなかなか会える機会は少ないけれど、フットワークの軽い叔母さんは暇を見つけてはよく我が家にきてくれて、姪っ子の私を遊びに連れ出してくれる優しい叔母だ。子どもの居ない叔母夫婦は、何かにつけて私の事をかわいがってくれていた。
「あのね、本当は会って話したかったんだけど…、私、K大受かったの」
『あら、おめでとう!…え?K大って、こっちのK大のこと?!』
K大にこっちもあっちも無いと思うけど、と思わず笑ってしまう。これからとんでもないお願いをしなければならないのに。
「うん、高知県のK大のこと。それでね…、アパートが決まるまで4月から叔母さんの家に居候させてほしいの…!お願い!」
『はぁ?礼子(あやこ)から何も聞いてないけど…、ちょっと、どうしたの、急に。わかるように説明しなさいよ』
文子というのは、私の母。年子の姉妹のため姉のことを呼び捨てにしていた。
叔母が混乱するのはもっともなことで、私は事の経緯(いきさつ)をかいつまんで説明した。
凌と離れたいけど離れられなくて、今回の選択をしたこと。でも決して後ろ向きではなく、ちゃんと自分の好きな専攻であること。親同士の仲が良いため、自分の両親にも内緒にしたいこと。事前に家探しが出来ないから落ち着くまでは叔母さんの家に居させてほしいということ。
途中、凌とのことを話しているうちに泣いてしまい上手く説明できない間も、叔母さんは「うんうん」としっかりと耳を傾けてくれていた。
『ーーーうん、とりあえず、わかった。凌くんとのこと、ツラいわね…。あんなに仲が良かったのに…、でも、香澄が決めたことなら、私も尊重したいと思う。それに、香澄の居候は大歓迎よ。香澄と一緒に住めるなんて夢みたい~!家が決まるまでなんて言わずに卒業するまで居てもいいわよ~』
ありがとう、と私が言う前に、『けどね』と叔母さんの声が届いた。
『一つだけ、譲れない所があるの』
「う、うん…」
なんだろう?
スマホを握る手がじとっと汗ばんでくる。
『文子と修二さんにはちゃんと言うこと。とりあえず、来週そっちに行くから、話しましょう。良いわね?』
「うん、優子おばさん、ありがとう…、迷惑かけてごめんなさい」
また、涙が出てきてしまった。
『また、泣いてぇ。こっちこそ、ありがとう。香澄が私のことを頼ってくれて、嬉しいのよ』
電話の向こう、鼻をすする音が聞こえて、こちらも涙腺がまた緩む。
そんな風に言ってもらえて、私は幸せ者だし、こんな形でしか叔母さんに頼れないのが申し訳なく思った。
叔母さんは、やっぱり叔母さんで、うまく言えないけど、変わってなくて。いつも私の味方でいてくれる存在なのはやっぱり間違いない。
またメールするから、と叔母さんは早々に電話を切ってしまう。きっと泣いているのを気づかれたくないのだろう。
母が「優子は人一倍泣き虫なくせに、人には絶対に泣いてるところを見せないのよ」と言っていたのを思い出した。
確かに叔母さんの涙を見た場面は今まで一度もない。
一緒に住んでいる間、目いっぱい孝行しようと心に誓った。
住居を確保できて一安心したけれど、両親に伝えなければならないと思うととても憂鬱だ。
凌の両親と顔を合わせれば、自然と大学の話にもなるだろう。そうすれば両親は、嘘をつかなければならなくなる。それが、たまらなく申し訳なかった。
凌の両親に対しても、もちろんたくさんお世話になってきて私のことを娘同然に接してくれてきただけに、罪悪感はあった。
彼らには、手紙で謝罪を送るつもりでいる。
きっと、凌のことを裏切って傷つけたことを許してはもらえないだろう。
でも、これも、自分が自分で選んだ道なのだ。
自分がどこで誰とどんな風に関わり生きていくのか、自分で選択できることなら自分の意志で選ぶことで変わっていく。
変えるのも変えないのも、自分次第。
他の誰でもない、自らの選択によって、道が作られていく。
そして、自分がしたことは全て自分に返ってくるということも、忘れてはいけない。
私は、スマホのロックを外して、沙和子に一言「受かった」とだけメッセージを送った。
数分も経たないうちに祝いの言葉が返ってきたところを見ると、気にして待っていてくれたのかもしれない。
