「取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
まだ青ざめながらも、しっかりした声で睡蓮が言った。
「落ち着いた?」
「はい。もう大丈夫です」
そういいつつふらつく睡蓮を、紅華は池のほとりにあるあずやまに連れて行って座らせた。自分も、その隣に座る。
「少し、聞いてもいいかしら」
「はい」
そうは言っても、何を聞いていいのか紅華もまだ混乱している。
「ええと……」
尋ねあぐねている紅華に、うつむいたまま睡蓮がぽつぽつと話はじめた。
「私は、幼いころから天明様、晴明様と共に育ちました」
「え?」
「私は後宮で生まれました」
紅華は、息を飲んだ。後宮で生まれたという事実。そして、後宮に入れる男子は、皇帝陛下のみ。
「では、あなたは」
「私の母は、後宮で働く下女でした。たった一度の前々皇帝陛下のお戯れで……私が生まれたのです」
睡蓮は、前々陛下、つまり晴明たちの祖父の娘だ。晴明たちにとっては、睡蓮は叔母にあたる。
たまたま給仕に来ていた睡蓮の母を、皇帝は酔いにまかせて抱いた。その一回きりで皇帝が彼女に触れることは二度はなく、彼女もそれをのぞまなかった。
その母も、今はもういない。後宮の争いに巻き込まれたわけではなく、病死だった。生まれた睡蓮を大切に慈しみ、幸せに過ごした人生だった。
睡蓮は、皇帝の血をひくも母親が下女だったため皇族としてあつかわれることはなく、後宮で侍女として育てられた。成長してからは、その聡明さを買われ女官として後宮で働くようになる。
(叔母って……え、龍可陛下の妹君ってこと? 睡蓮て、何歳なの?)
紅華の頭に単純な疑問が浮かんだが、とても聞ける雰囲気ではなかった。
「亡き陛下は、年の離れた妹の私をとてもかわいがってくれていました。その奥様でもある皇后様も、なにくれとなく母のない私の面倒を見て下さったのです。それでよく天明様、晴明様とも遊んで育ちました。あの頃はまだ身分のことなど知らず、ただ転げまわって遊ぶだけの楽しい日々でした。けれど、成長するにつれ、皇位継承者と侍女としての差は嫌でも理解するようになります。次第に、私たちは話をすることもなくなってきました」
「幼なじみ、だったのね。それで、天明様とはあんなふうに親し気だった理由がわかったわ。でも、晴明陛下とは」
「……ある時、晴明様に告げられたのです。私を……愛していると」
長じるにつれて、睡蓮を見る晴明の視線に熱いものが含まれるようになってきた。それに気づいた時には、睡蓮も、一人の男性として晴明を愛するようになっていた。
「嬉しかった。でも、晴明様は皇太子です。皇帝の血を引くとはいえ、私の母は身分などないただの下女でした。ですから、晴明様のお心に答えることなどできないと、断るしかありませんでした」
寵姫となる女性には、それなりの条件が求められる。身分の高い貴族や、紅華のように実家が多大な財産を持つもの、そんな何かが。睡蓮の母には、何一つそんなものがなかった。
「そんな理由じゃ、陛下は納得しないんじゃない?」
睡蓮は、苦し気にうなずいた。
「はい。それでもかまわない、と晴明様は言ってくださいました。身分のない私のために、他の妃は誰も後宮には入れない、とまでも。でもそれでは、他の方々は納得しません。第一、私の身分では皇后になんてとても無理でしょう。陛下には、釣り合う身分の皇后は絶対に必要なのです。だから……だから、私は……」
「つとめて晴明陛下に冷たく過ごしてきたのは、必要以上に親しくならないためと……陛下に諦めてもらうため、だったのね」
睡蓮は再び、こくりとなずいた。ようやく紅華は、睡蓮の態度の意味を知った。しばらくうなだれていた睡蓮は、は、と気づいたように顔をあげた。
