「ごめん、変なこと言った。やっぱり帰る」
「待って、粋」
「本当ごめん、忘れて」
 私は涙を強引に腕で拭って、勢いよくソファーから立ち上がった。
 しかし、すぐに八雲に腕を掴んで引き止められ、「帰るって、どこに?」と訊かれた。
 どこに……? たしかに、家族も友達も失った私が行くあてなどない。
 そうだ。私は今、世界のどこにも居場所がないんだ……。
 強い孤独感が襲ってきて、私は力なく再びソファーに座り込んだ。
「ほんとだね……。私、どこに行けばいいんだろう……っ」
 体育座りの形で顔を膝にうずめる。
 どうにもできないひとりごとが、静かな部屋の中に転がっていった。
 暫く沈黙が流れてから、そっと隣に気配が戻って来て、私はゆっくり顔をあげる。
 八雲はすごく真剣な顔で、「いいよ」と突然一言で答えた。
「え……? 何が……」
「キス、してもいいよ」
「な……んで」
 お願いした側の私の方が、完全に動揺している。
 八雲は落ち着いた様子で私に顔を近づけ、顎に指を添えてきた。
 彼の長い指はとても冷たくて、ひんやりとしている。
 息がかかるほどの、距離感。少しでも動いたら、今にも唇が触れてしまいそうになる。
 体の全部が心臓になってしまったと錯覚するくらい、今、緊張で頭が真っ白になっている。
「本当にするけど」
 至近距離でそう囁かれ、私は流れに身を任せるように、気づいたら小さく頷いていた。気持ちの整理など全くついていないのに、八雲に見つめられただけで思考が停止してしまった。
 数秒後、本当に唇が重なって、すぐに離れた。
 私と八雲はただ見つめ合ったまま、お互い何も言わずに黙っている。
 孤独を埋めるためのキスは、呆気ないほど一瞬で、簡単で。
 でも、こんな最悪のタイミングで、私は自覚してしまった。
――赤沢八雲のことが、好きなのだと。
 好きだから、彼に孤独を埋めてほしいと思ったんだ。彼の中に居場所を作りたいと願ったんだ。
誰でもいいわけではなかった。
 だって私は今、八雲に気持ちのないキスをされたことに、ちゃんと傷ついてしまっている。
 そうか。人を好きになる気持ちは、こんなに怖くて、不安で、苦くて、痛くて、脆いものだったんだ。
「粋……?」
 つーっと、頬に涙が伝う。
 自分でも泣いていることに気づいていたけれど、拭わずそのまま垂れ流す。