沙和子とは高校に入ってからの仲だけど、とても気が合って今では一番の友達。その沙和子も、S大を受験している。
本当は…、本当は、私も出来ることならみんなと一緒にS大に行きたかった。
仲の良い友達と、大好きな凌と一緒にわいわいできるキャンパスライフを夢見ていた時期もあったのだ。
その夢を捨ててまでこの道を選ぶ決断を沙和子に伝えた時、バカだと言って一緒に泣いてくれた。
自分でもバカだと思う。
でも、どうしようもないの。
ティッシュで鼻をかんで、涙を拭いて私は、制服に着替える。担任に合格の報告をしに行くためだ。次の登校日でも良かったけど、担任には本当にお世話になったし、気にかけてくれているだろうから、早く伝えたかった。
「そうかぁ!受かったのかぁ!おめでとう、よく頑張ったなぁ榎本!」
ちょうど職員室に居た担任は、それはそれはとても喜んでくれた。
「ありがとうございます。先生のおかげです。先生が勧めてくれなかったらK大なんて選択肢にもなかったので」
「いやぁ、お前が頑張ったからだよ。…でも有岡は寂しがるんじゃないのか?」
有岡とは、凌のこと。
もはや学校イチの名物カップルだから、私と凌の関係は担任はもちろん、他のクラスの先生も知っている。
「あ、先生…、そのことでお願いがあるんですけど…」と私は少し先生に近づいて声のボリュームを落とす。
「私と凌、もう別れちゃったんですよ」
「は?わ、別れたぁ?」
「わわわわっ!しーーー!先生声大きい!」
慌てる私に、先生は「ご、ごめん、びっくりして」と心底驚いた顔をしていた。
まぁ、無理もないか。
かれこれ3年も付き合ってる私たちを、誰もが口々にこのまま結婚するんだねーと言っている程だから。
「別れてることも、私がK大行くってことも、他の人には言わないでもらいたいんです…。お願いします!」
「ま、まぁ、言いふらすようなことでもないからなぁ…。わかったよ、先生からは言わないでおくな」
「ありがとうございます」
「そうかぁ…、先生はお前と有岡の結婚式に呼ばれるの楽しみにしてたんだけどなぁ…」
先生がそこまで考えてくれてたなんて…。
嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちとで板挟みになり、私は曖昧に笑うしかできない。そんな私をみて気まずくなった先生は、「こんなこと言われても榎本も困るよな。こればっかりは、仕方ないもんな」とすかさずフォローを入れてきた。
「最後の最後に、わがまま聞いてもらってすみません」
30分間に満たない滞在を終え、最寄り駅に着いた私は駅ビルをプラプラ歩いていた。
別に何を買うでもなく、ショッピングを楽しむ人たちの喧騒の中を進む。
この、通いなれた駅ビルにさえも、凌との思い出が詰まっていた。
よく行くカフェ、凌の好きなブランドショップ、お気に入りのクレープ屋、ハンバーガーショップにファミレス、雑貨屋…。
私がたまに利用するヘアアクセサリーをメインに扱うお店が目に入る。
凌とお揃いのミサンガを買った店。
凌が、なんでも部活で流行ってるとかいうミサンガが欲しいと言い出して、私が連れてきてあげたのだ。
私に選んでほしいと言うから選んで渡すと、凌は自分でもうひとつ選んで会計へ向かった。2本もつけるのか、と見ていたら戻ってきた彼は自分が選んだひとつを私にくれたのだった。
色も柄も違ったからお揃いと言えるかどうかは微妙だけれど、すごく嬉しかった。
家に帰って、お互いに結び合ったのを覚えている。
そのミサンガは、今も私の左腕にひっそりとあった。
もう1年以上前なのに、なかなか切れないミサンガ。
つけているのも忘れるほど、体の一部と化している。
これを結んだ時、かけた願いは…。
ーーーー二人の関係が、変わりませんように。
当時、2年生になって凌の世界が私だけじゃなくなって広がっていった夏休み、凌がグループの中の女子と二人で買い物しているところを目にしてしまった。あとあと、あの日は何をしていたのかと探りを入れれば、仲間と遊んでいたと凌は嘘をついた。
後ろめたいことがないのなら、事情があって出かけていたんだと打ち明けてくれると願っていたのにそうじゃなかったんだ、と悲しくなった。