「でも、紅華様を恨んだことなど一度もありません。それは、本当です」
まだ青ざめながらも、しっかりした声で睡蓮が言った。
「落ち着いた?」
「はい。もう大丈夫です」
そういいつつふらつく睡蓮を、紅華は池のほとりにあるあずやまに連れて行って座らせた。自分も、その隣に座る。
「少し、聞いてもいいかしら」
「はい」
そうは言っても、何を聞いていいのか紅華もまだ混乱している。
「ええと……」
尋ねあぐねている紅華に、うつむいたまま睡蓮がぽつぽつと話はじめた。
「私は、幼いころから天明様、晴明様と共に育ちました」
「え?」
「私は後宮で生まれました」
紅華は、息を飲んだ。後宮で生まれたという事実。そして、後宮に入れる男子は、皇帝陛下のみ。
「では、あなたは」
「私の母は、後宮で働く下女でした。たった一度の前々皇帝陛下のお戯れで……私が生まれたのです」
睡蓮は、前々陛下、つまり晴明たちの祖父の娘だ。晴明たちにとっては、睡蓮は叔母にあたる。
たまたま給仕に来ていた睡蓮の母を、皇帝は酔いにまかせて抱いた。その一回きりで皇帝が彼女に触れることは二度はなく、彼女もそれをのぞまなかった。
その母も、今はもういない。後宮の争いに巻き込まれたわけではなく、病死だった。生まれた睡蓮を大切に慈しみ、幸せに過ごした人生だった。
睡蓮は、皇帝の血をひくも母親が下女だったため皇族としてあつかわれることはなく、後宮で侍女として育てられた。成長してからは、その聡明さを買われ女官として後宮で働くようになる。
(叔母って……え、龍可陛下の妹君ってこと? 睡蓮て、何歳なの?)
紅華の頭に単純な疑問が浮かんだが、とても聞ける雰囲気ではなかった。
「亡き陛下は、年の離れた妹の私をとてもかわいがってくれていました。その奥様でもある皇后様も、なにくれとなく母のない私の面倒を見て下さったのです。それでよく天明様、晴明様とも遊んで育ちました。あの頃はまだ身分のことなど知らず、ただ転げまわって遊ぶだけの楽しい日々でした。けれど、成長するにつれ、皇位継承者と侍女としての差は嫌でも理解するようになります。次第に、私たちは話をすることもなくなってきました」
「幼なじみ、だったのね。それで、天明様とはあんなふうに親し気だった理由がわかったわ。でも、晴明陛下とは」
「……ある時、晴明様に告げられたのです。私を……愛していると」
長じるにつれて、睡蓮を見る晴明の視線に熱いものが含まれるようになってきた。それに気づいた時には、睡蓮も、一人の男性として晴明を愛するようになっていた。
「嬉しかった。でも、晴明様は皇太子です。皇帝の血を引くとはいえ、私の母は身分などないただの下女でした。ですから、晴明様のお心に答えることなどできないと、断るしかありませんでした」
寵姫となる女性には、それなりの条件が求められる。身分の高い貴族や、紅華のように実家が多大な財産を持つもの、そんな何かが。睡蓮の母には、何一つそんなものがなかった。
「そんな理由じゃ、陛下は納得しないんじゃない?」
睡蓮は、苦し気にうなずいた。
「はい。それでもかまわない、と晴明様は言ってくださいました。身分のない私のために、他の妃は誰も後宮には入れない、とまでも。でもそれでは、他の方々は納得しません。第一、私の身分では皇后になんてとても無理でしょう。陛下には、釣り合う身分の皇后は絶対に必要なのです。だから……だから、私は……」
「つとめて晴明陛下に冷たく過ごしてきたのは、必要以上に親しくならないためと……陛下に諦めてもらうため、だったのね」
睡蓮は再び、こくりとなずいた。ようやく紅華は、睡蓮の態度の意味を知った。しばらくうなだれていた睡蓮は、は、と気づいたように顔をあげた。
「でも、紅華様を恨んだことなど一度もありません。それは、本当です」