応接間の前へ到着し、ティーはいつものように重い扉をノックしてから、厳かに扉を開いた。

「旦那様。北東領主のマスカラ・バルトール様がいらっしゃいました。」

室内は相変わらずの贈り物の山。
そして長テーブルの向こう…窓側の椅子に、幼い主人が座って待っていた。

「遠路遥々ご足労だった。バルトール殿。
そちらの椅子へ掛けなさい。」

旦那様は無表情で、淡々とした口調で命じる。10歳の子どもであることを疑うほど、その様子は堂々としていた。
穏やかなバルトールでさえ、顔に緊張の色が浮かぶ。

「……は、はい……。」

客人が椅子に座ったのを確認すると、旦那様は今度はティーに命じる。

「…ティー。部屋から出て行って。
何があっても中へ入るな。」

冷たい口調。だがいつものことだ。
ティーはひとつお辞儀をすると、速やかに部屋を出て扉をしっかりと閉めてしまった。

後に残された旦那様とバルトール。
緊張しながらも笑顔を浮かべようとするバルトールに対し、旦那様は冷たい表情を変えようとしない。

「北東領は、竜と人が和平を結んでここ10年、争いも無く暮らしているそうじゃないか。
僕を訪ねるということは、その和平関係に何か不満があるということか?」

平静を保っていたバルトールから、急に笑顔が消えた。

「…ええ。その通りです、無情王。」

バルトールは苦しげに目を伏せる。それはどうやら、自分の中に湧き立つ怒りを必死に抑えているよう。

「…10年ですよ。
これほどの長い間、我々がどれだけ肩身の狭い思いをしてきたかご存知無いでしょうね。

表向きには不戦を誓ってはいますが、“彼ら”が我々を憎む気持ちが消えることはない。心ない言葉を掛けられることもあります。…さらに彼らは、大戦時に私の多くの仲間を葬った武器を今も所持している。
和平を望んでいないのは彼らのほうです。我々は常に、“奴ら”の奇襲に怯えているのですよ。」

バルトールの言葉が、「彼ら」から「奴ら」に変わった。和平を望んでいないのはこの男も同じなようだ。

「無情王。貴方にお願いしたいのは、奴らを北東領から追放することです。
奴らの殺意が、我々に向けられない内に…。」

竜と人は、種をこれ以上減らさないために、表面的な和平関係を結んだ。
しかしそれは所詮建前。心の奥底では現在も相手の脅威に怯え、そして排除したいと考えるもの。

無情王は言う。

「僕の役目は、仲介者として竜と人の仲を取り成すこと。両種族の存続を守ることだ。
竜と人、どちらの立ち場にも情を傾けない。」

彼が無情王と呼ばれる所以(ゆえん)だ。どちらかの種族に肩入れすることは出来ない。

「もし彼らを北東領から追放したら、彼らはどこへ行くんだ?
“君の仲間を大勢葬った武器”を持つ彼らが別の領地へ逃げ延び、同志を募って組織化したら?
数で優位に立った途端に、君達に対して争いを起こしかねない。」

「…それは……。」

「それに、彼らに武器を捨てろと言うなら、君もまた武器を捨てなくては駄目だ。まだ持っているだろう?」

無情王の青い瞳が、バルトールの深い色の瞳を見据える。
その視線から逃れるように、バルトールは目を逸らした。


これ以上は話の進展はない。そう判断し、無情王は椅子から降り立った。

「残念だが僕には何も出来ない。お引き取りを。」

「……………。」

バルトールも席を立つ。
もうその顔に笑みは微塵もない。行き場のない怒りが彼の中で湧き立ち、どす黒く渦巻いているのは目に見えた。

「……噂通りだ。変わってしまわれましたね、無情王。」

バルトールの低く唸るような呟きに、無情王は耳を澄ませる。

「……貴方の近年のお噂は予々(かねがね)耳にしていました。
大戦時は最前線で活躍され、敵の圧倒的な武力に屈することなく進撃なさった。それが今では…平和な世界のため、竜と人の存続のため、人の身に堕ちてしまったと。」

バルトールの肩に一瞬、赤い揺らめきが見えた気がした。

「…なぜですか?私は貴方に憧れていたのに。
貴方に似た人間の姿を模し、和平関係を甘んじて受け入れれば、貴方の考えを理解出来ると思ったのに…。
…真意はいつも、私と同じだと信じていたのに……。」

バルトールの顔がみるみる歪み、形を変貌させていく。その声までも、到底人間のものではなくなっていた。

【……貴方は所詮、奴ら“人間”の味方なのですね。】