粋の母親は驚いた表情で矢継ぎ早に捲し立ててから、ぺこっと頭を下げた。
「娘を助けてくれて、ありがとうね」
「いえ、そんな……。偶然居合わせただけですから」
「そんなことないわ。数秒遅れていたら、何かあったかもしれない」
 真剣に語る粋の母親の澄んだ瞳は、どこか粋に似ていると思った。
「待っていてもいいけど、粋はまだ寝てるのよ。面会時間は午後八時までみたいだけど……」
「はい。時間は守ります。それまで待たせてください」
「もちろんよ。中に入って待っていて。今、赤沢君のお父様に電話してくるわね」
「いえ、そんなお気になさらず……」
 そう言ったけれど、粋の母親は会釈をして、そのまま病室を出ていってしまった。
 四人部屋の病室内に恐る恐る入ると、粋は左側のこめかみ部分に大きなばんそうこうを貼っていて、すーすーと寝息を立てて眠っている。
 白い頬にはほのかに赤みがさしていて、倒れていたときよりずっと血色がよくなっていることに心の底から安堵した。
 そばにあった丸椅子に腰掛けると、粋の手をそっと握りしめる。
 少し湿った小さな手から、ちゃんと体温が感じられる。……生きている。
よかった。また、粋の声を聞くことができるんだ……。泣きそうになったのをぐっと堪える。
「……好きだ」
 その三文字は、気づいたら自然と、口から零れ落ちていた。
 粋が生きていると実感した途端、体の奥底から溢れ出てきてしまったのだ。
 まだ、自分の中でも、未確定で不安定な気持だったのに、答えはシンプルなものだった。
 彼女を愛しいと思う。その気持ちを、俺は静かに受け止める。
 でもきっと、それを本人に伝えたところで、困らせるだけだろう。
「粋……」
 そっと彼女の名前を呼んでみる。
 確実に、俺の超記憶能力は赤沢八雲としての人生で、立ち消える。
 なぜなら白石粋という大きな未練が、この世にできてしまったから。
 つまり、死んだらもう二度と、粋のことを思いだせない。
 ずっとこんな能力を消したいと思って生きていたのに、悲しくて仕方がない。
 何度生まれ変わっても、粋のことを見つけたい。
そう、心から願ってしまっている。
 たとえ人間に生まれ変われなかったとしても。
粋が……、どんな姿形になったとしても。
 
 その夜、俺は結局粋が目覚めるまで一緒にいることはできなかった。