真っ先に昇降口に向かった。靴箱を確認して、まだ下校していないことを確かめる。
何処? 何処に居るの?
放課後、一緒に勉強をした図書室。女子グループに呼び出されたところを助けてくれた屋上。バスケで盛り上がった体育館、冷たい目を向けられた廊下の奥の教室。
思い当たるところは全部探したけど、玲人は見つからなかった。もう一度靴箱を確認して、まだ校舎内に居ることを確認する。
(どこ、行っちゃったんだろう……。でも、思い当たる教室は全部探したし……)
トボトボと廊下を歩いていると、制服のポケットからスマホの通知音がした。もしかして、と思って画面を見てみると、残念ながら光輝が先に帰ると連絡してきただけ。
はあ。
なかなかに大きなため息が零れた。
(……いったん、教科書を片付けよう……)
まだ鞄に教科書類を片付けていなかったことを思いだし、重たい足取りで教室に戻る。ガラッと扉を開けて自席に目を向けると、隣の席に玲人が座っていた。
「…………っ」
冬の淡い日差しが差し込む教室で。
ひんやりとした空気をあたためるものがないように、いま探していたその人なのに、意外とこういう時って声が出ない。
「鞄が残ってたからね、取りに来ると思ってたんだ」
玲人の言葉に一歩、教室に歩み入る。
「これは、取り返しておいた。諸永さんにも二度目の返事をしたよ」
ポケットから玲人が取り出したのは、さっき桃花にもぎ取られたイヤホンジャック。
玲人が、身動きできないあかねの方へと歩み寄ってくれて、右手にイヤホンジャックを持たせてくれる。あかねは震える喉を制して、言葉を紡いだ。
「わ……、たし、……、みん、な、にも、……玲人くんにも、……あやまらなきゃ、いけない、の……」
喉が詰まりそうになるけど、ちゃんと言わなきゃいけない。みんなにも、玲人にも。
玲人は静かにそこに居た。あかねは深呼吸すると俯いて、今までのことを懺悔した。
「私……、恋って、なんてはた迷惑な感情なんだって思ってた。明るくて真面目で……、理不尽な感情なんて持ってなかった玲人くんみたいに、ずっと、生きていきたかった……」
玲人は静かにあかねの言葉を聞いている。
「でも……、私がずっと好きだった玲人くんは……、玲人くんの全部じゃなかった……。分かってなかったの、……ずっと好きだった玲人くんが、ホントの玲人くんじゃなかったこと……。玲人くんが……、目の前に居たこと……」
玲人の表情は分からない。あかねは喉を引きつらせながらも続けた。
「それに……、玲人くんがやさしくしてくれて、……それに、胡坐、かいてた……。みんななんで、穏やかに玲人くんを囲めないんだろうって、思ってた……。……間違ってたね、私……。そんなの、推し活でしかない……。生身の人相手に、思う感情じゃなかったんだ……」
自分のはき違えていた感情を吐露することは、自分でそれを認める行為だ。十年間玲人を推し続けてきたあかねにとって、これは幼い自分への決別だった。
「今ならわかる。……醜くても、卑怯でも、……みんな、玲人くんのことしか考えられないくらい、玲人くんのこと、大好きだったんだね……。本当に分かってなかった。申し訳ないと思う。……でもね」
ひと呼吸、置いて、顔を上げる。玲人と、目が合う。
「わたしも、分かったの。……誰に嫌われても、嫌がらせされても、玲人くんの隣に居たい。玲人くんの……、心の中に住んで居たい。……ごめんね、もう遅いって、分かってる。これからは、恋人なんて作ってられないって、分かってるのに、こんなこと……」
こんなこと言ってしまって、本当にごめん。
そう言おうとした言葉は、最後まで言えなかった。玲人が、あかねを抱き締めたのだ。
「…………っ!」
突然のことで、息が止まってしまった。玲人が耳元で囁く。
「居るよ、ちゃんと」
「…………っ」
「ちゃんと、僕の心の中に、あかねちゃんが居る。だから」
玲人が言葉を切ったから、あかねは玲人の胸元から顔を上げて玲人の顔を見た。耳元で囁いていたから、顔が、とても、近い。
「僕を、ずっとあかねちゃんの心の中に、居させてほしい」
そう言って、玲人は目を細めて微笑んだ。その笑みが眩しくて、眩しくて。
「……、…………神か……っ!!!」
つい、推し言葉が漏れてしまったのは許して欲しい。何せ十年も、推し活をして来たのだ。すると玲人は笑って、
「そうだね、神でも良いね。あかねちゃんだけの、神になるよ」
と、推し発言を許してくれた。
ふぁーーーーーー!!! 恋人の推し活を許すだけじゃなく、自ら神を名乗ってくれるなんて、なんて神対応なんだ!!! さすが暁玲人だよ!!!