あの子との間には何もないから心配するな、って言ってほしかったのに。
こんなことなら、最初から探るような聞き方をせずに問いただしていればよかったと思いながら、私はそれ以上何も聞けなかった。
そんなこともあって私はミサンガにそう願いを込めた。
今でこそバカだな、と思える。
変わらないものなんて、ないのに。
でも、あの時は切にそう願っていた。
そういえば、凌のミサンガは切れたのかな。冬は長袖を着ているから見えないし、気にしてもいなかった。
凌は、ミサンガにどんな願いを込めたのだろう。あの時は、お互い内緒ね、と決めて言わなかったから知らない。
「あれ、榎本じゃん?」
不意に呼ばれて声の方を振り返ると、見慣れた顔ぶれの人達がぞろぞろと歩いていた。
「樹くん…」
私に一番に気づいた樹くんの声に、他のメンバーも次々私を捉える。
みんなで遊んでいたんだろう。
もちろん、そこには凌の姿と、少し離れたところには、あの時凌と二人でいた女子の姿もあって、胸が痛む。
もしかしたら、この高校生活では私より彼女の方が凌といる時間が多いんじゃないだろうか。そう思うと、悔しい気持ちと悲しい気持ちとが入り交ざったドロドロな感情が湧き上がってきた。
凌はメンバーを代表するかのように私に歩み寄ってくる。チノパンにセーターを合わせてダウンジャケット姿がなかなか様になってる。こうして改めて外で見ると、かっこいいなと思う。
「かすみ、なんで制服?」
あ、そうだった。自分が制服だったのをすっかり忘れていた。
タイミングわる…。
瞬時に何かそれっぽい理由を、ない頭をフル回転させて探す。
「あー、ちょっと担任にクラス卒アルの手伝い頼まれちゃって、今帰り」
この前の登校日にクラス卒アルの係の子がまた学校に来なくちゃいけない、と愚痴っていたのを思い出して便乗させてもらうことにした。
「ふーん…。昼飯食べた?」
「まだだよ。そっちこそ、これからみんなでお昼?そこのファミレス?」
安さが売りのイタリア料理がメインのファミレスは、凌たちのたむろ場だ。
「あーうん、そうだけど…、お前この後どうすんの?」
「もうちょっとぶらぶらして、帰ろうかなって」
「そっか、ちょい待ち」
そう言ってメンバーの元へと戻り何か話をしたかと思えば、凌は「悪い、またな」と彼らに手を振る。「榎本、またなー」と手を振る樹くんに、私も手を振り返して応えた。
戻ってきた凌に「ご飯行くんじゃないの?」と聞くと、「やっぱやめた。二人で飯食いに行こうぜ」などと言い出した。
「え、だって、せっかくみんなと約束してたのに…」
「いいじゃん、ここで会ったのも何かの縁だし、久しぶりにデートしよ」
「…」
予想を遥か斜めに超えていく凌の言葉に、フリーズしてしまった。
デート?
そんな単語が凌の口から出たのはいつぶり?
なんなの、急に。
しかも、アポなしですか。
「…やだ?」
凌の相変わらずのマイペースっぷりに、苛立ちがふつふつと湧き上がってくる。
いやだなんて、言えるわけないじゃんか。
こっちが、どんな気持ちでいるか、知らないくせに、今さらそんな彼氏ぶられても困るのに…。
「…おごってくれるんでしょうね」
自分の意志の弱さに辟易しつつ、「やった!」と喜ぶ凌の姿に、私の心は無責任にも弾むのだった。
どうしよう…。
また一つ、凌との思い出が、増えてしまう。
K大学の合格発表の日。
私は、K大の公式サイトの合格者発表のページを、震える指でタップした。合格者の受験番号がならぶ中から自分の番号があるのを確認した。本当に自分の番号だろうか、と何度もなぞるようにして確認してしまった。
椅子の背に倒れるようにもたれかかり、大きく息を吐く。そして、目をつむり天を見上げた。
「受かった…」
この瞬間、私の人生の選択により、新たな道が拓けた。
どこからともなくこみ上げてくるのは、喜びか、悲しみか、それとも恐怖か。
名前の付けられない感情に埋め尽くされていく。
それと同時に、まぶたの裏に浮かぶのは、凌の顔。
数日前にしてくれたおまじないが、効いたね。
ありがとう、凌。
ごめんね。
さよなら。
そう、さよなら。
