ところが、ハッピーニューイヤーのラインと共に、優菜から驚くべきメッセージが届いた。

――――『暁くん、芸能界復帰ってホント?』

えっ?

目を疑う内容のメッセージに続いて、情報サイトのリンクがあった。リンクに飛んで、あかねは息をのんだ。

『元『FaceToFace』暁玲人、年明けにも芸能界復帰? 『FTF』引退はメンバー内不仲!?』

芸能界復帰? それに引退の理由もメンバー不仲って何? 玲人は芸能界で自分がやるべきことはやり切ったと思い、現在も充実してるから辞めたことに悔いはないと言っていた。
メンバーのことも特に悪く言ったことはなく、引退の際は引き止められたと言っていた。何より、あかねと一緒に居て楽しそうだった姿を思い出して、ゴシップ誌によくありがちな、偽情報なのではないかと一瞬思った。

でも、確かに玲人は平凡な塚原高校なんかに居て良いような人ではない。むしろ、芸能界に復帰した方が、全国の女子の為になるのではないだろうかと考えて、あかねは一瞬でも推しの為にならないことを考えてしまった己を殴りたい気分に駆られた。いや、実際に自分で頬を殴った。パァン! という大きな音と共に、改めて玲人のことを思う。

(馬鹿あかね!! 玲人くんは!! 全国のファンに今でも復帰を望まれている至高の存在なのよ!! 私とどれだけ親しくしてくれようが!! 玲人くんは神!!! 凡人の私と交わる人じゃない!!!)

だから、明日玲人に会ったとして、実は戻るんだ、と言われても、笑顔で快く、頑張って! と言えるように、今夜中練習しよう。

玲人には輝かしい未来が似合う。
決して、あかねの隣で平凡な人生を歩んで良い人ではないのだ。

翌朝、寝不足の目をこすりながらあかねは家族でおせちを囲み、ひとしきり家族でのお正月をしてしまうと、急いで家を出た。『高橋あかねの暁玲人初体験』内イベントとして、玲人と初詣の約束をしてあるのだ。

母親は一緒に行く相手が、頭をぶつけた時に謝りに来てくれた男子だと知って、「めちゃくちゃかわいく着付けてあげるからねっ!」と張り切ってくれた。おそらくあの時の行儀の良さが、よほど印象深かったのだろうと思う。あかねもあの時は壁にぶつかったくらいで大袈裟な、と思ったけど、今になってみると、そのくらい大事に想ってくれていたのかな、とも考えてしまった。

待ち合わせ場所の駅に行くと、もう玲人が来ていた。冬休み前と変わらない笑みを浮かべて、こちらに手を振って来ているが、そのファッションセンスの高さに恐れおののく。
柔らかな微笑みの似合う玲人らしく、明るいカラーのインナーニットにオフベージュのボアブルゾン。ボトムは濃い目のベージュで靴はコンバースの黒。冬だからと黒を多用しがちな日本人において、その顔面の明るさを全面的に活かした、明るいコーディネートだ。流石他の有象無象とは違って、玲人が立っているところだけ太陽が輝いているようだ!!

「あかねちゃん、明けましておめでとう。着物かわいいね。あかねちゃん、ピンク似合う~」
「あ、明けまして、おめで、とう……」

『高橋あかねの暁玲人初体験』イベントの一環として着物を着てきてほしいと言われたので、母親に頼み込んで着付けてもらったが、ピンクが似合うと言われたのは初めてで、あかねもどう返事をしたらいいのか迷う。ピンクはそもそも桃花のようなかわいい女の子が似合う色で、あかねのような普通の顔に似合うとは到底思えないのだ。

「似合ってるのかどうか、わかんないんだけどね……」
「何言ってるの、かわいいよ。あとで写真撮ろうね」

ニコニコという玲人に、昨夜思い描いていた玲人との差を感じて、やはりどう対応したらいいのか分からない。
あまりの玲人の変わりなさに、あかねは拍子抜けしてしまうほどだ。それとも、もう決心したから、なにも思い残すことがないっていう事なのかな。じっと玲人の顔を見つめるあかねに、玲人は照れくさそうにはにかんだ。

「人が多いね。手ぇ繋いでおこうか」

そしてあかねの返答を待たずに手を掬った。冷たい冬の空気の中、玲人の存在を感じられる体温。隣に居てくれるこの時間が、ずっと続けばいいのに、とあかねは思う。
しかし昨夜何度も繰り返したはずだ。玲人はこんな風に人ごみに埋没して良い人じゃない。みんなに夢を与えられる人だ。なのに。

周りの誰も玲人に気付かない中で、あかねだけが玲人が居ることを知っているこの状況が。
玲人が他の誰を見るわけでもなく、あかねだけを振り返ってくれるこの状況が。

なんて貴重な時間なんだろうと、そう思う。

やがて神様にお参りをして社を離れる。

「なに、お願いした?」

あかねが問うと、玲人は嬉しそうに応えた。

「そりゃあ、新年が充実してることと、あかねちゃんが僕の事好きになってくれるようにだよ。あっ、でもここの神さまは縁結びの神さまじゃないから駄目かな……」

玲人の言葉を聞いている限り、塚原から居なくなることは想像し難いけど、でも『新年が充実してること』は、もしかしたら復帰のことかもしれない。
玲人に、あかねちゃんは? と問われて、なにをお願いすればいいのだろうと悩んだまま、なにも願うことが出来なかったとは言えない。玲人の願いが復帰なら、その選択は素晴らしいと思うし、全力を持って応援したい。しかしその一方で、子供の我儘のような、塚原から居なくなってほしくない、という気持ちもあったからだ。

