しっとり濡れた声でそう言われて、バクン! と心臓が鳴った。

は? は? HA!?!?

一瞬頭が真っ白になって、それから全力で玲人の手を振りほどいて、全力で壁際から逃げた。

「ま、ま、ま、まって!? これは密かに進行しているドラマの仕事の台本読みかなんかなの!? 私なんかに聞かせて良い声じゃなかったよね!? 今!?」

混乱して頭を掻きむしると、バクバクと全身を駆け巡る血流を止めるために、両腕でぎゅっと体を抱き締める。なんであかねみたいな一般人が、ユーザー代表みたいな経験する羽目になってるんだろう!?
目を白黒させながら問うと、玲人は眉を寄せて息を詰めるようにくくっと笑った。

「僕がヒーローを務めるドラマには、是非ヒロインで登場して欲しいな。っていうか、仕事って何。僕、もう、一介の高校生だよ?」

あああ、そうだった! でもそれを忘れさせることが出来るくらいの、迫真の演技だったのだ。あかねが勘違いしても悪くないと思う。

「ぜんっぜん慣れない! 玲人くんが普通の高校生だってことに!! 何せ、ファン歴が長かったから……っ!!」

あかねがそう言うと、玲人はもう雰囲気をいつもの様子に戻して、どのくらい? とファン歴を問うてきた。

「今年で十年目だよ。小学校二年生の時からだから……」

あかねは懐古の記憶を辿る。ある日、テレビで見かけたバラエティー番組の子供ゲストに玲人が居た。
賢そうな顔と、行儀の良い受け答えに、同じ子供なのにこんなにも大人びた子がいるのかと衝撃を受けた。
画面の向こう側で、場に馴染むように微笑んでいた玲人は、利発そうな顔に違わず、気配りの出来る子供だった。
大人ばかりの場所で畏まりすぎず、はしゃぎ過ぎず、絶妙なバランスで大人たちの進行の賑やかしとしてその場にいた。あれは大人たちが主役だと分かっていて、与えられた『役割』を違和感なく全うしていた。
あかねのその頃の男友達はあの頃、光輝をはじめとしてやんちゃな悪ガキばっかりだったから、一層玲人に対する尊敬の念が募った。

「それからはもう、崖から転げ落ちたのかっていうように玲人くんのことを調べたなあ……。子供が行ける範囲で、玲人くんが子役で出演したドラマのロケ先も見に行ったよ。聖地だからバシャバシャ写真撮って。玲人くんの影も形もないのにね」

古いファイルを探せば、その写真だってまだ、あかねが玲人にときめいた鼓動と共に残っている筈だ。過去だって今だって、あかねは玲人の人間性そのものに惹かれている。

文化祭の時だってそうだった。みんなが楽しく居られるために、身を挺して努力が出来る人。それは『FTF』の時とも、そもそもあかねが初めて玲人を見た子供の頃のバラエティー番組とも変わらない。
玲人は常に周囲を観察して、よりよい着地点を見出させる人だ。玲人にだけうつつを抜かして、光輝や優菜の苦笑にも億さなかったあかねとは全く違う。こうありたい、という人物を体現している人が、玲人なのだ。敬うな、という方がそもそも無理だ。

「大人ばっかりの世界の中で、子供という身分に甘えることなくあの番組の中にいた玲人くんは、プロだからとはいえやっぱり同い年として尊敬したし、その後のスター街道を突っ張るのも頷けるし、でもその地位に甘んじることなく努力の人だったし、『FTF』の仲間に出会ってからは、本当にメンバーの事大事にしてて、メンバーからも愛されてるのが分かったし、まあ、愛されて当然だよねって思ったし、その愛情に胡坐をかくことなくメンバー同士でよりよい『FTF』を作り上げるために一番努力してた!! 
正直、この年頃の同性同士が集まって、ああいう世界でいざこざがないわけがないのに『FTF』がばらばらになることなんて想像も出来ないくらいに玲人くんの気遣いが行き渡ってたし、それはメンバーも証言してたし、メンバーから信頼されて愛されて当然だって思うんだ! それって、凄いことだよね!?」

ひと息で言ってしまってから、はあっと深呼吸をする。あかねを見ていた玲人が目を丸くしていた。

「……というわけで、こんな素晴らしい人格者の玲人くんが、私ごときに構っていてはいけないの! 玲人くんは『普通の高校生』らしく、玲人くんに相応しい『普通の高校生活』を送って欲しい!!」

鼻息と共に力説すると、玲人はやっぱり喉を震わせるように笑った。

「それを言うなら『普通の高校生』らしく、あかねちゃんと普通の恋愛がしたいよ」

長身の腰を折って、あかねの顔を覗き込む玲人の麗しきご尊顔が近くに寄る。あかねはそれを避けるように、ぐいん! と首を伸ばして顔を背けた。

「すみません! 分不相応です!!」
「えー、僕が、あかねちゃんが良いって言ってるのに?」
「冷静になって脚本家さんか監督に聞いてみて欲しいな!? 絶対顔のつり合いが取れないと思う!」
「ドラマにはいろんな顔の役者さんがいても良いと思うけど」
「ヒロインにはそれなりの顔面偏差値が求められるの!」
「顔面偏差値て……」

やっぱり喉を震わせながら眉を寄せて笑う玲人は、あかねに無理難題を吹っかけているというのに、それこそあかねに有無を言わせないレベルで見惚れるほどの圧倒的美だ。
この宗教画のごとき神々しさをまとったご尊顔から発された言葉を、よく否定出来たな、私!?

……と、そんなことを考えていたらタイムリミット、朝の予鈴が鳴った。

「あーあ、仕方ない。改めて口説き落とすかあ」
「他を当たって欲しいな!?」
「生憎、決めたことは突き通す主義なんだよね」

それも知ってるけど! でもこんなことで発揮しなくても良いんじゃないかな!?

「まあいいや、時間はたっぷりあるもんね?」

玲人はそう言っておく上のドアを開けた。勿論、流れてきた冷たい秋の風から女の子を守ってくれるのは言わずもがなで。玲人の隣をすり抜けるときに、先程のことを思い出す。

混乱と興奮驚愕、そして……、少しの恐怖。男の子とあんなに近い距離で喋ったのは、実は光輝以外初めてだった。

玲人に促されて屋上のドアを潜ると、玲人が後から屋上を降りてくる。さあて、この状況を全校女子に誤解されないと良いけど。

それは多分、何か打開策がないと無理なんだろうなあ、とは、分かっていた。