私の新しい道の先に、凌はいない。
私は、一人で行くから。
閉じていた目を開けると、白い天井が視界に広がる。まるで、これから私が描いていく白地図のように思えた。まっさらな白い紙に描く私のこれからは、どんなものだろうか。
新しい土地、新しい人、そして新しい大学。
全てが変わる、これからの私の人生。
今はまだ不安も悲しみも大きいけれど、きっとかけがえのない経験になるだろう。
逸る胸を鎮まらせて、私はスマホの連絡帳を開いて発信ボタンをタップする。
まだ、やらなくてはいけないことがあった。
「あ、優子叔母さん?久しぶり~!元気してた?」
『香澄久しぶりねぇ、元気よ、なぁに?あんたが連絡してくるなんてめっずらしい』
優子叔母さんは高知県に住んでいる母の妹。
遠いのでなかなか会える機会は少ないけれど、フットワークの軽い叔母さんは暇を見つけてはよく我が家にきてくれて、姪っ子の私を遊びに連れ出してくれる優しい叔母だ。子どもの居ない叔母夫婦は、何かにつけて私の事をかわいがってくれていた。
「あのね、本当は会って話したかったんだけど…、私、K大受かったの」
『あら、おめでとう!…え?K大って、こっちのK大のこと?!』
K大にこっちもあっちも無いと思うけど、と思わず笑ってしまう。これからとんでもないお願いをしなければならないのに。
「うん、高知県のK大のこと。それでね…、アパートが決まるまで4月から叔母さんの家に居候させてほしいの…!お願い!」
『はぁ?礼子(あやこ)から何も聞いてないけど…、ちょっと、どうしたの、急に。わかるように説明しなさいよ』
文子というのは、私の母。年子の姉妹のため姉のことを呼び捨てにしていた。
叔母が混乱するのはもっともなことで、私は事の経緯(いきさつ)をかいつまんで説明した。
凌と離れたいけど離れられなくて、今回の選択をしたこと。でも決して後ろ向きではなく、ちゃんと自分の好きな専攻であること。親同士の仲が良いため、自分の両親にも内緒にしたいこと。事前に家探しが出来ないから落ち着くまでは叔母さんの家に居させてほしいということ。
途中、凌とのことを話しているうちに泣いてしまい上手く説明できない間も、叔母さんは「うんうん」としっかりと耳を傾けてくれていた。
『ーーーうん、とりあえず、わかった。凌くんとのこと、ツラいわね…。あんなに仲が良かったのに…、でも、香澄が決めたことなら、私も尊重したいと思う。それに、香澄の居候は大歓迎よ。香澄と一緒に住めるなんて夢みたい~!家が決まるまでなんて言わずに卒業するまで居てもいいわよ~』
ありがとう、と私が言う前に、『けどね』と叔母さんの声が届いた。
『一つだけ、譲れない所があるの』
「う、うん…」
なんだろう?
スマホを握る手がじとっと汗ばんでくる。
『文子と修二さんにはちゃんと言うこと。とりあえず、来週そっちに行くから、話しましょう。良いわね?』
「うん、優子おばさん、ありがとう…、迷惑かけてごめんなさい」
また、涙が出てきてしまった。
『また、泣いてぇ。こっちこそ、ありがとう。香澄が私のことを頼ってくれて、嬉しいのよ』
電話の向こう、鼻をすする音が聞こえて、こちらも涙腺がまた緩む。
そんな風に言ってもらえて、私は幸せ者だし、こんな形でしか叔母さんに頼れないのが申し訳なく思った。
叔母さんは、やっぱり叔母さんで、うまく言えないけど、変わってなくて。いつも私の味方でいてくれる存在なのはやっぱり間違いない。
またメールするから、と叔母さんは早々に電話を切ってしまう。きっと泣いているのを気づかれたくないのだろう。
母が「優子は人一倍泣き虫なくせに、人には絶対に泣いてるところを見せないのよ」と言っていたのを思い出した。
確かに叔母さんの涙を見た場面は今まで一度もない。
一緒に住んでいる間、目いっぱい孝行しようと心に誓った。
住居を確保できて一安心したけれど、両親に伝えなければならないと思うととても憂鬱だ。
凌の両親と顔を合わせれば、自然と大学の話にもなるだろう。そうすれば両親は、嘘をつかなければならなくなる。それが、たまらなく申し訳なかった。
凌の両親に対しても、もちろんたくさんお世話になってきて私のことを娘同然に接してくれてきただけに、罪悪感はあった。