「そ、そうだな……。家族の一年の健康かな……」

ごくありふれた返答をすると、玲人は少し不貞腐れた。

「恋愛劇場が分かるようになりますように、とかだと思ってた」
「あはは。それでも良かったね」

笑うと、玲人があかねの顔を覗き込んだ。

「……僕はこの一年で、あかねちゃんの恋愛劇場に登場できるのかなあ?」

微笑む玲人に、彼があかねを諦めないで居てくれると知る。でも彼が居る場所は、塚原じゃなくなるかもしれない。あかねは激しい動悸の中で、玲人に尋ねた。

「で……も、さ……。玲人くんは芸能界に復帰、……するんでしょ……?」

やわらかな玲人の笑みが、サッと消える。それを見てあかねは悟った。

ああ、この話は本当なんだ、と。
あかねの隣から、いなくなるんだ、と。

あかねが心臓の拍動を抑えながらそれらのことを納得していると、玲人はあかねの動揺をスパッと切るように、冷徹な声でこう言った。

「その話、ホントだって言ったらあかねちゃんはどう思うの?」

玲人はとても冷たい目でその言葉をぶつけてきた。あかねは迷わず言うつもりだった。未だ全国にファンの居る玲人は、塚原なんかに埋もれてないで、その存在そのものでみんなを幸せにすべきだ、と。しかし。

「……、…………っ」

声、が。

出て、こない。

あんなに、一晩中、練習した、玲人の輝かしい未来への道を、見送る言葉が。

雑踏の中、はくはくと呼吸をする為だけに動く口は、息は吸い込むのにそれを吐き出すときに喉を震わせない。

(やだ)
違う。

(まだ知らない玲人くんをもっと知りたい)
凡人が捕らえていて良い人じゃない。

(もっと玲人くんと)
全国の女の子に夢を届ける人なのよ!

「…………っ!」

立ち尽くしたあかねが胸の前でぎゅうっと握った両手は、小刻みに震えていた。瞳孔を開くような目で玲人を見るあかねに、玲人は厳しい目つきを一転、やわらかい眼差しに変えた。

「あかねちゃんさ……、推しだからとかっていうこと関係なく、考えてくれないかな。僕が本当に……、アイドルに戻っても良いのかどうか……」

玲人の手が、あかねの握った手に触れて、そのこわばりを解いてくれる。緩く結んだあかねの手を、玲人の大きな手のひらが包んだ。冷えた空気の中そのぬくもりに、力の入っていた肩からすとんと脱力するのが分かった。それと同時に喉を塞ぐんじゃないかという大きな塊が、せりあがって来た。

「わ……、……わかんな、……い……。きのう、……は、……おいわい、しよう……って、き、……きめてた……、の、に……」

震える言葉はみっともない。未だどっちとも言えない自分の意気地のなさに泣けてくる。でも玲人はそんなあかねの答えを嬉しそうに聞いていた。

「そうやってさ、迷ってよ。僕を、ずっとあかねちゃんの頭の中に居させてよ。そうしていずれ、『暁玲人』としてあかねちゃんの恋愛劇場にファーストプレイヤーとして役を貰いたいな」

アイドルに戻るとも戻らないとも言わず、玲人はあかねだけを欲した。本当にこの人は、自分の決めたことを諦めない人だ。芸能界に戻るにしろ戻らないにしろ、あかねのことだけは諦めないと、そう言いたいんだ。

あかねはそれに対して答えうるべき覚悟を持っていない。玲人が桃花と別れてからというもの、あかねに対する意地悪は酷くなる一方だった。それがもっとエスカレートするんじゃないか、という辟易した気持ちも、なくならない。

「……、…………」

口の形を笑みには作ったが、肝心の言葉が出てこなくて、玲人に、いいよ、急がないから、と気遣われてしまう。返事を待たせている心苦しさから、でも……、と口ごもると、玲人はゆるく首を振った。

「どんな状況でも揺るがない、あかねちゃんの本心が聞きたいんだ。塚原に引き留めたいからとか、みんなの為に輝いて欲しいとか、そういう余分な理由は要らない。ただ、あかねちゃんの一番シンプルな気持ちが聞きたい」

玲人の言葉にハッとする。昨夜考えていたことは、まさに玲人が言う『あかねの感情に影響する状況』なのではないだろうか。それに任せて返事を要求することも出来るだろうに、玲人はそうしなかった。

なんて、人に対して真摯な人だろう。
そう玲人に対して思う。そして。

自分も、玲人に対して真摯でありたい。
その為には、雑念を取り払って、玲人と向き合わなきゃ駄目だ。

「……ごめんね、玲人くん……。……でも、待ってて欲しい。いつか……、ちゃんと返事を返せる私になるから……」

あかねの言葉に、玲人はあかねが安心できる笑みを浮かべて、待ってるよ、とだけ言ってくれた。