そんなわけで、この前のカフェに玲人と二人で居る。立ち話ならいざ知らず、教室に居て二人で喋るのと違って正面に玲人の顔を見ながら椅子に座っていなきゃいけないこの耐久レースに、あかねは音を上げそうだった。
(お尻落ち着かない!! 真正面に玲人くんを見ながらなんて、紅茶もパンケーキも味がしないよ!! 神はパンケーキを不味くさせるのか!! 画面越しの時は美味しかったのに、対面になるとそんな副作用があるなんて知らなかった!!)
「? 食べないの?」
邪鬼のない笑顔で聞いてくるその笑みが一層パンケーキを無味にさせている。もはやメープルシロップの味すらわからない。シロップピッチャーからごくごくと飲んでも一ミリも味は分からないんじゃないかな!?
「神とタイマンで食事をするとか、もうなんてご褒美なんだか拷問なんだか分かんないよ……」
それでも玲人が促すから、ぶるぶる震えながらパンケーキをナイフとフォークでさっくりと切る。
メープルシロップの染みたパンケーキはそれはそれは美味しそうな見た目の筈なのに、全く食欲がわかない。食べても味しないんだろうなあ、等と考えてフォークを口に運べないでいると、玲人があかねの手からフォークを奪って(?)、刺さったパンケーキをあかねの口許に寄せた。いわゆる『あーん』である。
「!!!!」
ひええええ!!! 神から直々の施し!! これを口に入れないわけにはいかない!! しかし!! 神に向かって口を大きく開くなど、吐息が掛かったら神が穢れてしまうではないか!!!
推しからのあーんに動揺して身動きが取れなくなったあかねに、玲人がもう一度フォークを、今度はパンケーキが口に触れるまで差し出してきた。
「ひ……っ、…………んむ……」
ひええ、と叫び声をあげそうになった口に、玲人が器用にパンケーキを放り込む。添えられた生クリームとシロップの染みた生地が舌に触れて、あかねは本能的に咀嚼をした。
むぐむぐむぐ。
「…………っ」
……、……お、美味しい……。
「どう? どうどう?」
玲人がワクワクとした顔で感想を聞いてくる。そんなの。
「表面のあわいきつね色が期待を裏切らない焼き加減で中のとろりとしたやわらかい生地を大事に包んでて、そこにトッピングされた生クリームや染み込んだメープルシロップと共に舌先に載せた途端に口の中で、卵と甘みのある小麦粉、それに芳醇なミルクの香りのする生地が舌先でとろけるようになくなる……っ! これぞ神のスイーツ……っ!!」
ひと息で言いきると、玲人が嬉しそうにぱちぱちと拍手をした。
「嬉しいなあ。僕と一緒に食べてくれたパンケーキに、そんなドラマチックな感想を持ってくれて。僕も食べたい」
玲人はそう言って口を大きく開けた。えっ? この流れ、あかねがあーんをするってこと!?
「無理無理無理!! 玲人くん、それはハードル高いよ!! お皿ごとどうぞ!!」
あかねはひとかけ切ってあるパンケーキの皿を、ナイフとフォークと共に玲人の方へサッと差し出した。玲人が少しつまらなさそうに口を尖らせる。
あれっ、この表情、ツアーの裏側ドキュメントの中でメンバー相手に見せた、ちょっと砕けた玲人の表情と、なんか違う……。なんかもっとこう……、自然体というか、あの時垣間見えた責任感を負った表情とは違って、本当に気を抜いているように見える……。
あかねはハッとした。明らかに『FTF』時代の玲人と、今目の前に居る玲人とは、表情が違うのだ。
今目の前に居る玲人の方が、間近にいると言うのに『FTF』時代よりも若干体が小さく見える。背が縮んだはずはないし、オーラがないわけでもない。
でも確実に『違う』。
……そうか。玲人は本当に『FTF』を辞めたんだな……。
あかねはこの時にこの事実を初めて受け止めることが出来た。
パンケーキを頬張っている玲人にぽつりと呟く。
「……本当に、辞めちゃったんだね。……『FTF』」
あかねの呟きに何を感じたのか、玲人はそれを聞いて穏やかに微笑んだ。
「ふふ、やっと?」
ああ、今の玲人は本当に何も負わない一人の男子高校生だ。それを感じることが出来て、あかねの胸の中のたかまりがストンとお腹の底に落ち着いた。
長い『引退事変』だったな……。クラスメイトや学校の女子たちは、この顔をもう見ていたのだろうか。あかねは玲人の引退を受け止めるのに、三ヶ月も掛ってしまった。見ようとしてこなかった、『FTF』を負わない玲人の素の顔。
「良い夢を見させてもらったよ、『FTF』ではね。……でも、僕がやるべきことはやり切ったと思ってるし、今も充実してるから、辞めたことに悔いはないよ」
すっきりした顔で言う。
ああ、玲人は三ヶ月前からこの目だったんだ。隣の席だったのに、全然気づかなかった。
玲人はとっくに新しい一歩を踏み出していたのに、あかねときたら盲目的に『暁玲人』を見続けていた。本当に自分が恥ずかしい。
「ごめん……。私、本当に失礼なことしてたよね……。推しだった玲人くんにも、今の玲人くんにも……」
「あは、あかねちゃんにも色々気持ちの整理の仕方があったと思うから、僕がそれを責めるのは違うと思うし、今、目の前の僕を見てくれてるならそれでいいよ。前にも言ったけど、夢を見てくれていたのに辞めてしまってごめん、っていう気持ちも、確かにあるからね」
どんな時も玲人は前を向く。その生きざまが好きだった。だとしたらその彼に惹かれたあかねがすべきことは、過去にとらわれず、やっぱり前を向くことだ。
「私ね、玲人くん」
居住まいを正したあかねに、玲人が気付く。
「本当は、玲人くんとのこと、真面目に考えるのが怖いんだ……」