彼らには、手紙で謝罪を送るつもりでいる。
きっと、凌のことを裏切って傷つけたことを許してはもらえないだろう。
でも、これも、自分が自分で選んだ道なのだ。
自分がどこで誰とどんな風に関わり生きていくのか、自分で選択できることなら自分の意志で選ぶことで変わっていく。
変えるのも変えないのも、自分次第。
他の誰でもない、自らの選択によって、道が作られていく。
そして、自分がしたことは全て自分に返ってくるということも、忘れてはいけない。
私は、スマホのロックを外して、沙和子に一言「受かった」とだけメッセージを送った。
数分も経たないうちに祝いの言葉が返ってきたところを見ると、気にして待っていてくれたのかもしれない。
沙和子とは高校に入ってからの仲だけど、とても気が合って今では一番の友達。その沙和子も、S大を受験している。
本当は…、本当は、私も出来ることならみんなと一緒にS大に行きたかった。
仲の良い友達と、大好きな凌と一緒にわいわいできるキャンパスライフを夢見ていた時期もあったのだ。
その夢を捨ててまでこの道を選ぶ決断を沙和子に伝えた時、バカだと言って一緒に泣いてくれた。
自分でもバカだと思う。
でも、どうしようもないの。
ティッシュで鼻をかんで、涙を拭いて私は、制服に着替える。担任に合格の報告をしに行くためだ。次の登校日でも良かったけど、担任には本当にお世話になったし、気にかけてくれているだろうから、早く伝えたかった。
「そうかぁ!受かったのかぁ!おめでとう、よく頑張ったなぁ榎本!」
ちょうど職員室に居た担任は、それはそれはとても喜んでくれた。
「ありがとうございます。先生のおかげです。先生が勧めてくれなかったらK大なんて選択肢にもなかったので」
「いやぁ、お前が頑張ったからだよ。…でも有岡は寂しがるんじゃないのか?」
有岡とは、凌のこと。
もはや学校イチの名物カップルだから、私と凌の関係は担任はもちろん、他のクラスの先生も知っている。
「あ、先生…、そのことでお願いがあるんですけど…」と私は少し先生に近づいて声のボリュームを落とす。
「私と凌、もう別れちゃったんですよ」
「は?わ、別れたぁ?」
「わわわわっ!しーーー!先生声大きい!」
慌てる私に、先生は「ご、ごめん、びっくりして」と心底驚いた顔をしていた。
まぁ、無理もないか。
かれこれ3年も付き合ってる私たちを、誰もが口々にこのまま結婚するんだねーと言っている程だから。
「別れてることも、私がK大行くってことも、他の人には言わないでもらいたいんです…。お願いします!」
「ま、まぁ、言いふらすようなことでもないからなぁ…。わかったよ、先生からは言わないでおくな」
「ありがとうございます」
「そうかぁ…、先生はお前と有岡の結婚式に呼ばれるの楽しみにしてたんだけどなぁ…」
先生がそこまで考えてくれてたなんて…。
嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちとで板挟みになり、私は曖昧に笑うしかできない。そんな私をみて気まずくなった先生は、「こんなこと言われても榎本も困るよな。こればっかりは、仕方ないもんな」とすかさずフォローを入れてきた。
「最後の最後に、わがまま聞いてもらってすみません」
30分間に満たない滞在を終え、最寄り駅に着いた私は駅ビルをプラプラ歩いていた。
別に何を買うでもなく、ショッピングを楽しむ人たちの喧騒の中を進む。
この、通いなれた駅ビルにさえも、凌との思い出が詰まっていた。
よく行くカフェ、凌の好きなブランドショップ、お気に入りのクレープ屋、ハンバーガーショップにファミレス、雑貨屋…。
私がたまに利用するヘアアクセサリーをメインに扱うお店が目に入る。
凌とお揃いのミサンガを買った店。
凌が、なんでも部活で流行ってるとかいうミサンガが欲しいと言い出して、私が連れてきてあげたのだ。
私に選んでほしいと言うから選んで渡すと、凌は自分でもうひとつ選んで会計へ向かった。2本もつけるのか、と見ていたら戻ってきた彼は自分が選んだひとつを私にくれたのだった。