などと感動していたけど、そういえばそんな呑気なことを言っていてはいけない状況だったじゃないか。
「で、……でも、玲人くん。芸能界に復帰しちゃうと、恋人いたら、まずいのでは……」
あかねが恐る恐る訊ねると、玲人はとびっきりの笑顔をこてんと傾げて、そんなこと言った? と笑った。
「えっ? えっ? えっ? ……だ、だって、年明けにも芸能界に復帰って……」
だからみんなも焦って告白したんだろうし、あかねももう会えなくなると思っていた。なのに当の本人は、そんなこと言ってないよ、とクスクス笑うだけだ。なんだ、これは。もしかして玲人の手の上で踊らされたという事なのだろうか……?
「じゃあ、……芸能界復帰っていう話は……」
「根も葉もないうわさ話だね」
にこっと天使の如く輝く微笑みで言い切られて、ガクッと脱力する。
金輪際会えなくなるかもしれないと思ったから、勇気を振り絞ったのに!!! 流石、先期のドラマ俳優ランキング一位にランクインしただけあるな!!! 芝居が上手い!! うっかり騙されたよ!!!
でも。
脱力したままのあかねに玲人が楽しそうに話し掛ける。
「なあに? 恨み言なら、いくらでも聞くけど?」
恨み言か。恨み言っていうよりも。
――――『誠実さだけじゃ片付けられない感情が恋でしょ?』
いつかの玲人の言葉を思い出す。
そうだ。そうなんだ。誠実さだけじゃない。もっとぐちゃぐちゃになるのも、恋なんだ。だから玲人は騙してでもあかねの言葉を引き出したし、あかねも桃花たちに悔しい思いをした。
「ううん。そんなじゃなくて。……考えてみたら、こんな風にもう会えなくなっちゃうって思わなかったら、玲人くんに対する気持ちは見つけられなかったのかもしれないなって思うと、……そうだな、騙してくれて、ありがとうって言えるよ」
追い詰められないと気付かないなんて、なんて鈍いんだろうと思いながら。でも。
「騙されなかったら、恋なんて醜くて自分と無関係のものだって思ったままだった……。みんなみたいに恋愛できない、不完全な人間だって思ってなきゃいけなかった……。それを覆してくれたのは玲人くんだから、やっぱりありがとうしか言えないし、玲人くんは私の神だよ」
あかねの心にあかねと玲人の恋愛劇場が生まれた。玲人との塚原での出会いが、あかねの人生を『恋』という感情で豊かに彩ったのだ。
「なんか……、玲人くんやみんなからしたら今更なのかもしれないんだけどさ……、他人(ひと)に憎まれてでもその人の気持ちが欲しい、って気持ち、確かに分かったわ……。最初は、なんで勝手な独りよがりの為に他人を傷つけなきゃ済まないの、って思ってたけど、それって、それだけ一生懸命、相手の人のことで頭をいっぱいにしてるからなんだね……」
だって、だって、今だって。
あかねの頭の中は玲人のことでいっぱいだ。
玲人が今まであかねにくれた言動。体温。大切な宝物。
それらを抱えてあかねは今すぐにでも玲人に飛びつきたいくらいなのだ。
こういう気持ちの高ぶりが、恋、なんだろうな。
こんな興奮を胸に収めてたら、そりゃあその人のことしか見えないや。
あかねが高揚した気持ちを抑えきれないで玲人に言うと、玲人はやっと分かってくれた? と輝く笑顔で笑った。
うっっ!! その笑顔、昨日よりも数万倍眩しいんですけどっ!!
「じゃあ、やっと両想いになれたってことで、これからは毎日一緒に居ようね」
「う、うん!」
「手ぇ繋いでも良い?」
「う、うん」
「ちゅーしたら怒る?」
『うん』を疑わない笑顔で、玲人が聞いてくる。でも。
「NON!! 断固反対絶対反対地球の裏まで大反対!! 汚染物質と神を交えたら世界が崩壊します!!!」
なにそれー、と玲人が笑ったけど、ぎゅっと握られた手は振りほどかなかった。
ワタシ、エライ。
なんて、頭の隅でカタコトの外人になる。
そんなあかねの隣で後光と天使の舞を振りまく奇跡の人、玲人が微笑む。
ああ、今日から。
今日から推しは。
――――私の彼氏に、なりました。