「単刀直入に言うわ。その気がないなら暁くんを振って」

放課後の廊下の突き当りに連れてこられてそう言われたあかねは、言葉を失った。桃花は可憐な美少女の様相を変えて、眼差しに憎しみを湛えていた。

「見てるんでしょう? 玲人くんに告白する子たちのこと。どの子もフラれて帰ってくるの。好きな人が居るからって。
でも高橋さんが玲人くんに恋してないっていうのは、みんな知ってるのよ。高橋さんは玲人くんに恋してないのにずっと一緒に居て、ずるいと思われたって仕方ないじゃない? 
玲人くんだって、高橋さんがその気がないことさえ分かれば、他の子とのことを考える余地が出て来るじゃない。それをさせないのに、玲人くんに返事を渋って惑わすなんて、卑怯者のやることよ」

桃花の言葉は、罪悪感を抱くあかねの心の奥底にグサッと刺さった。全くもって、正論だったからだ。玲人を惑わしていると取られてもおかしくないことを、あかねはしているのだ。

けれどそれより、あかねは桃花の変わりように驚いていた。桃花と玲人を引き合わせると約束した時には、恨みなんて全く知らなさそうな子だったのに、今ではギラギラとした嫉妬の目であかねをねめつけてくる。

(恋をすると、みんなこうなるんだよな……。その恋の相手がみんなと同じ相手だったら、絶対にその人を好きな子の間で軋轢が生まれるのに、それでもこんな風に人を恨むことを厭わなくなるんだ……)

あかねは桃花が変わってしまったことが悲しかった。あのまま玲人と結ばれていてくれたら、あかねだって推しと学校一の美人とのカップルを祝福できたのに。

「じゃあ、なんで玲人くんに振り向いてもらおうとしなかったの? 私は諸永さんと玲人くんがまとまってくれてたら……」
「いい子ぶらないで!」

桃花はあかねの言葉を遮り、あかねの頬をパン! と叩くと、こんなもの貰っていい気になってるんじゃないわよ、と言って、あかねが持っていたスマホに刺さったイヤホンジャックをむしり取った。遠目にあかねたちを見ている女子たちの目付きが、ざまあみろという嘲笑に見えた。桃花に言い返しかかったけど、玲人にも返事が出来ていない今、桃花に返す言葉がない。唇をかんで俯くあかねを見下して、桃花は言い放った。

「私と同じ気持ちの女の子は沢山いるわ。あなたが玲人くんに振られない限り、私はあなたを許さないし、みんなもそうだと思うわ」

スカートの裾を翻して、桃花は帰って行った。くすくすと笑いながら桃花と共に去っていく女の子たちもそれぞればらばらになって帰っていく。

(一番制裁を加えるのにふさわしい女子が、私に制裁するところを傍観していたかった、ってことね……)

過去の光輝の取り合いの時も思ったけど、本当にこういう感情が苦手だ。好きな人を好きな感情だけを持っていられたらいいんじゃないのかと思う。はあ、とため息を吐いて教室に戻ると、光輝があかねの赤くなった頬にぎょっとした。

「な、なにされたんだよ、お前」
「別に大したことじゃないわ」
「ほっぺた真っ赤にして、大したことないはないだろ!?」
「まあまあ、光輝」

そう言ってあかねは光輝を落ち着けさせると自席に座った。両手を机の上で組んで、ゆるく組んだ手をじっと見つめる。

「……玲人くんは芸能界に帰るんだから、このタイミングで恋人なんて作る訳ないじゃない……。私のことなんて、もう関係ないと思うんだけどな……」

そうだ。玲人はもう芸能界に復帰するんだ。恋人なんて、作るわけがないじゃないか。あかねが一生懸命答えを出そうとしてたことも、実を結ばない。これからの玲人には関係ないものなのだ。

遠い、人になってしまうな。画面越しの、玲人くん。

いつも笑ってて、かっこよくって、真面目で。

でも、それだけじゃない所を知っている。

不貞腐れたり、怒ったり、ドラマ以上に冷たい目であかねを見つめてきたり、あかねの手を取って想いを伝えて来てくれたり。
もう、あかねの思い出の中だけの玲人になるんだ。

もうじき、会えなくなる。
そう思ったら、急に呼吸が出来ないくらいの塊が喉の奥からせりあがってきて、ジワリと目の奥が熱くなった。

「…………っ」

会えなくなる。

もう、隣の君じゃなくなる。

画面を隔てて、微笑む君を見守る生活になる。

だけど。

「……、…………っ」

もっと知りたかった。君のこと。

不貞腐れた顔。冷たく怒った顔。瞳の奥に炎を宿した目付きも、その先にあった筈の、くしゃくしゃの笑顔も。

みんなみんな、遅かった。

あとちょっと気づくのが早かったら。

もっと怖がらずに、君の言葉に耳を傾けていれば。

「…………っ」

ぽろぽろと、涙がこぼれる。あとから、あとから。

ふっと、視界が陰る。頭の後ろにあたたかい手のひらを感じて、鼻孔に幼い頃から知った、光輝のにおいを感じた。

「もうさ……、手ぇ届かなくなるんだから、諦めて、俺にすれば?」

静かな教室に、低い声が囁く。

「…………」
「俺は暁みたいにあかね置いてどっか行ったりしないし、追っかけたちにはくぎ差しとくし。暁と比べて結構お買い得商品だと思うぜ」

額を押し付けられた光輝の胸から規則正しい拍動を感じる。でもあかねは、この知った匂いの人じゃなくて……。
その時、ガタン、という音がした。ハッとして光輝から離れると、教室の開け放った扉の所に、玲人が立っていた。

「れ……」

れいじくん、と呼ぼうとした時、玲人は扉を離れて教室から駆けて行ってしまった。
しん、と静まった教室で、光輝が苦笑を漏らす。

「追い掛けねーの?」
「え……。だ……、って……」
「追い掛けねーんだったら、マジ捕まえて離さないけど。それともあかねは、嫉妬が嫌いってだけで、暁を諦められんの?」

嫉妬は嫌いだ。さっきの桃花みたいに、あんなにあかねに感謝してくれた子が、一転、あんなに濁った憎しみの目を向けてくる。
それでも、屋上で詰め寄って来た女子たちを穏便にやり過ごしたいと思った頃と違い、今は桃花の目の前から逃げたかったとは思わない。むしろ桃花たちの気持ちも受け止めた上で、同じ土俵に立ちたい。

「……、……諦めない……。……嫉妬されたって、諦めたくない。嫌がらせにだって、負けたくない」

朧げだった気持ち、うやむやにしていた感情を手のひらに凝縮させ、そこから精錬された、透明で純粋な気持ちだけを掬い取っていく。

その過程で、あかねの瞳に力が宿り、それを見た光輝がにっと歯を見せて笑った。

「嫌がらせされても構わないって、嫌がらせする奴ら蹴落としても構わないって、それって恋だよな。推しに対する憧れじゃなくて」


――――恋。


それはあかねにとって遠く恐ろしい感覚の言葉だった。

画面の向こうの玲人のように心美しい人間で居たいと思い願った。

でも、あかねの前に舞い降りた玲人は、美しい心を持つだけの神(推し)ではなかった。
時に怒り、時に嫉妬する一人の人間だった。

だとしたら。

あかねだって、誰に恨まれてでも、彼の好意に応えたい。彼の前にもう一度並び立ちたい。

あかねは椅子から立ち上がった。

「行ってこい!」

あかねは光輝に背中をバン! と叩かれて、その場から弾けるように走り出した。