色も柄も違ったからお揃いと言えるかどうかは微妙だけれど、すごく嬉しかった。
家に帰って、お互いに結び合ったのを覚えている。
そのミサンガは、今も私の左腕にひっそりとあった。
もう1年以上前なのに、なかなか切れないミサンガ。
つけているのも忘れるほど、体の一部と化している。
これを結んだ時、かけた願いは…。
ーーーー二人の関係が、変わりませんように。
当時、2年生になって凌の世界が私だけじゃなくなって広がっていった夏休み、凌がグループの中の女子と二人で買い物しているところを目にしてしまった。あとあと、あの日は何をしていたのかと探りを入れれば、仲間と遊んでいたと凌は嘘をついた。
後ろめたいことがないのなら、事情があって出かけていたんだと打ち明けてくれると願っていたのにそうじゃなかったんだ、と悲しくなった。
あの子との間には何もないから心配するな、って言ってほしかったのに。
こんなことなら、最初から探るような聞き方をせずに問いただしていればよかったと思いながら、私はそれ以上何も聞けなかった。
そんなこともあって私はミサンガにそう願いを込めた。
今でこそバカだな、と思える。
変わらないものなんて、ないのに。
でも、あの時は切にそう願っていた。
そういえば、凌のミサンガは切れたのかな。冬は長袖を着ているから見えないし、気にしてもいなかった。
凌は、ミサンガにどんな願いを込めたのだろう。あの時は、お互い内緒ね、と決めて言わなかったから知らない。
「あれ、榎本じゃん?」
不意に呼ばれて声の方を振り返ると、見慣れた顔ぶれの人達がぞろぞろと歩いていた。
「樹くん…」
私に一番に気づいた樹くんの声に、他のメンバーも次々私を捉える。
みんなで遊んでいたんだろう。
もちろん、そこには凌の姿と、少し離れたところには、あの時凌と二人でいた女子の姿もあって、胸が痛む。
もしかしたら、この高校生活では私より彼女の方が凌といる時間が多いんじゃないだろうか。そう思うと、悔しい気持ちと悲しい気持ちとが入り交ざったドロドロな感情が湧き上がってきた。
凌はメンバーを代表するかのように私に歩み寄ってくる。チノパンにセーターを合わせてダウンジャケット姿がなかなか様になってる。こうして改めて外で見ると、かっこいいなと思う。
「かすみ、なんで制服?」
あ、そうだった。自分が制服だったのをすっかり忘れていた。
タイミングわる…。
瞬時に何かそれっぽい理由を、ない頭をフル回転させて探す。
「あー、ちょっと担任にクラス卒アルの手伝い頼まれちゃって、今帰り」
この前の登校日にクラス卒アルの係の子がまた学校に来なくちゃいけない、と愚痴っていたのを思い出して便乗させてもらうことにした。
「ふーん…。昼飯食べた?」
「まだだよ。そっちこそ、これからみんなでお昼?そこのファミレス?」
安さが売りのイタリア料理がメインのファミレスは、凌たちのたむろ場だ。
「あーうん、そうだけど…、お前この後どうすんの?」
「もうちょっとぶらぶらして、帰ろうかなって」
「そっか、ちょい待ち」
そう言ってメンバーの元へと戻り何か話をしたかと思えば、凌は「悪い、またな」と彼らに手を振る。「榎本、またなー」と手を振る樹くんに、私も手を振り返して応えた。
戻ってきた凌に「ご飯行くんじゃないの?」と聞くと、「やっぱやめた。二人で飯食いに行こうぜ」などと言い出した。
「え、だって、せっかくみんなと約束してたのに…」
「いいじゃん、ここで会ったのも何かの縁だし、久しぶりにデートしよ」
「…」
予想を遥か斜めに超えていく凌の言葉に、フリーズしてしまった。
デート?
そんな単語が凌の口から出たのはいつぶり?
なんなの、急に。
しかも、アポなしですか。
「…やだ?」
凌の相変わらずのマイペースっぷりに、苛立ちがふつふつと湧き上がってくる。
いやだなんて、言えるわけないじゃんか。
こっちが、どんな気持ちでいるか、知らないくせに、今さらそんな彼氏ぶられても困るのに…。
「…おごってくれるんでしょうね」
自分の意志の弱さに辟易しつつ、「やった!」と喜ぶ凌の姿に、私の心は無責任にも弾むのだった。
どうしよう…。
また一つ、凌との思い出が、増えてしまう。