自分が、初めて『持ってない』ときづいたのは、高校の時だった。

同じ学校の様々な、学年の男の子達から、毎日の様に告白をされ、門の前には、他校の男子生徒が、私は目当てに群がる。

快く思わない、一部の女子達から、私はある日、トイレに閉じ込められて、暴言を吐かれた。数えきれないほどの暴言を吐かれたのに、戸惑っているのは彼女達の方だった。

「なんなの?」

彼女達は、私の顔が気に入らなかったらしく、さらにバケツで水をかけられた。

その時、何故だか私は可笑しくなってしまったのだ。

「な……何笑ってるの?」

主犯格の女が笑みを浮かべた私をみて、思わず後退りしていた。

ーーーー何故?そんな事、分からない。ただ可笑しくて堪らなかった。

そして、目の前の女は、私を睨みつけると、腕を振り上げる。

乾いた音と左頬に痛みが突き刺さる。

「これでも、まだ笑う?」

勝ち誇ったような女の顔がまた滑稽で、私は今度こそ、大きな声で笑っていた。

それ以来、嫌がらせは少しずつ減っていった。『怒』の感情がない私に、相手が最後は気味悪がって遠ざかっていくのだ。

私はきっと、『喜怒哀楽』の『喜』と『楽』の割合が多くて、『哀』は、感動や、深い悲しみ等にのみ表れるから、割合が他の人より少ないんだろう。だから、他人からの暴力や嫉妬に関して、哀しく感じることはない。

愛犬が亡くなった時は、心から哀しくて涙が止まらなかったし、あとは、感動する映画を見たり、本を読んだ時、涙が出るほど心が揺すぶられる。