少しの沈黙にドキドキしていると、赤沢君は『うーん』と唸りながら語り始める。
『登山家のときの記憶はとくに強烈かな』
 登山家か。すごく過酷そうだから、たしかに肉体的にも強烈な思い出が多そうだ。
 男性か女性かも分からない、まだ赤沢君じゃない赤沢君を、ぼんやりと想像してみる。
『海外の山に登って、ほんと心折れそうになったときがあったな。数回事故ったし』
「えっ、危ない……」
『なあ、白石。山登りの心得って、知ってるか』
「心得……?」
『本気でしんどいとき、死ぬかもって思ったときは、ただ目の前の一歩のことだけ考えるんだ』
 ただ、目の前の一歩のことだけを。
 なぜかその言葉が、スッと胸の中に入り込んできた。
『頂上のことを考えると、途方もない夢のように感じて簡単に絶望するからな。だから、とりあえず次の一歩だけ頑張るか……って低い志を何万回も繰り返していくと、いつか思ってもみない景色にたどり着けたりする』
「繰り返し……」
『そう。まあ、もう二度と登山家にはなりたくないけどな。それで若くして死んだし』
 せっかくいいことを言っていたのに、低い声で最後に言い捨てる赤沢君。
 赤沢君の話を聞いて、登山家だった頃の彼にも、会ってみたいと思った。
 人の過去を聞くことなんて普段あまりしないけど、彼の内に触れられたことがなぜか嬉しい。
 顔を合わせずに話しているから、聞けたことだったんだろうか。
「また今度、赤沢君の過去の話、気が向いたときに聞かせてよ」
 そうお願いすると、スマホ越しに『気が向いたらね』というやる気のない声が返ってくる。
 それに思わず笑いつつ、私は「おやすみなさい」と言って通話を切った。
 どうしてずっと電話を避けていたのか分からなくなるほど、私は呆気なく電話嫌いを乗り越えてしまった気がした。
 それが嬉しくもあり、悔しくもあった。
 もしあのとき、乗り越えられていれば、私は夢花の大事な話を聞き逃さずに済んだのかもしれない。
 どんなに時間が過ぎても、後悔は消えない。
 私は静かに首を横に振って、過去に飲み込まれないように、目の前のことに集中した。
 


 前世の記憶を思いだし覚醒するタイミングは、毎回バラバラだ。
 覚醒すると、だんだん経験したはずのない記憶が水のように流れ込んでくるのだ。